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泣き声、無き声

最後の学祭終わっちゃったねっていう日記


去年は初めて学祭に出演とかで参加して、今年が2回目にして最後なんて。
なんだかすごくあっという間だったよ


去年の当時を振り返れば、ちょうど色んなことが重なって、風邪も引いたりして、もう全部ボロボロだったのに、心に空いた穴を埋めるべきでなかったもので埋めて余計にボロボロになったりしたな

1年経ったのかと思うと、余計にそんなフラッシュバックに苦しんだり、再演への欲求が強くなって余計にしんどかったよ
わたしはこの悲しみとトラウマティックな記憶を、わたしの力で克服するのだという心の動きそんなことはできないのに

今年も、去年の記憶に繋がる音楽を聴いて、そういう記憶の再現を脳内でぐるぐると繰り広げ、苦しくなっていた


でも、決定的に去年と違うことがある


今年のわたしにはPEOPLE 1がいたんだ、
PEOPLE 1が引き合せてくれた幸せな記憶があったの



どんなに去年のフラッシュバックに苦しんでも、わたしにはピポの音楽があって、メリバを聴けばまたリングに上がって、たたかうためにたちあがれるきがしてくる

ピポと出会わなければ今頃わたしはもっともっとクズでどうしようもない人間になっていたかもしれないね

崇拝はしないようにしてるけど、ピポはいつもわたしをそばで見守ってくれているような感じがする

お守りみたいな音楽と出会えた数ヶ月を過ごせていて、同時にこれまでのわたしがいかに努力を積み重ねてきたのかを改めて実感できたね




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最近のわたしも、自分の深刻な話を、笑いながら、ちょけながらでしかできない、仮面が顔にくっついて離れない、そんなふうに感じている

たしかに、わたしと話す人(が、わたしの心底ヤダなと思う人じゃないなら)にしんどくなってほしくなくて、無理やり笑顔を作って、言葉を探して、っていう努力をし過ぎたのかもしれない、それもべつに完璧ではないけど

趣味も目的化していて、だれかと共有するためにやっている気がしてて
元気が無くなれば無くなるほど、わたしは何が楽しかったんだっけってなる、なんにも興味がわかなくて、服も好きだったはずなんだけど、最近どんどんてきとーでかなしいよ
心から楽しい、という感覚がなんなのかわからないんだ〜…




だから、最近のわたしには、わたしという一人称が語る曲、というよりも、
あなたという二人称が、わたしについて歌っている、と感じる音楽が刺さってしょうがないよ


あくまで、わたしとあなたは違う人間で、わたしのことを100%知ることは無い、そういうあなたが、わたしについて表現したような言葉を歌うのが好き
わたしというあなたのために、わたしが歌うっていうか
頭では、なんとなくわたしがそういう人間で、というのがみえているきがするし、言葉で説明できたりもするのに、どこかわたしという存在が他人事で、遠い話のような気がしてしまって


もう悲しいとか寂しいとか、そういうのでも涙が出ないのだ、疲れすぎているのかも
涙が出ないほど悲しいのかもしれないし、もう麻痺してしまって、悲しいがデフォルトなのかもしれないし
なんにもわかんない!ってなることおおすぎる


そんなわたしが、唯一感情が動いている、って感じるのが、歌ってる時だけだったね


クリープハイプの「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」って曲があるんだけど、わたしは恥ずかしながらSaucy DogのFCツアー@仙台で、サウシー(The 生意気ッズ)のカバーを聴いたのが、初めてこの曲と出会った瞬間だったんよね〜忘れもしない、2024年6月23日!

この曲を、わたしはわたしの最後の学祭をしめる曲に選んだよ

わたしに、この場での最後、
マイクを置くわたしに、
たくさん泣きたかったのに泣けなかったわたしに、
「でも君は泣いていたんだね」と言い聞かせるように

わたしは自分の歌について、泣くように、打ち明けるように、歌うよな、と評価をする
わたしのなかにたしかにあるなにかを表現することで、わたしの歌は意味を持つ
わたしが悲しくても泣けない代わりに、言いたくても言えない代わりに、歌にその気持ちをうちあけてもらいたいと思っている

わたしはクィアだし、歌姫なんかじゃないし、アンコールは堂々と図太く歌うし、これでもう歌わなくなるなんてことは絶対にないんだけど、
この曲をわたしに贈りたかったんだ〜

カラオケ大会、今年も2位で悔しかったけど、閉会式でそれが叶ってよかったなって思えた学祭の最後でした




もっともっと上手くなりたいなって思いました
機材とかに疎くて自宅でちゃんとレコーディングしてみたいけどまだ先ですねきっと、、

これからもご期待ください



















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