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【書評】すべての教育は「洗脳」である/堀江貴文

<要点>

  • 学校は産業社会に適応した大人を作る工場

  • インターネットの浸透で、国家が溶解してきている

  • 誰もが共有する「幸せの正解」がなくなった今、自分だけの幸せ・生き方・働き方を探さないといけない

  • 人はGとLに分かれていく

  • G人材(グローバルを行動範囲にする、フットワーク軽く動ける・所有しない人・少数派・堀江氏はこのタイプ)

  • L人材(ローカルに根付く、いわゆるマイルドヤンキーみたいな人・絆を大切にする人)

  • N人材(溶けゆく国に縛られて、仮想敵がいないとダメな人)

  • これからの幸せは「感情(快)のシェア」(いいね!が世の中を動かしていく)

  • 没頭する力を解放せよ

  • 「没頭」こそが通常モード

  • 「こなす」ではなく、我を忘れて「自分のルールでとことん」が大事

  • 逆算せずハマり倒す、「ちょっと好き」、「広瀬すずが好きだから~」レベルでもOK

  • 「貯金型」から「投資型」へ

  • 3つの「タグ」でレア人材になる

  • 過去を再利用しない

  • 手抜きでやりたいことの時間を作れ!

  • ゆるいつながりが社会を回していく

  • 遊びは未来の仕事になる

<感想>

私自身の学生生活を振り返ると、入る前は入りたくて仕方なくて、入ってからは先生に厳しい指導を受けたこともあるし、イジメに遭ったこともあるし、思い出が美化されている可能性もあるけど、総じて楽しかったと思う。この本を読んだ後でも得たものも多いと思っている。

ちょっと前だったら「洗脳」なんて言いすぎ!って言ってたかもしれない。TVで見て知っていたけど、堀江さんの本は読んでこなかったのは時に過激な物言いをどこかで遠ざけたい自分がいたんだと思う。

ただ、この本で言っている主張はうなづく場面が多くて感想を残したいと思った。

一般的に日本の工業製品は歩留まり(全生産品に対する、不良品でない製品の割合)が高いとされている

本書より

これは実体験からもそう思う。日本は何事も慎重に、何重にもチェックをすることが基本とされているから当たり前すぎて感じないけど、これは当たり前ではない。

昔、外資系企業クライアントの海外本社の人とやり取りをする機会があった時、その人達は自分の作業するセルをハイライトしたまま送ってきたりと、「自分の仕事しやすさ第一」な感じだったけど、日本では同じ状況なら何重もチェックしたうえで「相手の仕事のしやすさ」を重視してデータを提供するし、戻ってきたデータも何重にもチェックして徹底的にミスを防ぐようにしていた。

その後働いた会社の海外拠点でも、海外赴任者の手続きが1か月経っても進まない国があったり、海外の生活費分だけユーロ払いしようとしてもうまく振込ができない等、日本だと考えられないようなことが多発していた。

つまり、待たせず正確に業務を滞らせない日本が特異で異常なんだともいえる。一定のレベルを維持できることが最優先事項なので、それを実現するために学校で教育されているとしたら、納得してしまう。それが行き過ぎて「洗脳されてる」と言われても、正直反論は難しい。

私自身は校則が厳しい学校に通ったことがないので、洗脳されている意識はなかったのだけど、もしかしたら誰よりも素直に「洗脳」されていた可能性がある。そんな風に思った。

今を生きる人たちが向き合うべき課題は、「いかにいい大学に入るか」ではなく、「いかに自分だけの幸福を見つけ、追求するか」なのである。

P84より

自分で自分の行きたい方向を決め、ある時は徒歩で気楽に、ある時は自動車で軽快に、ある時はヘリコプターで豪快に、そこへ向かうのである。

P84より


自分で決めて、責任を持って突き進む力を「没頭する力」と呼んでいるそうだ。

進むべき道は誰かが教えてくれる訳ではない。自分で動いて、探すしかない。
この部分は相当重要なのか、「進むべきルートは、自ら動くことで初めて目の前に現れる」、「大切なのは自らアクセルを踏み、ハンドルを切ることだ」等、表現を変えて何度も出てくる。

ここ、試験に出るよ!と言われる部分。

「没頭」は頭が沈むほど熱中する様子からきているんだと思う。
社会人20年を前にして、「そんなに熱中したことってここ最近あったっけ?」と思ってしまう。

他の本にも同じようなことが書いてあったけど、没頭する状態が人間の通常モードなんだそうだ。

それが大人になるにつれてできなくなってしまう理由が「こんなことできっこない」と自らブレーキをかけてしまうからだと述べられている。

その原因が学校での「洗脳」だという。
すべて学校の責任にするのはどうかと思う。親やテレビからも無意識に「こういうものが常識だ」とか「そんなことをしたら恥ずかしい」とか「そんなことするなんて、おかしな人」とか、全身で受け取って育つと思うから。

100点というゴールを最初に設定し、それに向かって突き進んでも、あなたはどんなに頑張ったところで100点までしか取れない。100点以上を取れる確率はゼロだ。
でも、逆算をやめ、1点1点を楽しみながら積み上げていけば、無我夢中で動いている間に、200点、300点とその点が膨れ上がっていく可能性が開かれる。この場合、取れる点数の上限はない。

P119

小学生になってからテストとは随分長い付き合いになった。卒業してからは会社で評価されることになり、基準がわからず一喜一憂して振り回されている。

学校のテストも会社の評価も基本減点主義なので、積み上げていく感覚がそこまで想像がつかない。

計画を立てるのが苦手な私は、〇年後にこうなっているために、今はこれをやって~というような予定が立てられない。

でも、逆算なんて必要ないんだ!!なんていい世の中になったんだろう。

そういえば、先日まで受講していた魅力覚醒講座でも同じように、「努力は夢中に勝てない」というような話があったな。

「天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者には勝てない」という孔子の言葉もある。
こっちが誰よりも先という説はあるが、それは一度置いておく。

私は本を読んで突飛な主張や自分とあまりにも違う意見を目にした時、1人しか言ってないようならその人はそれでうまくいったかもしれないけど自分にあてはまるかわからない、2人だと試してみようか迷う、3人いれば「真理かもしれない」と思って恐る恐るやってみるようにしている。

3人目を見つけた今、自分が踏み出す番かな。臆病な自分だから、ヘリコプターのように豪快にはしないけど、せめてへっぴり腰でそろりそろりじゃなく、颯爽と胸を張って歩み出したい。

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