見出し画像

自己紹介再び~

最近、オンライン講座(魅力覚醒講座)や色々な本を読んで、自己開示することで自分に対する理解を深めていこうって考えるようになったので、自己紹介を再度書いてみようと思う。

京都生まれだけど、両親が神奈川・茨城出身な上に1歳で横浜へ引っ越してきたため、まったく京都弁は身につかず。
横浜暮らしも半年程度で終わり、その後は川崎市で育って30歳まで過ごす。

一人娘なんだけど、実はこの世に生まれなかった兄弟がいたということもあり、両親や息子しかいないおば夫婦に溺愛されて育つ。

隣の2つ上のお姉ちゃんが本当の姉のように優しくしてくれて、早く小学生になりたい!と思いながら幼稚園を皆勤で卒園。お姉ちゃんが通う小学校に越境入学して待ちに待った小学校生活をエンジョイすべく、勉強に鉄棒に水泳にと全力で取り組む。

その結果、割となんでもできると勘違いされ学級委員をするようになり、近所の女の子にいじめられる。
そんな時、中学は越境できないため仲の悪い近所の子と一緒に通わないといけないと知り、中学受験して誰も知らない環境へ飛び込む。

ギリギリの成績で滑り込んだため、中学で周りのすごさに圧倒されて引っ込み思案を発動し、急に大人しくなる。

元々一人っ子で争うことが苦手なため、管弦楽部での激しいパート争いに辟易して、人付き合いが苦手な思春期を過ごす。学校の勉強は自分の考えを書いたりするのが多くて、それは結構好きだった記憶がある。

父は「家から近いから」という適当な理由で家から一番近い大学を卒業していたから勉強については何も言わない主義で、本屋で取り寄せるのが好き。本にはいくらかけても何も言わないけど、それ以外のお金についてはめっちゃうるさくて、私もそれに似てお金のブロックがすぐ発動してしまう。

母は自分が女性だから大学はいかなくていいという考えの親に育てられて大学行けなかったことを今でも根にもっていて、「絶対大学へ行って自分の興味のあることを勉強した方がいいよ」っていつも言っていた。あと、女性であることを恨んでいたようにも思えたなぁ。

周りの友達はみんな大学へ行くということで、流されやすい私もしっかり流れにのり、当時意識高い系だったので「環境問題を学びたい」と思い立つ。が、両親の計画だと中学から私立に入れる予定がなくて、大学の学費がほぼ残っていないことが判明し、色々調べて環境問題が勉強できるけどそこまで入試が難しくない某国立大学を見つけ滑り込むことに成功。

しかし、久々の共学にビビリ、知らない人からメガネ姿を笑われて男性に恐怖心を持ち、家から通うには遠くてサークルにも入れず、思い描いた青春とは違う陰キャな大学時代を過ごす。

自分で目標設定するのが苦手な私には研究テーマを自分で決めていかないといけない大学院は難しいなと悟り、メーカーの総合職として何とか就職する。

ふたを開けてみたら、募集要項のどこにも書いてない事務職に配属されて、お局上司から「給料泥棒!」などと言われながらパワハラまがいのことを言われまくって泣きながら新卒時代を送る。

ちょうどパワハラ上司に「就業規則の隅から隅まで読んでないなんて~」とくどくど言われたことがきっかけで人事系の仕事に興味を持ち社会保険労務士という職業を知る。

「この蟻地獄から抜け出すには資格だ!」と藁にもすがる思いで社会保険労務士の勉強をスタートし、あと1点で2回落ちるも、持ち前の負けん気の強さで4度目の正直で合格。

ついに、パワハラ上司に別れを告げて、都内の社労士事務所に転職。

クライアント先は外資系企業が多く、メールのやり取りは英語でしないといけない状況になり、慌てて中学英語のワークに毎朝取り組んで乗り切る。

その後、アドバイスするんじゃなくて社員と直接接したいと思い、企業の人事に転職するも、コロナで激務となり、仕事ばかりして結婚も恋愛も縁遠くなっている人生に疑問を持って退職。

全然違う業界に行ってみようと思って受けてみたIT企業に合格して、現在はIT企業の人事として日々奮闘中。

前の会社は副業NGとか色々あったから、会社員としてなるべく専門性を高めてひとりで生きていく以外の選択肢を考えたことなかった。でも、今は色々な人や本との出会いでちょっとずつ考え方が変わってきていて、新しい出会いを楽しめるようになってきた。あと、自分の社労士事務所も開設しようと思ってるところ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?