稽留流産
忘れるはずはないけど、あの日のことを書いておこうと思います。
8月11日火曜日、晴れ。
週末から遊びに来てた妹に娘を見てもらい、私はひとりで検診に向かいました。
この日は3回目の検診。おそらく8w6d。前回出産予定日が決まらなかったのがちょっと疑問ではあったものの、排卵がずれてるせいで赤ちゃんが小さめなのかもしれないねって言われたから、別に不安もなく、この日も内診からでした。
エコーみた瞬間、
アレ??なんかもやもやしてる??
背骨ってこの頃はまだできてないんやっけ??
ってなんとなーく思ってて、先生が赤ちゃんに寄った瞬間、違和感の正体がわかりました。
先生『こっちが頭で、この辺りが胸なんですよね。心臓の動きが見えませんね。いろんな角度から見てみましょうね。』
先生はずっと穏やかな声だった。内診台が下されてもしばらく動けない。
『いやだいやだいやだいやだ』
中待合には次の妊婦さんが入ってるかもしれない。大きな声は出せない。出てたかもしれんけど。ただでさえ待ち時間の長い婦人科。待合もいっぱいだ。時間をとってしまうわけにもいかない。タオルで口を覆いながら、お腹をギューっと握りながら、妙に冷静な自分がいた。
とりあえず冷静になるまで奥のカウンセリング室に通された。私は完全に影だった。他の妊婦さんに影は見せられない。少しの間ついてくれていた看護師さんも部屋から出て行った。私はひとり残された。椅子になんて座ってられなかった。でも涙は出なくて、『なんで、いやだ、ごめん』を呪文みたいに繰り返してた。きっと夢に違いない。エコーの画像が頭にこびりついて離れない。内診台の感覚がまだ残ってた。
主人に電話。幸い昼休みが終わる直前で、電話に出てくれた。でも声が出ない。何とか出ると思ったら泣き声だった。しかもごめんしか言えない。ただならぬ空気を察しただろう。主人はどうしたとしか、いえない。何とか『赤ちゃんが動いてない』ことを言えた。
続いて母に電話。事情を話すと、神戸から駆けつけてくれることになった。すごくありがたかった。ありがとうとごめんねを言えた。
待てど暮らせど誰も来てくれないので、廊下に出てみた。こうゆう時ひとりにする意味が分からん。影には誰も近づかないのか。先生の診察。
『稽留流産』
ほとんどが受精時の染色体上のトラブル
友達にも同じ経験をした子がいるから名前は知ってた。発育途中の胎児の成長が突然止まって子宮内に留まってしまう。自覚症状はないことも多く、検診で、ある日突然告げられる。
まさか自分が。自分に限ってそんなこと起こるはずないっておもってた。そんなことないのに。
初期の検診は毎回綱渡りで、まず胎嚢が確認されて一安心し、心拍確認でまた安心して。。一歩一歩踏みしめるように一回一回の検診をクリアしてく気持ちやった。つわりもあって、腹痛も出血もない状態で、流産を疑う余地なんてなかった。
先生もお母さんも、誰も私の責任やって、言わなかった。だから今回のことは悲しいけど、前を向くしかないよって。
でも、お腹にいる子の半分は私の細胞からできてて、他人の子じゃないんやから、やっぱりわたしの責任やって思った。この子のせいになんかできなかった。
確かに娘を妊娠中の時より、お腹のこと気にする回数少なかったし、上の子のお世話で葉酸飲み忘れたりしてたから、生まれるのが、怖くなっちゃったのかな。とか色々考えた。だから途中で帰っちゃったのかなって。
とにかく自分の気持ちをノートに書いて主人に見てもらった。主人は何も言わなかったけど、一言だけ、『名前つけよう』って言ってくれた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
お腹に大きすぎる悲しみの塊がいて、存在を消さないといけないって言われた私にとって、この子が存在した証に名前をつけてくれるやなんて、本当に、嬉しかった。まだ名前は決まってないけど、手術の日に教えてくれるみたい。
そのままお盆休みに入り、帰省も急遽取りやめ、家族には悲しい報告をしたけど、主人はずっと一緒にいてくれた。まだつわりが続いてて調子の悪い時はご飯の用意も後片付けも、率先してやってくれた。娘の753の前撮り写真を選んでるときは流産のこともうっかり忘れてしまうくらい癒しの時間でした。
書きたくなったらノートに気持ちを書き、泣きたい時は泣いて、だんだんお腹の子が私の一部になってくのが少し嬉しかったりもした。
そんなこの子との短い夏も明日でお別れです。
母親しかできない最後の最期のお別れと、選んでくれてありがとうってゆう気持ちをしっかり伝えられるように、気持ちをしっかり持って頑張ってきます!