巫女と龍神と鬼と百年の恋 ⑪最終話
神聖な場所に蒐(あつむ)が来られるわけがない。明らかに正気ではない蒐は私の姿を見て嬉しそうに笑った。
優しく私に笑いかけてくれていた。侻(たつ)と遊んでいる姿を見ると蒐は分かりやすく拗ねていて、桜花が優しく諫めてくれていて。
目の前にいる蒐は「本能そのもの」の妖。見ると蒐の体についている血は固まってきている。
私を見ているようで、私を見てない。どこか虚ろな瞳。
「戻って来ないから、迎えに来タ」
座り直し私は蒐に対峙する。白巳が気が付かないはずがない。私の勘違いじゃなければ、白巳は来たくても来られないのかもしれない。
「どうしてここにいるの?」
名前はその者を表す言葉。私は力の強い妖達数名に名前を付けた。侻(たつ)に関しては彼が名前を欲しがったので、名を与えた。
蒐を刺激しないように。
解決策が見つけられない。神聖な場所に長い時間居られるわけがない。
「ここに来てはいけないの」
来てしまえば命が削られるはず。体を血で覆うことで身体の周りをカバーしているが時間の問題。
蒐の名前の由来は集める者。彼は気に入ったものを自分の手のうちに入れたい性質を持っている鬼。多くの者を手にかけている。
桜花(おうか)ですら怯えていた。
手元に置いておくよりも退治すべきだと。本質は変えられない。
「細波、生贄になんてなりたくなかったんだろう」
「違う」
本当は来たくなかった。夢で見ていた寂しがり屋の神様が私を呼んでいたから来たの。
心から泣いていた、神様。
「私は私の意志で、ここに居るの。蒐、戻りなさい」
村のためというのは建前。最後に希望を持ちたかった。同じ村に住んでいる彼らに最後まで疎まれていたくなかった。必要とされたかった。
「一緒に戻ろう」
近づいてくる彼の足元から腐っていく。
ドロリ、ドロリとしたモノが彼の中から溢れていく。
血だと思っていたそれは、血と別の何かが混ざり合っていた。
「来て直ぐ邪魔しに来た白蛇は美味かった。大切に育てていた細波が俺の手から離れて行ってしまった。直ぐ来たかったが結界が思ったよりも強くてな。夕雪の時は、暴れる前にやってきたから、俺のものにならないなら一思いに殺して、次を待った。なのに、どうしてまた俺の元から離れてくんだ!!俺が最初に見つけたのに」
本性がさらけだされている。
どんと、彼の後ろから炎が燃え上がる。
「白巳を食べたの?」
薄っすらと白巳の気配を蒐から感じていた。認めなければ戻ってきてくれると信じたかったのに、私の勘は当たってしまった。侻や桜花の気配もきっと勘違いじゃない。
「どうして俺のものを取り戻しに行くのを止めるんダ?まぁ、生贄になってもらったガ」
出会った当初から恐怖を抱かなかったのに、蒐の本質に初めて触れた。桜花が恐れていた本質。
「どうして?」
本能のままに生きる鬼。自分が最初に見つけたから、手に入れなければ気が済まない。
「横から奪い取るくらいなら、初めから閉じ込めておけばよかったんだ」
蒐が手を伸ばしてきた。
ドロリと、体から何かが零れ落ちている。
恐怖から体が硬直してしまい動けない。対峙してきたことがある妖達よりも桁違いな妖力。これは妖力なんかじゃない。邪悪な力が彼の身から溢れ出ている。
にやぁと口元を吊り上げた蒐は私が逃げる素振りを見せないのを喜んでいるようだ。
蒐の手が私に触れるか触れないかの距離で、ひんやりと私の体の周囲に水の膜が現れる。
冷たいはずの水からは、温かさを感じる。
「・・・細波に触るな」
荒れ狂う濁流のように、樰翡の髪はうねっていた。皮膚は龍の本質である鱗が多少見え隠れしている。
「ほぉ、やっとお出ましか」
樰翡の姿にどこか嬉しそうな蒐。ねっとりとした蒐の声。
蒐に背を向けるようにして、樰翡は私の方を見た。
「立ち去れ」
蒐が触れようとしていた場所に手を伸ばすと、護るように張られた水の膜は破れたが、体は濡れていなかった。
「細波と一緒じゃないと帰らない」
不満そうな声。炎は消えることなく、私たち二人を囲む。
「その魂は俺のだ」
蒐の炎が樰翡目掛けて飛んでくる。樰翡は振り返ることもなく、水の障壁が炎と樰翡の間に生まれた。
「細波が傷ついたらどうする」
「俺がそんなへまするわけないだろう」
自信満々な蒐。桜花は心配していた。蒐は手に入れたいものがあると手段を択ばないということを。
「昔、偶然水の中から出てきていた巫女も、全部、お前が奪った」
私の始まりの魂。
人間と神の時間の流れが違う代わりに、人の魂には輪廻転生がある。
「私は、私がここに居たいと願ったわ」
寂しがり屋の神様。
誰よりも優しくて、寂しいと心が傷ついていることに気が付かなくて。
側にいるよと言ったら、きっと失うのが怖くて離れていきそうな、優しい神様。
ずっと昔に恋をした。
何度生まれ変わっても貴方だけを愛しているから。
「蒐、本当はもっと前に貴方を封印しておけばよかった」
樰翡が不思議そうに私の顔を覗き込む。蒐には樰翡の顔が見えない。
神がいなくなった場所は廃れてしまう。新しい神が降り立てばいいけれど、穢れた場所を好き好んで住もうとする者は居ない。
私は巫女。
今までもこれからも貴方だけの巫女。
「一緒に逝くことは出来ないから、送ってあげるから」
「細波?」
不思議そうに首を傾げる蒐。樰翡に笑いかけた。大丈夫。ここは神の庭。
欲しいものは手に入る。
舞で使う鈴を念じると手に現れる。
しゃらん、しゃらんと、清らかな音が響き渡る。
元人間だった桜花は私の舞を褒めてくれた。神に捧げる舞を蒐は嫌っていた。桜花も本当は嫌ってもいいはずなのに、楽しそうに眺めてくれていた。
鈴を振る度に、一歩足を踏み込むたびに、蒐の体から零れ落ちていた穢れが薄れていく。
落ちるところまで落ちた蒐。救い出すことが出来ないから、代わりに私が貴女を楽にしてあげるから。
「細波、君が全部背負うことは無い」
樰翡が初めて蒐の方を振り返る。
「死ね」
樰翡の手から放たれた水の槍が一直線に蒐の胸に吸い込まれるように刺さる。
「うわわわわ」
囲んでいた炎は消える。
倒れこむ蒐は私の方へ手を伸ばす。
「細波・・・」
樰翡が伸ばしてきている手に水鉄砲を放ち、手は砕け散った。
「お前が呼んでいい名ではない」
蒐の体は灰となり消えてい逝く。
大切な妖の一人だった。家に集まっていた妖を殺したと言っていた。白巳も。
「樰翡様、白巳が」
「白巳がどうした?」
手を広げた樰翡は水の中に小さな蛇が蹲っていた。
「戻ってきてすぐ、見つけた。運よく逃げ切れたみたいだ」
抑揚に欠ける話し方。樰翡が白巳を心配しているのが分かる。
「怖い思いをさせた」
手の中の水たまりを消した樰翡はその手で私の頭に手を伸ばした。私は手を振りほどくことはせずに、触れながら話す。
「樰翡様、早く穢れを落とさないと」
舞のお陰で少しは軽減されたとはいえ、結界を破るほどの穢れだ。穢れが残ってしまえば樰翡にも影響が出てしまう。
「心配するな」
天を見る。変化のない空のはずなのに、ぽたぽたと雨が降り始める。
清めの雨。
「貴方のことを知りたいと思ったのです」
前世も始まりの魂も関係ない。私としての感情。
共有できる時間に限りがあるとしても、隣に居ることを許してくれる間、私は居続けたい。
「ずっと、そばに居てくれるのか?」
驚く樰翡。
私は彼の手を取る。蒐を殺させてしまった。背負おうとしていたものを樰翡が半分持ってくれた。
「ずっとそばに居ますよ」
命が尽きても、きっとまた私は貴女に会いに来てしまう。
夕雪の時が、そうであったように。
全てを忘れていても、来てしまった私のように。
「ずっと、か」
ぽたぽたと二人の顔を雨が伝う。
完