巫女と龍神と鬼と百年の恋 ⑩
朝も夜もない空間だけど、睡眠をしたいと言ったら白巳が寝るときに与えられた部屋だけは暗くしてくれるようになった。
馴染んできた場所。樰翡も私のことを認めてくれた。
ずっと昔から居るような安心感を樰翡の隣で感じていたのに気が付かないフリをしていたのは私の方。
夢で見たのはきっと、夕雪達の過去。夕雪もまた樰翡に惹かれていった。
私と同じように、隣に居れば居る程自然と心が彼に傾いていく。
「なんだ、私だけじゃない。夕雪も生まれ変わりだったんだ」
私はさらにその生まれ変わり。白巳が言っていた「かの巫女」は初代の涼風という彼だけの巫女。継がれてゆくのは魂の系譜。始まりの色から変わらないのだとしたら、私は樰翡の為だけに生まれてきたのだ。それは夕雪と同じ。私を見てくれないと嘆く必要はないのかもしれない。だって、樰翡が見ているのは、愛しているのは私の根幹なのだから。
誰かに必要とされたいと願うことが、願ってはいけないと感じていた。龍神の加護が欲しくて人々が居着いたのだとしたら根源を忘れてしまっている。そんなことが怒るのならば樰翡様が怒ってしまっても仕方ないのかもしれない。
自分の居心地のいいところに居ただけなのに、樰翡様は神としての存在を強制的に求められてしまった。
私の舞を見てからの樰翡様は何かいいことがあったのを体現するかのように段々と口数も増えていった。「見回り」として少し離れている間に人間達の風習を覚えてきたりする。どれだけの時間が私に残されているのか分からない。外との時間の流れは違うから桜花達も新たな居場所を見つけているかもしれない。侻はどこでも元気に生きて行けると思うけど、蒐だけが心配だ。追いかけてくるかもしれないと心配していたけれどその様子は無い。妖は神の領域には踏み込めないのだろう。
「樰翡様はお留守か」
私は巫女服に着替え湖に来ていた。彼のお気に入りの場所。別に舞を踊るのはここと決まっている訳じゃないけど、この場所が一番気持ちが落ち着く。
「おやぁ」
低めの、樰翡様とは違う凛とした響きの声。ふわりと宙に浮いている男は嬉しそうに目を細めた。髪の色は薄い黄色。歳の頃は二十代といったところだろうか。樰翡様に通じる気配を感じる。
「あいつの処に巫女が居ると聞いたが、お主であっているか」
「樰翡様の巫女をしております細波と申します」
樰翡様と同じ雰囲気とあればそれは神で間違いがない。慌てた様子で白巳が会わられないため、悪意はないだろう。
「生憎樰翡様は出掛けておられます」
「大丈夫。ここに来たのは君に用事があったから」
目の高さを左右に飛んでいた男は吐息がかかるほど顔を近づける。
「うーん。やっぱり君を知っている気がする。ちょっとたまにはここ以外の空気も数と気分転換になる」
「許可なくして離れる訳にはいきません」
神の機嫌を損ねることは、自らの身を亡ばすかもしれない。樰翡様の巫女として生きて行くからには他の神とも交流をしていかなければならない。
「神に対して遠慮のない態度、嫌いじゃない。君に拒否権は最初からないからね」
ぞくりと、背中に包丁が突きつけられているような感覚になる。
拒否権がないのは分かっている。
樰翡様の前から勝手に消える訳にはいけない。
「ははは。慌てなくていい。怖がらせるつもりはない」
「細波様をいじめないでください」
「白巳・・・」
神と私との間に割って入る様に白巳は彼の神を睨みつける。
「樰翡様がいない隙にちょっかいを出しに来ないでください」
「何、その娘の気配を知っているような気がしたから遊びに来ただけだ」
品定めするような瞳。私を私として見ているのか、夕雪を見出そうとしているのか、分からない。
神の感覚は人とは違うということを身に染みて理解していたはずなのに、気が付くと私は見慣れない天井を見ていた。
空気が違う。樰翡様が作り出している空間ではない。先ほどの神と名乗る方の仕業なのだろうか。私は樰翡様の巫女として決意をしたばかりなのに。
「不安がるな、思っていたよりも人間らしい一面もあるんだな」
「私は人間です」
夢で見た私の過去は涼風という神の魂が始まり。涼風自体が半分人間の血が流れていたから魂の輪廻で人間に生まれてしまっただけ。
純粋な神であれバ永遠の時間を樰翡様と一緒に過ごしていたのかもしれないと思うと少しもったいない気もしてしまう。生まれ変われたから桜花達に逢うことが出来た。かけがえのない時間を教えてもらえたから。
村での記憶は全てが嬉しいことじゃないけど、それでも私を形作るには十分だ。
「悪いようにはしない。樰翡がお前を得て変わった。それを見き分けたくてな」
「見極める」
「そう、片割れを失ってから落ち込んでいた樰翡が人間に出会い昔を取り戻し始めている」
「人間はお嫌いですか」
「いや、そういう訳じゃない。人間じゃ生きる時間が異なるのを危惧しているだけだ」
「いったい何を言いたいのですか」
「人間、細波と言ったか。前に居た人間は直ぐに消えてしまったがお前ならきっと大丈夫だろう。樰翡の子を産むつもりはないか」
「貴方と言えど、それ以上言うと主が黙っていません」
白巳が神と私との間に入る。樰翡に惹かれているのが、前世からの因果からなのか、それとも私自身の気持ちからなのかが分からない。
子が欲しいかという、神の表情は「ご飯を食べないのか?」と言っているかのように日常的な質問をしているかのようで、恥ずかしがっている私が可笑しいみたい。
「樰翡を置いていくばかりで側にいられるモノを作って欲しい。我が儘かもしれないな」
「貴方に何が分かるというんですか」
「白巳、今日は一段と警戒しているね。取って食う訳じゃない。解け始めた彼の心をこれ以上壊すことになる前に、判断をしようと思っただけだ」
「判断ですか?」
「奴も一応この辺りを守っているからね。次壊れてしまうことがあったら、神を降りてもらわないといけない」
「神を降りる?」
白巳の周囲に水の球が浮かぶ。
神は私の呟きを聞き取っていたのか、そっと口に手を当てていた。
「白巳、お前が攻撃をしたら樰翡からの攻撃とみなす」
「分かっております」
「ならば、仕舞え」
悔しそうな白巳。私は白巳の後ろから神を見る。楽しんでいるように見える。私の反応なのか、白巳をからかっているだけなのか、分からない。
「巫女をしているのに、知らないのか?祀られなくなった神は居なくなる、神としての責務を全うしなくてはならない。神として存在している意味がなくなってしまうからな」
「樰翡様は降りなければならないのですか?」
村の日照りが続いていた。守り神である樰翡様が雨を降らさなかったから。責務を全うしない神。
神として呼べる?
「お主が巫女ならば側に居ると願うのならば、時の違いを甘く見ないでくれ」
その一言を述べてふわりと神は姿を消した。
自室で休むよう促されて、私は床に仰向けで寝そべっていた。
神としての樰翡。
一人の樰翡という存在としての彼は寂しがり屋で、始まりの魂を待っていた。
「結局私として必要とされたかった」
空中に手を伸ばす。
村でも私を必要としてくれたのは妖怪達で、彼らの側にいることを願った。村の人たちを切り捨てることが出来なかったのは、心のどこかで希望を持っていた。ご先祖様が護ってきた巫女としての仕事を大切にしたかった。
母さんに怯えられていたとしても私は巫女としての仕事を辞められなかった。
舞を踊っているときは心が安らいだ。
鈴の音に合わせて、軽い足取り、布のする音が私は好きだった。
誰かに見せるものでは無く、湖の前で踊っていたけれど。
村を守る神様に、樰翡に届いていたと思うと、嬉しい。
「みぃつけタ」
聞き覚えのある声。
知っているはずの姿なのに、口元だけじゃなく全身が血で汚れた蒐(あつむ)が部屋の入口から覗き込んできた。
神の領域に来られるはずが、無いのに、そこにいた。
結界が揺れた。知っているはずの魂。手の中に閉じ込めておきたくて、少し前に離れたはずなのに、何もかもを真っ新にして戻ってきた。
知らないはずなのに、舞を踊り、隣に居ようとしてくれる。
一緒に居ると約束をした。
どこにいても、逢いに来ると約束をした。
ココを離れられないから。
離れてしまうと、私は存在自体無くなってしまう。
樰翡と名をくれた。
護る。
君の魂をもう一度失わないために。