指摘するだけでは指導にはならない
その昔、大阪で働いていた頃、勤務先の北浜駅の地下を歩くと決まってこのアナウンスが流れていた。
「痴漢は犯罪です。絶対にやめましょう」
そのアナウンスを聞く度に心のなかでこうツッコんでいた。
「いや、このアナウンス聞いて誰が痴漢止めんねん!」と。
痴漢はあかん。絶対に。
けれど、痴漢をやっている人たちは、痴漢があかんことくらい知っている。
そんな人たちに、「痴漢は犯罪です。絶対にやめましょう」と今さら言ったところで、効果はあるのだろうか。
痴漢という課題に対する解決のアプローチが薄っぺらすぎて、そのアナウンスを聞く度に笑ってしまっていた。
最近、この大阪市交通局(当時)のアナウンスを思い出すシーンがあった。
自動車教習所でだ。
私はこの月曜日から自動車教習所に通い始めた。
ぎゅうぎゅうに学科と技能の講習を詰め込んだおかげで、5日間で学科はすべて学び終えた。
技能講習も一日2時間までしか学べないという制限のなか、毎日2時間勉強をしている。が、こっちは技術がまだまだまだまだ定着していない。
その理由は、私の運動神経不足(手足を思い通りに動かすスキルと感覚を掴むスキルが劇的に低いこと)によるものだと深く自覚している。
したがって、私の技能が上がらないのを教官のせいにするつもりはないことを先にお伝えしておく。
技能講習は、2時間連続の講習でない限り、毎回教官が異なる。
この5日間で、7名の教官に教わった。同じ分野を複数人から教えてもらう経験って学生時代以来ですごく面白かった。
運転技能だけでなく、人に教えるということの難しさをこの5日間で学べた気がする。
例えばこうだ。
ある時、若手っぽい女性の教官がついてくださったことがあった。
その教官は、非常にきびきびして、しっかり者という印象を受けた。女性だしやりやすそうだと思った刹那、その後の50分間、私の一挙手一投足のミスを真横から実況し続けた。
その結果、ミスを指摘される度に私の心拍数が急上昇し、全身が硬直し、普段しないミスを連発しまくった。
それに比例して、ますます教官の実況に熱が入り、ますます私の運転のミスが増発した。
これが負のスパイラルと言わずして何と言おうか。
50分後、敗れ去ったボクサーのごとく、休憩室の椅子に頭を垂れて沈んだ。
次の日、高齢のおじいちゃん教官がついてくださった。
その方は、とても穏やかで話すスピードも非常にゆっくりだった。
口数も多いわけではなく、私の運転を黙って見ながら、時折やさしーい口調でこうした方がいいかもわかりませんねぇ。と指摘をしてくださった。
その50分間、私は一切緊張することがなかったため、ミスすることが非常に少なく、前の時間あんなに苦労した右左折はすぐに終わり、S字クランクや坂道発進など、次から次へと進めた。
50分後、自分の運転技術に自信がついて、もっと練習したいと思った。
この2人の教官のコントラストがすごく面白かった。
そして、これからの自分にとって勉強になるなぁと思った。
まさしく、前者の教官のときに、あの「痴漢は犯罪です」のアナウンスが流れてきたのだ。
指導の掟1:緊張させてはいけない
新人に何かを教えるときに、指導者が最初に気をつけるべきは、緊張させないこと=実力を発揮させる雰囲気を提供すること。だ。
私が例の女性教官の隣で運転していたとき、矢のように飛んでくる指摘に、体は硬直し、口の中はカラッカラ。頭の中は、パニック状態にあり、新しい情報が一切処理できない状況にあった。
右折左折をするためには、アクセル、ブレーキ、ルームミラー・サイドミラーの確認、合図、目視、進路変更、アクセル・・という一連の流れが必要だが、この教官の時に初めてこの手順を教わった。それも私が運転している最中にさらっと。
教わる頃には、既にその手順を覚えるほどの精神状態にはなくなっていたため、できない→指摘→できない→指摘の永遠ループだった。
まずは、相手の実力が発揮できて、冷静に聞いてもらえるような緊張させない雰囲気づくりが大切だと心から感じた。
指導の掟2:目で情報を伝える
これは、私の場合顕著なのかもしれない。人は、外部情報を取り入れる時に、3つのタイプがある。
詳しくは、NLP心理学を参照ください。
私は圧倒的に視覚タイプなので、口頭情報だけでは限界がある。それも運転しながらなどなおさらだ。
先程の右左折の手順を覚えようと思ったら、以下の図が自分の頭に描けない限りは覚えられないのだ。(ざっくりとなので正確性に欠けることは勘弁いただきたい)
おそらく、ニュースなどでテロップや、解説ボードが多用されていることからも、現代は視覚優位が圧倒的に多いのではないかと思われる。
したがって、誰かとコミュニケーションを取る場合は、仕事ならホワイトボードなどを使って言いたいことを視覚化して伝えるなどの工夫をする方がよりはっきり相手に伝えられるなと改めて感じた。
指導の掟3:指摘するだけでは指導にはならない
これが最も今回の教習所に通うことで得られた最大の収穫物だ。
何度も引き合いに出して申し訳ないが、先程の女性教官を例に考えてみる。
きっとその教官の頭の中には「理想的な運転」というものがあり、それと私の運転を見比べた時のギャップを私に伝えてきたんだと思う。
ここが違う。ここが間違っている。と。
その指摘は正しい。ことごとくおっしゃる通りなのだ。
ただ、その結果、私の心拍は急上昇し、シンジくんの乗る初号機の覚醒のごとく暴走したのだった。
正しさは時に凶器になるということを改めて思い知る良い機会だった。
テストの点が30点しか取れない子どもに、ここが間違っている。ここも!ここも!って伝えて、一体なんの効果があるのかって話だ。
30点しか取れない子どもは、テストを受ける前から自分ができていないことくらい百も承知なのだ。そんな子どもに、今さらできていないことを強調したとて、何の追加情報も提供していない。知ってるわい!って話だ。
指導者がやるべきは、
1.どこでつまずいているのかを観察すること
2.相手のレベルに合わせて簡単なところから一つずつ課題を消していくこと
ではないだろうか。
指導の掟4:失敗しても良いから考えさせる
もうお一人、興味のそそられた教官がいた。
この方は50代くらいの真面目そうな男性教官だった。
この方は、優しい口調でゆっくりな話しぶりだったため、緊張はしなかったのだが、がんがんに指摘してくるタイプだった。
この教官の時に初めてL字クランクに挑戦したのだが、始める前にポイントを伝えることもなく、即実践。
それは良いのだが、「はい、ここでハンドル切って!ブレーキ!ブレーキ!はい、ハンドル戻す!前見て!」こんな具合に毎回のクランク走行が行われた。
この指摘をされている間、私の頭は思考停止。
言われたことをそのままやるマシーンだった。
この指摘方法でクランク攻略技術が上がる人っているのだろうか。私に合っていないだけなのかな。
決められた時間内で教えないといけないのは理解する。
ただ、どうやって攻略するかを考えさせることって大切だと思うのだ。
その結果、失敗したとしても。
この教官に教わった時に、新人に向かって横からやいやい言うのは二度とやらないと心に誓った。
指導の掟5:ダメなやつというレッテルを貼ってはいけない
これ、自分もやってしまってるなぁ。
指摘多めの教官は、おそらく減点方式で教習生を見ている。検定がそもそも限定方式なので、そういう目で人を判断してしまうのはある意味自然だろうと思う。
最初のうちにミスが重なると、開始5分で点数が減りに減り、ダメな教習生に分類されてしまう。
その結果、「そんなにスピードは出さなくて良い。君はそんなにスピードが出せるレベルにない」と言われたり、
右折左折で思考停止になっている最中、合図のレバーを手で探っている姿にクスっと笑われたりした。
必死ですねんこちとら。
このように何度も劣等感を植え付けさせる言動に遭遇した。
私は、彼らに一段下に見られることはしていない。
笑われる対象でもない。
ただ、運転し始めて間もないが故に上手く出来ないだけの人間だ。
下に見てしまう気持ちは分かるが、この対応はやっぱり良くない。
指導を受ける側になんのメリットももたらさないからだ。惨めな気持ちになるだけだ。
それよりも信じてほしい。私の潜在能力を。
私も部下を指導する時に、ダメなやつというレッテルを貼って粗野に対応してしまったことがあったと思う。
これは今後改めないといけない。
今はまだ能力が発揮できていないけど、きっとそのうちできるようになることを前提に尊敬を持って対応することで、その人の眠れる能力を呼び起こすことができるのではないか。
こんなことをこの5日間で感じた。
人より習得に時間がかかるので、私が教習所を卒業するまで多くの教官に指導を受けることになると思う。
非常に貴重な機会なので、色々指導方法を盗んで行こうと思う。
もちろん運転技術も。