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地域をまるごとあそび場にしたい~私の未来理想図③プレーリーダー編~

私が名乗っている3つの肩書きを紐解きながら、
私の夢である『誰もが自分らしく生きられる社会を実現すること』について咀嚼していくシリーズ、最終編に突入する。

はじめに、私の人生に響くターニングポイント的な出会いとなった3つの事例を列挙したが、

1.まちの保育園…………「地域・コミュニティ」と「子育ち」と「つなぎ役」
2.森のようちえん…………「野外・自然」と「保育」
3.プレーパーク…………「居場所」と「あそび」

①コミュニティコーディネーター編で紹介した「まちの保育園」の事例は「コミュニティコーディネーター」という肩書きに繋がっている。

また②フリーランス保育士編で紹介した「森のようちえん」の事例は「フリーランス保育士」という肩書きに繋がっている。

今回は、残る3つ目の事例「プレーパーク」について紹介しながら、これによってもうひとつ私が名乗っている「プレーリーダー」という肩書きについて綴っていきたいと思う。


今回も、前編と同様に2018年~2019年にかけて「ご縁をつむぐ旅」ブログで公開した記事をもとに、再構成してリライトしている。

各事例の状況は時間が経って変化しているため、あくまで当時の情報としてとらえていただき、そこから私が共感しているエッセンスを理解していただきたい。


自分の責任で自由に遊ぶ、地域の居場所

2019年6月20日

廃材置き場から始まった「プレーパーク」

冒険あそび場」とも呼ばれる「プレーパーク」は、文字通り“冒険的なあそびができる広場や公園の総称です。

プレーパークのおこりは、1943年にデンマークの首都コペンハーゲンの郊外につくられた「エンドラップ廃材遊び場」と言われています。

時は、第2次世界大戦の最中。
あそび場として綺麗に整えられた場所よりも、空き地廃材置き場を選んでいきいきと遊ぶこどもたちの姿を見て、ソーレンセン教授という造園家が提案し、廃材を転がしただけのあそび場を造り上げたのだそうです。

その後、イギリス大きな流れとなったプレーパークはヨーロッパを中心に広がりを見せ、世界中へと広がっていきます。
現在は、ヨーロッパ全体で1,000か所程度のあそび場があるのだとか。


日本では、イギリスのアレン・オブ・ハートウッド卿婦人が記した『Planning for play(都市の遊び場)』の訳書が1973年に出版。
これを契機に、プレーパークの考え方が少しずつ広まっていきました。

1979年、東京都世田谷区の羽根木公園に誕生した「羽根木プレーパーク」が、日本初の常設プレーパークとなり、現在も想いは脈々と受け継がれ、活動が続いています。

全国のプレーパークや冒険あそび場づくりの支援をおこなっている「日本冒険遊び場づくり協会」によると、2016年の調査時点で236カ所のプレーパークが国内で活動をしているとのこと(『第7回 冒険遊び場づくり活動団体実態調査』結果より)。

運営主体活動の形態はさまざまですが、時に行政の協力などを得ながら、地域住民が中心となって運営を担っているケースが多いようです。


私とプレーパークとの出会い

私が初めて「プレーパーク」という言葉に出会ったのは、2018年6月に読んだ『子育てと共同性』というブックレットの中でした。

その理念に深く共感し、さっそく岩手県内で活動している団体を探したのですが、常設のプレーパークに関する情報は見当たらず。

※日本冒険遊び場づくり協会のウェブサイトでは、釜石市の「希望と笑顔のこすもす公園」が登録されています。

ただ、情報収集をするうちに、奥州市の水沢公園などで「おとな×こども アスレチックプレイパーク」というイベントが定期的に開催されていることを知りました。
運営しているのは、宍戸直美さんが率いる「地いき 楽しく アイビーナ」という市民団体です。

ヨガやバランスボールなどのワークショップと飲食の出店のほか、木の間に渡したロープを渡るスポーツ「スラックライン」の団体と、遊び道具を積んだ移動車「プレーカー」で出張するプレーパーク団体の協力を得て、あそびをテーマにしたイベントを展開していました。

水沢公園でのイベント

実際にイベントを訪れてみると、こどもたちが手づくりのおもちゃで遊んだり、無造作に置かれた木の端材で思い思いに工作をしたり、真剣な顔で遊び込んでいる様子を見ることができました。

そこで遊ぶこどもたちがとても輝いていて、自由に思いっきり好きなように遊び込める場の大切さを肌で感じたのでした。


気仙沼で見た「自由」の本質

この時出会ったひとりが、プレーパークのゾーンを担当していた「一般社団法人 プレーワーカーズ」のかんぺーさんこと中村俊一さん(旧姓:神林)です。

ロープで遊具をつくるかんぺーさん(右)

プレーワーカーズは、宮城県に拠点を置くあそび場づくりの団体。

名取市や気仙沼市で常設のプレーパークを運営しながら、プレーカーと名付けられた移動車で出張するイベント型のあそび場を開催したり、遊具制作やあそびに関する講座を開いたり、多岐にわたる活動をされています。

かんぺーさんからお話を伺って、気仙沼市でプレーワーカーズが運営している常設プレーパーク『aso-bon』を訪れました。

地域の空き家を改修し、民間の団体が運営する子育て支援拠点に隣接した庭のスペースに造られたあそび場です。

手づくりの遊び場

ひときわ目を引く大きな滑り台は地域の人たちによる手づくりで、夏になると水を流してウォータースライダーになるそう。

片隅に置かれた廃材は、のこぎりやくぎなどの道具を使って工作をしてもいいし、火をおこして焚火をすることもできます。

雑多でワクワクする空間

この日、流行っていたのは滑り台の上から地面に敷かれたマットめがけて飛び降りるあそび。
その場の大人たちは、危ないからやめなさい!と言うこともなく、ただ見守っています

そんな中、みんなの姿に目もくれず、
なにか作りたい!
と焚火でパンケーキを作り始めた小学生くらいの男の子がいました。

焼けるのを待つ少年

焦げないように火加減を調節して、ようやく完成したパンケーキ。
集まってきたみんなに「ちょっとだけだよ」とふるまう彼はどこか誇らしげで、その満足そうな表情がとても素敵でした。

何をしてもいい、ということの本質を教えてもらったような気がしました。


「豊かなあそび」の材料とは

一方、宮城県石巻市で活動する「特定非営利活動法人 こども∞感ぱにー」が運営するプレーパーク『黄金浜ちびっこあそび場』でも、「」は重要なキーワードになっていました。

見守り役の大人と一緒に火遊びするこどもたち

昨年、この黄金浜ちびっこあそび場で開催された「プレイワーク講座」に参加したのですが、場づくりの想いや、ここでのあそびについて伺った中で特に印象的だったことがあります。

ゲスト講師はプレーワーカーズの廣川和紀さん

(にくづき=体)



(金属の道具)

(太陽)
を使うことが「豊かなあそび」のポイントとして大切だ、ということです。

これらはとても基本的なことでありながら、最近のこどものあそびの中から失われやすいものでもあります。

たしかに、「火」に関して言えば、農家さんが枯れ草などを焼却する「野焼き」ですら申請が要る時代となり、焚火をおこして火遊びをするのも、簡単ではなくなっています。

私はボーイスカウトで幼少期から火と触れあっていましたが、最近は自分と同世代~少し上の世代、つまりこどもたちの親世代でも、マッチを使ったことがない火をおこしたことがないという人が多くなっている状況を知り、驚きました。

自然の力を借りながら、自分の手で何かをつくったり変化させたりする経験には、成功・失敗に関わらず、心を動かす感動があります。
そうした経験がこどもたちの心に深く刻まれ、心身を育んでくれるのではないでしょうか。

プレーパークについて学び、現場を見て、担い手の皆さんからお話を伺う中で、「地域の居場所」としての役割を果たすために大事なポイントが見えてきたように感じました。


自分の責任で自由に遊べる環境を担保する

プレーパークのキーワードとして
自分の責任で自由に遊ぶ
というものがあります。

森のようちえんの事例でも全く同じ考え方に触れましたが、これはこどもをひとりの人間として尊重する上での基本なのだと思います。

「羽根木プレーパーク」でプレーリーダーを務めた経歴もある『一般社団法人 TOKYO PLAY』の嶋村仁志さんも、

遊びは子どもが主体的におこなうもの
子ども自身の発想や想像力に委ね、自由にやらせるべきもの

こどもまなび☆らぼ インタビュー記事より

と述べています。


どうしても、自由な場というイメージの強いプレーパークでは「自由に遊ぶ」という点に注目してしまいがちです。

でも、本当に大切なのは「自分の責任で」という点。

こどもに、責任?
と思うかもしれませんが、自分で「やる」と決めて始めたあそびの結果を、すべて自分で受け止めるというシンプルなことです。

うまくいっても、いかなくても、面白くても、つまらなくても、ぜんぶ自分の責任

誰のせいにもできないから、うまくいくまで挑戦したくなるし、やり遂げた時の達成感はひとしおです。
そんな遊びから、最近注目されている非認知能力のひとつである「自己肯定感」も育まれていきます。


こどもが「責任」を持てるルール

黄金浜ちびっこあそび場には、シンボルとも言える大きなやぐらがあり、そこに掛けられたはしごは、大人でも手をかけて登るのがやっと、くらいの高さに設定されていました。

はしごの1段目は小学生の背丈を超える

高所好きなこどもたちは、あの手この手で挑戦するのですが、大人が手を貸すことや、道具を使って登ることは禁じられています。

それは、自分の能力以上のこと(=責任を取れないこと)はしないというルールだから。

私も登ってみましたが、裸足になって、アゴまで使って(笑)、体のあちこちに擦り傷をつくりながら、なんとか登り切ることができました。
その達成感と言ったら!

恐怖を乗り越えた達成感に溢れる私

※降りるのも結構怖かったです。笑


また、こどもが物を壊しても一緒に作り直すことができるように、なるべく木や自然の素材で作ったものを置いていると聞いて、非常に納得しました。

夢中で遊んでいるうちに、服を汚したり、物を壊したり、友達とケンカしたり、怪我をしたりすることもあるでしょう。
それでも、できるだけこどもたちが自分で責任を取れるような環境をつくってあげること。

危険なことトラブルも、大人がすぐ間に入って解決してしまったり、予防線を張って防いでしまったりすると、こどもたちの中に「こうすると危ない」とか「こうすると相手を怒らせる」とかいった経験が蓄積されず、危険を察知する能力を身に着けないまま育っていくことになります。

もちろん、命に係わることなど、大人が防がなければいけない緊急の場面も時にはありますが、こどもが自分の能力の範囲内でやることによって生じる怪我って、大したことじゃないことが多いんですよね。

こどもに責任を取らせてあげる」ということも、大事な大人の役割なんだなと改めて感じました。


介入・干渉せずに見守る大人の存在

さらに、プレーパークの大きな特徴として見守り役の大人が配置されているということがあります。

プレーリーダー」や「プレーワーカー」と呼ばれるのですが、子どもがいきいきと遊ぶことのできる環境をつくることを役割として担っています。

つまり、こどもたちの様子を見てあそび場の環境を整備したり、最低限の安全管理などに配慮したりしながら、時に声を掛けたり一緒に遊んだりしてくれる存在。

職業的に設置しているところもあれば、ボランティアの場合もあり、日時を限定したり、プレーリーダーがいる時間をイベントのようにして告知したり、状況は様々です。

でも、共通しているのは
地域の大人があそび場に関わっている
こどものあそびに過度に介入・干渉せず、見守るスタンス
ということ。

突然鬼ごっこの鬼をやらされるプレーリーダー

お隣さんとの接点が少なくなり、地域の中でもお互いの生活があまり交わらなくなってきたのは、都会だけではありません。

田舎だって、こどもの数が減り、生活も多様になってきた結果、地域で遊ぶこどもたちの姿を見ることが少なくなってきたように感じます。

それって、すごく寂しいし、いざという時の防犯防災という観点からも、危険なことです。

地域にどんな大人がいて、どんな想いを持っているかということを知り、こういう時は○○さんを頼ればいいとか、これなら△△さんが知ってるとか、そういう「人脈」をこどもたちが手に入れられるということは、地域にとっても財産であると思います。

それって結局、地域への愛着にも繋がりますよね。

大人の側も、地域のこどもたちと関わりを持つことが大事と分かっていながら、こどもに関わりたいと思ってもなかなか機会がない
そんな悲しい現状があったりします。

プレーパークという場があることによって、プレーリーダーという立場や、それ以外でも、こどもたちを見守る地域の大人としての役割を得ることができるんですね。


また、こどもに関わりすぎないというスタンスも、大切なポイント。

先ほどの「責任」の話の中でも触れましたが、大人が関わりすぎることによって阻害されるこどもの成長も、たくさんあるのだと思います。

こどもの将来に責任を持たなければいけない親や身内ではないからこそ、良い意味で無責任にフラットな関わりができるというのは、第三者の特権でもあるのです。


地域の関わり合いを生んでいるプレーパークの現状を見て、時代とともに失いかけてしまった接点を、取り戻す場のようにも感じました。

いつでもだれでも、遊びに行っていい場所。
怒られない
とがめられない

地域の中にそんな「居場所」があったら、すごく心強いなと感じます。


* * *

大好きな場所でプレーリーダーになった私

上記の記事を書いてから3年近くが経過する現在、私は岩手県紫波町日詰商店街イベント型のプレーパーク的なあそび場を開いている。

それが「ひづめプレイデイ」だ。

昨年のイベントチラシ

プレーパークの事例に出会ってから、私がつくりたい居場所のベースはこれだ、という実感があった。

自分らしく」生きるために、好きなことやりたいことを見つけた時、多かれ少なかれ挑戦頑張ることが必要になる。
そんな時、安心して一歩踏み出せる基地のような場所や人の存在を「Cゾーン」と言うのだが、私のつくる場はそんな挑戦が生まれるCゾーンでありたいと思っている。


そんな中で、前述した嶋村仁志さんが代表を務めるTOKYO PLAYが『とうきょうご近所みちあそび』というプロジェクトを展開していることを知る。

遊び環境の少ない都会でも、交通量の少ない道路を一時的に歩行者天国にしたり、使われていない空き地を活用したりして、遊び場をつくってしまおう!という取り組みである。

非常に共感したと同時に、田舎だからといって日頃の遊び環境が豊かなわけではないという実感から、これを紫波町でもやりたい!と思うようになった。


紫波町の中でも私が大好きな場所であり、あそびこむを始めるきっかけとなった場所でもある日詰商店街での開催を決め、冬の時期を除いて毎月行われている「さんさん朝市」と同日開催という形で、ひづめプレイデイはスタートした。

日詰商店街のメイン通りにある「ふれあい広場」という公園のようなスペースに、人工芝のマットを敷いておもちゃを無造作に配置
看板を出すか出さないかのうちに、常連の子たちが集まってくる。

私も好きに遊びながら、こども相手に本気でオセロして負けたりしながら、通りがかったこどもたちに
やっほー、遊んでく?
と声をかけて、最後は遊んでいた子たちに片付けを手伝ってもらって、
じゃあまた来月ね~
とお別れする。

ただふらっと来て、こどももおとなも、誰でも遊びたいだけ遊べる場所をベースに、スライムづくりのワークショップをしたり、ハロウィン企画をしたり。
昨年5月からスタートして全7回、ありがたいことに一度も雨天中止とすることなく開催ができた。

私は、大好きなこの場所で、プレーリーダーとしての歩みを始めることができたのである。

あそびを導く、みたいな「リーダー」ではなくて、ちょっと先に遊び出しちゃってるひと、みたいな立ち位置でいたいという私のプレーリーダー像を試すことができてとてもよかった。

また、私だけでなく、あそびこむを手伝ってくれているサポーターの方たちが見守り&遊び相手として力を貸してくれたこともありがたかったし、何より毎月楽しみにして来てくれる人たちがいたことが、本当に嬉しかった。


一方で、ひづめプレイデイを開催したことで、来てくれたこどもたちや保護者の方から、
「いつもはどこでやってるんですか?」
「こういう場所があったらいいなと思ってました」
と声を掛けられることが非常に多かった。
こどもにとっても大人にとっても安心できる自由なあそび場のニーズが眠っていることをひしひしと感じた。

結果的に、10月~12月の3ヶ月間に渡って日詰商店街の空き店舗を借り、こども向けのおもちゃや大人も楽しめるボードゲームを取り揃えた固定の場として「まちのあそび場」を毎週同じ曜日、同じ時間に開催した。
期間限定ということを惜しむ声もたくさんいただき、今後の運営について前向きに考えていきたいと思った。


そんなわけで、ひとまず「ひづめプレイデイ」は2022年度も開催を予定しているし、「まちのあそび場」のような固定の場も、引き続き方法を模索していきたいと思っている。

またサポーターとして関わってくれている皆さんにとっても、好きなことやってみたいことを持ち込める場にしたいし、そうやってこのイベントを、地域のものにしていけたらというのが、プレーリーダーとしての私の密かな願いだ。

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