あの時のこと、根に持ってます。
このnoteでちょっとした文章を書くようになって、よくもまあ昔のことを細かく覚えてるもんだなあ、と自分のことながら感心している。
自覚しているけど、私はたぶん典型的な、根に持つタイプだ。笑
生まれて初めてのディナーショー
短期記憶が苦手で、年号を覚えなきゃいけない歴史の授業なんかどうしても好きになれなかったけれど、良いことも、悪いことも、自分の感情が動いたことは、頭より胸にこびりついて忘れない。忘れられない。
アカペラにのめり込んだ大学時代、アカペラ界では知らない人がいないほどのプログループ「TRY-TONE」のライブを先輩たちと一緒に見に行ったことがある。
TRY-TONEの皆さんは、アカペラ歴が20年を超えるようなまさに大先輩。
私たちがやるようなライブハウスでの立ち見ライブではなく、指定席でお酒と食事を嗜みながらのディナーショーだった。
たしか当時まだ1年生で、18だか19の私は会場に入る前からその雰囲気に圧倒されド緊張だったのだけれど、憧れのハーモニーと軽快なトークを目の前で堪能して、心も体も酔いしれた。
(アルコールは飲んでません。笑)
退席時の支払いで、あらかじめ知らされていたチケット代と、その場で注文したドリンク代をそれぞれ出して、みんなでつまんだ食べ物代はたしか1番の先輩が出してくれた。
「これで払ってきてもらえる?」と先輩に託されて、1番年下の私がお会計へ。
そこで告げられた額は、みんなで計算してぴったりあるはずの手元の現金より、明らかに高かった。
あれっ、足りない...?
焦ってお財布から不足分を出して支払い、渡されたレシートを見ると・・・
\シートチャージ/
なんじゃそれー!
と思って調べたら、すぐに席代のことだと分かった。
先輩も含めて誰もが、その存在を知らなかったのだった。
会場外で待っていたみんなと合流して、先輩に「足りた?」とも無く「ありがとう!」と笑顔で言われたら、
「すいません、足りなくて...」
とは言えなかった。
シートチャージ1人500円、全員分でたしか2,000円か3,000円。
バイトも始めたばかりの大学1年生にはかなり痛い額だったけれど、みんなの食事代まで出してくれた先輩に、ちっちぇえヤツだな~と思われるのも嫌で、まあ仕方ない!奢ってあげたと思って!と自分に言い聞かせた。
でも、10年経った今でも鮮明に覚えてる。笑
言えば良かったなあ...。笑
父に添削された小5の作文
さて、文章を書く時には「導入」を意識している、と先日書いたばかりだけど、作文に関してひとつ思い出したことがある。
それは
──私は、
で始めないようにすること。
小学生の、5年生くらいだったかな、その頃既に作文が大好きだった私は、学校で配られたチラシから、とある作文コンテストに応募することにした。
スーパーマーケットをいくつも運営している地域のちょっと名の知れた企業のCSRで、たしか、自然や環境をテーマに作文を書いて、上位数名を探検旅行に招待してくれるというもの。
「ネイチャーキッズ探検隊」みたいな名前で、北海道のキリタップへ大自然を体感しに行こう!みたいな内容だった気がする。
小学校高学年くらいから、地球環境やら福祉やら、こと社会問題には敏感になっていた私だったし、行ったことのなかった北海道へ行けると聞いて飛びついた。
どんな内容の作文を書いたかすっかり忘れてしまったが、自分の出せる力100パーセントで仕上げた作文を父に見せると、恐ろしく添削されて返ってきたのを覚えている。
内容はそのままなのに、言い回しが全然違っていた。
めちゃくちゃ悔しかったけれど、確かに父の書いてきた言い回しの方が読みやすくて良い文章で、泣く泣く直して清書した。
その時に父から言われたのだ。
─書き出しは読み手を惹き付けるように工夫しなさい。
─「私は~」と書いてくる作文を何十枚と読まされる審査員の身になれ。
─みんなと同じ書き出しでは読んでもらえない。
と。
あの敗北感と悔しさの中で聞かされた父の言葉にはぐうの音も出なかったし、納得したからしっかり覚えている。
それから私は、文章の書き出しに気をつけるようになった。
ちなみに、結局そのコンテストで私は探検隊になれなかった。
市内全域の小学生対象だったから、探検隊に選ばれるのは各校1人までと聞かされていた。
事前に各学校で校内審査のようなものがあり、私は校内1位に選ばれたのだが、本戦(?)へ提出される直前、ちょうど転校してきた頭脳明晰系男子が滑り込みで作文を提出してきたとかで校内審査がやり直され、私は2位に転落したのだ。
1位だ!と浮かれていた数日後に「ごめん、2位になった」と聞かされて
──え、それ誰だよ!?!?
となった衝撃は忘れられない。
結局、本戦では特別賞的な「WWF奨励賞」とやらに選ばれて、あのパンダのマークでお馴染みのWWFジャパン(世界自然保護基金)からグッズをたくさんもらったものの、北海道へは行けなかった。
後から送られてきた報告書なる冊子に、北海道の大自然の中で集合写真に映る彼の姿を見て、心底悔しかった。
実は彼が越してきた所は同じ地区内で、同じ子ども会でその後一緒にキックベースの大会に出るくらいの仲にはなったのだが、ずーっとライバル視してるし、今でも根に持っている。笑
ゆういちー!
覚えてろよー!!!
きっと、すっかり忘れられてるんだろうな。笑