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自分を縛るものは、自分以外に何もない。
秩父から帰ってきてから、ずっとこの曲が流れている。
──Love & Peace Inside?
マッキーが書いてSMAPが歌った曲。
この曲にまつわるエピソードはいつかの記事に書いた。
高3で受験勉強真っ盛りだった私に
「自分の心が変わればきっと世界も変わるはず」
「思いもよらない方法で世界は変えられるんだ」
と語りかけてくれた大切な曲だ。
無意識に口に出してしまうくらい好き
さとのば大学の東京出張ついでに、仲間のひとりが関わっている秩父の「リトリートフィールドMahora稲穂山」というキャンプ場にお邪魔してきた。
とにかくめちゃくちゃ素敵なところだったので、ぜひ足を運んでみてほしい。
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秩父は、想定外に「紫波と似ているなあ」と思わされるところが多かった。
盆地で、山に囲まれていて、ぶどうを作っていたり、桑の葉が採れたり、と聞かされる度、紫波のあの場所やあの人が思い浮かんでしまう。
おまけに地酒の「武甲酒造」さんは紫波から南部杜氏が来ていたのだとか。
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でも、思い返してみると、最近旅をすれば意識せずとも紫波や岩手と見比べている自分がいるし、
「私が住んでる紫波町もね、・・・」
と勝手に紹介してしまっている気がする。笑
無意識に口に出してしまう、というやつだ。
恋じゃない、愛だ。笑
それだけ紫波のことが好きなんだなあ。
もはや、私の中の「基準」が紫波なんだなあ。
と、実感させられた。
私にとって今や「紫波にいます」「岩手から来ました」というのは「つくば出身です」と同じような意味合いで口にしている言葉。
例えば1ヶ月くらいどこか別の場所に、例えば鳥取なんかで過ごしていたとしても
「普段は岩手県の紫波町ってところにいるんですよ」
と話すだろう。
それは紫波町の地域おこし協力隊として日本全国を飛び回っていた時に
「紫波から来ました、出身は茨城です」
と自己紹介していたのとまさに同じこと。
ああ、これが「ふるさと」ってことなのだろうな。
紫波はすっかり、私のルーツのひとつとなっている。
そんなことにふと気付いて、逆にこれからはもっと、自分のフィールドを広げてもいいかもしれないなあと思った。
「地域」という言葉で私を縛っていた
私がやりたい森のようちえんとか、プレーパークとか、あそびこむで挑戦しているこどもの居場所づくりは、もちろん紫波にしかニーズがないわけじゃないし、フィールドだって、日本中、いや、もしかしたら世界中どこにだってあると思う。
ということはつまり、私がそこでやろうと思って、一緒に動いてくれる人がいさえすれば、どこでだってできるということなんだよね。
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軸足は大好きな紫波町に置きながらでも、「出張あそびこむ」みたいにして様々なフィールドで試させてもらえるかもしれない。
せっかくメインの仕事がリモートワークになって、水曜日の保育士勤務以外はどこにいたって生きていけるようになったのに、なにか縛られているような感覚を持っていたことに気付かされた。
一方それは「地域」という言葉に変な魔力が宿っているからかもしれない。
「地域で」
と言うとき、あくまで腰を据えてじっくり関係性をつくってきた場所で、という土着的な意味合いが含まれる気がする。
だから「ヨソモノ」が生まれるし、「地域を捨てた」みたいな罪も生まれてくる。
確かに地域で何かするためには、まず人として関係性をつくることが最重要だと感じている。
けれど同時に、外からの視点や考え方が入ることも地域の未来のためには大切で。
きっと、役割分担なのだよね。
A. 地域のほんとのほんとに地元な人。
B. 地域で関係性を築きながら外とも繋がる人。
C. 新たな考え方と地域へのリスペクトを持って外から入る人。
とすると紫波での私はCから徐々にBへと移ろいできたけれど、つくばに帰ればAだし、他の地域へ行けばCの端っこなわけで。
一人一役じゃない。
色んな役割を、色んな立場を、色んな関わりしろを持ったらいいんだと思う。
煩わしい人間関係に苦しんだ幼少期、私がたくさんのコミュニティで色んな顔を持てたことに救われたように。
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誰もが所属や居場所をいくつも持って、それぞれで違う顔をしたらいいんだと思う。
したい暮らしもちゃんと追いかけたい
それから、今の私は自分の暮らしをも自分で縛っているように感じた。
今回秩父をまるっと案内してくれた怜生くんも、一緒に旅してくれた美果さんも、そして東京で会えたさとのば大学に関わる皆さんも、みんな色んな仕事を掛け持ちしてるパラレルワーカーばかり。
そんなよりどころがたくさんある人たちと会って話して、そうだ、私もそっち側じゃん、ってハッとした。
今、したい仕事ができていると感じる。
やってみたいことに挑戦できているし、ライフワークだってある。
けれど、したい暮らしはできていない気がする。
今は仕事が忙しくて楽しいから、恋愛はしばらくいいかなー、とか。
今は仕事が忙しくて面白いから、ちゃんと食事を作ったり適度に運動したりするのは難しいなあ、とか。
そうやって丁寧に暮らしを整えることを、どこかで他人事に諦めていた。
それは決して仕事のせいなんかじゃなくて、私自身が諦めさせていたのだなあ。
仕事が忙しいなんて、まるで誰かにアピールするように言い訳するのは、もうやめようと思った。
実は秩父に来るのは6年ぶりで、前は仙台にいた頃、一人旅で山登りに来た。
あの頃はとにかく暇さえあれば旅していたよなあ。
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当時はシフト勤務で連休がなくほぼ平日休みだったし、近くに友達もいなかったから、ひとりで行き先だけ決めてどこへでも行った。
紫波に来て、まちづくり界隈の人と繋がるようになってから、訪ねる先は格段に増えたのだけれど、旅=先進地域を訪れる=視察、みたいになってしまった。
目的のある旅は、狙ったインプット以外の学びが起きにくい。
もっと偶然で必然で、ご縁に導かれた出会いに溢れるセレンディピティな旅が好きなのに。
※セレンディピティ=偶然の産物、みたいなこと。
今回の旅は、怜生くんに会いに行くというだけの、かなり衝動的で前情報も少なく、いい意味で力が抜けたとっても気づきの深い旅だった。
大切なことを思い出させてくれた旅だった。
なんだかこれからの進み方が見えてきた気がするぞ。
もう、ほどくだけ。
自由に、身軽に、かろやかに。
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