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【自己紹介】私についてお話させてください。

皆さん、こんにちは。noteを見てくださりありがとうございます。植田麻友(うえだまゆ)と申します。2020年に8年務めた司法書士事務所を退職し、2021年に開業。2021年は私にとって大きな変化の年になります。それにあたり、noteも記事も準備していこうと思いますので、まずは私がどんな人間なのか。自己紹介をできればと思いますので、読んでいただけるとうれしいです。簡単な経歴は下記のとおりです。

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生まれも育ちも大阪

1988年、私は大阪の泉州地域で生まれました。有名なことだと、だんじりが盛んな地域です。ただ、大学生の頃までに私は4回の引っ越しをしており、実家がある地元というのがありません。そのためか、だんじり自体も地元のお祭りですがどちらかといえば、参加するのではなく観覧側。祭りに参加している友人を羨ましく思ったものです。では、私がなぜ引っ越しを繰り返していたのか。親が転勤族だったわけでも、引っ越し好きだったわけでもありません。貧乏だったからです。もっと丁寧にいれば、貧乏になっていたからです。

変化を感じる子供時代

はじめに暮らした家は一戸建て、その次は高級マンション、つぎは一般的なマンション、そして府営の団地。徐々に住まいは小さく、古くなっていきました。私の父は、建設会社を経営したのですが私が小学校低学年の頃から経営が悪化、そして倒産したと聞いています。当時はバブル崩壊後。負債の額は億単位です。それに伴い住まいは変化し、私の生活も変わっていったのです。ただ、母は子供の私たちに苦しいものをさせたくなかったのでしょう。そんな様子を出さず、小学校も中学、高校も私学でしたがそのまま通わせてもらいました。最近聞いたことには、母方の祖父母の援助もあってのことですが、当時の私はかなり鈍感でぼんやりとした子供だったので、父の会社のことも、ましてや父母が離婚していたことも小学6年生の時に母に聞くまで全く気付かなかったのです。それに、生活は確かに慎ましいものに変化していましたが、私自身それが全く辛くなかったです。おいしいレストランの食事がなくても、豪華な旅行がなくても、私は楽しかった。明日のご飯もままならず、お弁当におかずがなかったりしたこともありましたが、私にとっては友達とお弁当をシェアできる楽しいイベントでした。ただ、父母が離婚したと聞いたときはとてもショックだったことを覚えています。ただ、今思うとそのショックは自分が思い描く「理想の家族像」が壊れたという非常に自己中心的なショックでした。

考え方の変化、自分を変えたいという気持ち

両親の離婚を聞いた私は「勉強しなくては」と思いました。小学生の頃の私はあまり勉強もせず、決して頭もよくはない子供でした。勉強は嫌いではないですが、友達と遊んだり、部活動をしたり、習い事をする方が重要度が高かったのです。ただ、両親の離婚を聞いた後に思ったのは「父親でさえいなくなるのだから、誰も信用できない。自分で生きていけるようにならなくては」でした。かなり突飛な思考ですが当時の私は大真面目で、自分の将来の選択肢を広げるために勉強を頑張ることにしたのです。もちろん、元々頭がいい人間ではないわけですから、人よりも努力してやっと人並み。ただ、それも継続すると徐々に成果が現れ、その成果があることでどんどんモチベーションは上がります。正直、精神的にも不安定だった当時は「勉強」をよりどころとして、自分のなりたい姿となるために日々を過ごしていたのです。

大学入学、そして将来を固める

大学入学当初、私は「検察官になる!」と思っていました。法律関係の仕事に進みたいと思っていたのは高校生の頃ですが、法学部入学を決めた際に検察官がいいと思っていたのです。ただそれは、入学1か月ですぐに変わりました。元々、検察官の仕事もよく知らずになる!と思っていた経緯があり、実際に法学部に入学し、周りの人々の話を聞くと、「私には無理」と思いすぐに変更、その変更先が「司法書士」でした。とはいえ、司法書士の仕事も当時はよく分かっていなかったのですが。ただ、結果としてその選択は正しかったと今は思っています。(このあたりはすべて直感で動いているのが私らしいというか。再現性がないので人にはあまりお話しません)

誰かの役に立ちたい、それが「自分」のため

私が法律関係の仕事を志したのは、やはり「誰かの役に立ちたい」という気持ちが大きいです。父親の会社が倒産した時に、いや倒産する前に適切な助言をしてくれる人がいれば、それを知る機会があれば…。もちろん、そうであっても免れない可能性はありますが、適切な助言や知識、それを得ることができる人間関係やつながりがあることで変わる未来もあるのではと思っています。司法書士がもつ基本的な法律知識が誰かの役に立つことで、その人の人生の分岐を創りたい。私はそう考えているのです。実際、億単位の負債を負いながらも私が大学まで出ることができたのは、まわりに適切な知識を持ち、アドバイスをしてくれる専門家がいることで最低限の生活が確保できていたことが大きいと思います。ただ、この役に立ちたいは、「人のため」よりも「自分のため」です。私はずっと過去の自分に声をかけてあげたいとおもっています。何も気づかずにぼんやりとしていた自分を見ている。その自分に「それでもよかったんだよ」と言いたいがために私は「誰かの役に立つ」ことを求めているのです。私の今の行動が、誰かの未来を変える。そう信じているのです。

司法書士はきっかけだが、一歩踏み出せる資格

司法書士は年々受験者数も減り、AIの台頭で失われる業務も多いといわれています。とはいえ、司法書士(士業)に対する世間の一定の信頼もあるので、変化があるのはもう少し時間がかかるでしょう。私にとって司法書士の資格は私を構成する要素のひとつですが、すべてではないと思っています。今もそしてこれからも。

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