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今のところの、恋と愛の定義について〜たっぷりの後悔とともに〜

まさにこれだ…!
と書きかけて、下書きに保存したままにしていたものを、今日のうちに更新しておく。

下記の文章は、私のフォロワーさんの愛猫に対する記述で、それを人に応用するのは、もしかしたら読む人によっては失礼に見えるかもしれないけど(人によっては…?最近はそうでもないかも?)

私の心の中にいる大事な人が、自分にとっては「まさにこれ!」な存在だった。

“私はこの子が大好きだ、嫌われたくない、大事にしたい、という、ちょっと執着めいた感情をひっくるめて愛情だとしている。この子には私のことを忘れられたくないな、と思う気持ちごと覚えていたいし、猫にも伝わってほしいと思った。なんとなく伝わっているような気はするけれど。”

2人も大事な人がいるなんて、ずいぶん贅沢だなあ…、と何度も後ろめたく思ってみたけれど。

やっぱり、あの人の前では、まだどこか素直になりきれなかった。それは、嫌われたくない存在だからで、執着していた(いる)からで…。

向ける感情が、こういう形でなければ、もっと良かったのにな、としょっちゅう思う。後悔をこめて。

やっぱり恋なんぞ、するものではないよ…。本当にロクなもんじゃない…。嫉妬や執着、不安に恐怖…良くない感情ばかりに振り回されてしまって、思ったように振る舞えなかったから。そして、自分でもこんな自分がいたなんて!と思ったりするのが、恋愛という感情なのではないかと(恋愛と呼べるような経験は数える程ながらも)苦々しく、思い返す私であった…。

そういえば、現在のところ自認はデミセクシャル…だけども…片恋だけはやたらとしていているのが、自分という人間でもあって。
惚れっぽい自覚、ある。めっっちゃある。
ドラマ「恋せぬふたり」の咲子さんみたいに、うわーっと1人で盛り上がってしまうタイプなんだな…。
(ドラマでは、それを彼女は「恋」や「身体の接触と結びつけるもの」だと認識していないために、周囲との齟齬が生まれてしまう。逆に私は「恋」の基準が、ガバガバ過ぎるのだと、我ながら振り返ってみて思う。衝動性の固まり…。)

とにかく(それを恋と呼ぶのかは人によるとしても)「うわっ〜と盛り上がって」と気持ちを押し付ける形ではなくて、じっくりと言葉を重ねて合意形成を計れる余裕のあるところが、愛するという感情と恋愛感情の違いという気がしている。
(※今のところ、私個人の定義として)

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