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2025年放送大学に行くぞ?
2025年、私は放送大学に出願することを決めました?!
というところから新年をスタートしていきます。今年もみなさまどうぞこの支離滅裂なNOTEにたまに足を運んでくれたら嬉しいです。
さて、私はあまり運気の良くない数年間を送っているそうで?仕事運もあまりないし、実際スランプ気味だと思うのだけれど、外の世界に興味を持ち、学ぶという意欲だけは鰻登りです。そんななか、色んな占いの方々(算命学、西洋占星術、中国占星術等)から2026年までは動くなよと言われています。「え、スピリチュアル側の人間か?」となった人いるかも知れませんが、個人的に世の中のほとんどのことは人間なんぞがわかりきれるものではないと思っているタイプです。あと、世の中は理屈じゃ解き明かせないことで不思議なことがいっぱいなほうが面白いでしょ?と思っています。よって好きな映画はハリーポッターとかファンタスティックビーストとかで魔法の世界は大好きです(ヨーロッパには魔法学校があるんだって、面白そう!)
ということで今年は仕事よりも学びの年として学生の世界に戻ることにしました。ちなみにまだ入学許可はちなみにおりておりません。待ってろよ、私のホグワーツ!!(違)
大人になって学びなおすこと
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アメリカ社会の学ぶは年齢は問わない
社会人になってからの大学って日本ではかなりマイナーじゃないですか?日本の大学に社会人が戻ることというと、大体はMBAを取ることに限定されているような印象があります。
アカデミックな勉強という側面で考えると、私が人生で一番勉強したのはどう考えてもアメリカの高校時代です。毎日の小テストしかり、アサイメントしかり、シニアプロジェクトしかり、学校での課題にとにかく追われていた思い出が大学以上に強いです。そして高校の成績もGPA評価なのですが、これが悪いと進学の道自体が断たれてしまう。結構学習し続けるということが大体的に課されている気がします。
そもそもアメリカという国は学びに対してはハングリーであり、欲しいものには与えられるイメージがあります。50歳でも60歳でも大学に戻ることは決しておかしいことではなく、学びたいという意志と条件さえ揃えば良い、年齢にあまりこだわっていないのかな?むしろ、私はそういう感覚が大学にはあったんですよね、日本に戻るまでは・・・。
こんな私が放送大学に興味を持ったのは2024年の夏頃でした。仕事でご一緒している先輩で、まだまだ小学生と幼稚園生のお母さんとして現役のパワフルな方がいます。そんな彼女がキッズ2人と日本に一時帰国してきたときのの話です。彼女はとてもユニークな人で半分アメリカ人になっていますので、日本の普通とか常識とかをたぶん気にしていません。そもそも日本にいるときからお嬢様でぶっ飛んでいたような印象すらありますが、彼女から教えてもらうアメリカはいつも私の知らない色をしています。
そんな彼女のご息子はIQが非常に高く、少し発達障害が入っていると診断されているそうです。ある日仲良しのお友だちの誕生日会に省かれてしまったという出来事があったという話をしてくれました。日本であれば「仕方のないこと」で済むことなのでしょうが、やはり先輩は違います。彼女はその省いた親に直談判しにいったというのです。
結局、お相手様が弁護士で色んなことを言いだしたそうで、弁護士資格がないことが生活に不便がでると考えるようになったという先輩ご家族。不動産業で大成功を収めている旦那様が弁護士資格を仕事を休んで取得することを決めUCLAに進学することにしたと聞きました。まさにドラマのような展開ですが、旦那様は自分の事業をしながら寝ずに毎日勉強し、UCLAに入学するための専門のコンサルティングを付けてながら入学を準備したというのだから、そのパワーには驚きです。目的はどうあれ、私よりも10歳以上も上の社会人が、全く新しい分野を学び、資格を取るために大学に戻ることが普通に行われている。それがお金のためでもなく、自分が生きるために必要な知識であるという話だというのだから、学ぶという姿勢はどこまで行っても自分の目的設定できる意思とそれをやり遂げる覚悟に左右されるのだな思いました。
そう考えれてみれば、高校時代に出会った日本語クラスの先生方も、アメリカ人と結婚して無事に子育てに区切りをつけたからとか、人生の岐路に立たされたタイミングで大学に戻る決断をしたと聞きました。50を過ぎても教壇に立てる可能性があるというのですから、学びから得られるリターンも大きいですよね。そう、アメリカは学ぶに遅いことはない国なのです。
古くなる知識と思い出
そんな素敵な前例を見ながらも、今の私は大学生だったのは遥か昔、アカデミックな学習というものから足を遠のいて長い時間が経過しています。私は何も目的を明確にできぬまま、今社会人をだらだらやり続けているような気すらこれを書いてるとしてきてしまう。
実際、私がよくする「高校生だったときの海外生活の話」は大昔のお話。「学び」という点でお話しできることは社会人生活の中にもたくさんありますが、これまたちょっと学生時代の学びとは違うような気がします。
社会人の学びというのは、社会にいるための実践的なルールや職種の決まり事を学ぶことがメインです。学生時代の知識をそのまま活かすことができる仕事に就ける人はほんの一握りで、多くの人が無関係な仕事に就き、ゼロからその職種について学ぶフレッシュマンになるというのが日本の就職です。
年次が進むごとにその会社のルールに染まり、その組織の中で自分のキャリアパスが徐々に絞られていく、時期に「人事」「総務」「営業」などの更に特化した知識やルールを下積みして体得していくイメージです。
専門性を身につけるというのは学生時代の学習に比べると、より「地に足がついた」と言えば聞こえはいいです。しかし専門性を極めていくというのは時として総合力を諦めること、他の業界や業種のことは一切分からなくなることも多く、自分の任された部分だけが分かるようになるようになります。要するに、「自分の専門ではないこと」への知識は自ら学ばない限りは永遠に学習を終了することにもなりうるということです。だからこそ、アップデートされないアカデミックな知識というものが今の令和の時代に即しているのか、お子さまのいる人はまだ果たしてあの頃の知識や情報は生きているものなのか、などが怪しくなってくる。20年も経てば、大抵の場合は化石になることも多くあるでしょう。
自分が若い時はという考え方
音楽でもアニメでもゲームでも、漫画でもなんでもいいのですが、今の時代のものに触れていると自分の10代、20代と今では大きくその様子が変わってきていることに気付かされることがあります。でも、社会人になると新しい時代の人と触れ合う機会を奪われてしまうため、そういった変化を柔軟に受け入れることができないことがあります。頭が日々の業務でカチカチになっているんですよね。特に、自分たちが中堅で働く世界の常識は、自分たちよりも昔の人が敷いてきたレールなわけです、自分より若いリーダーの会社にでも入らない限りは自分が学ぶ側ではなく、教える側に立つので絶対的に若者は矯正される立場に無条件に立たされてしまいます。
自分に理解できないものは悪であり、矯正されるべきものである。
この思考に陥る中年世代は本当に多いです。そしてこういった人の多くはもう化石の知識と体得してきた経験が正義であると思っているので、新しいものを受け入れるという柔軟さをどこかに置いてきてしまっている人が多いような気がします。もう日々の業務をこなすことに一生懸命なので、自分のそれ以外の世界を受け入れる時間もキャパもない。仕方ないなと思います。
しかし、こういった自分の専門外に対してのアカデミックな学びを疎かにして「お金」「お金」「お金」と個人の利益に走る人が増えれば増えるほど、日本の政治や世界の宗教問題などに向き合える余裕が抜け落ちてしまう。どうして円安になっているのかすらも興味がなく、1ドルが今いくらなのかだけを海外旅行の前に気にして短期間だけチャートを眺めるみたいな人が増え、世の中の様子よりも他人様のスキャンダルに目が行くような社会になってしまうのかなと感じています。そういった学習習慣の低下、意欲の低下を次世代が背中で見ている。そして自分の子どもにも同じような流れが受け継がれていくことで、倫理観などをも徐々に劣化させていくのかもしれないです。
世界はいつまでも知っている世界のままではない
2025年1月、LAでは大火災が続き、多くの成功者と呼ばれる人が自宅を追われました。日本では某芸能人のスキャンダルが大体的に報じられて世の中が騒ぎ立てている裏側で、数々の法律が改正されようとしている。食糧危機になったら国が農家に直接生産の計画表の提出や指示が出せますみたいな法案が平成7年の4月から施行になるんですって。でもメディアは全くそういったことを問題視していないですよね。中年世代はテレビっ子がほとんどですから、こういったことをテレビが報道しないことには気が付くこともありません。実際私の親も知らないと思います。
マスメディアを専攻していた私からすれば、日本はそもそも憲法上は国民主権国家であり、この国で保有される電波の全ては公共のものとされているという大前提があるのは基礎知識としてあるのですが、昨今のテレビメディアがかなり政府に忖度した放送を続けていること、昔より社会問題に切り込んでいかない姿勢には何か大きな忖度が働いている気がしてなりません。
そもそも日本人自体が、戦後に意図的に作られたGHQ下の教育により大きく形を変えてしまったという話も、アカデミックな英語と世界史を学んだ上で読書を続けていれば自然と目に入る項目になります。「3S政策って知っている?」と聞くと大抵の人が知らない。むしろそういう話をすると「怖い」と思われてしまうことがあります。日本では歴史と政治や宗教のことを語ってはいけないとどこかで教えられている。こういった教育が「学ぶ」理由をお金稼ぎだけにしてしまい、あくまでも学ぶのは「受験」のためであり、「良い大学」に行き、「有名な会社」に入るためのツールに成り下がっているのかもと思います。
こんなに世界が争いに巻き込み合い、政治家や投資家、起業家が好き放題に世界でマネーゲームをしている。それなのに日本人は大谷翔平やその夫人のご懐妊に夢中で常にお茶の間がに賑わったりします。正直いって3SのSはスポーツのSであり、戦後の日本のスポーツの代表格は野球でした。だからまさに未だに政府とテレビメディアは3S政策を続けているのかもしれないです。私はそんなことないの!という人がいるかもしれませんが、パブロフの犬ではないけれど、ミーハーだったり、流行に敏感で熱狂的で冷めやすく、脳死でこれがいいと言われると没頭できるタイプを量産してきたのは日本のメディアの手法が秀悦だったのではないかと思うのです。
今の流行りはもっぱら止まらぬ物価高への不安のあれこれです。SNSでは将来の税金関連で子持ちが優遇されるべきだ v.s. 子なしは協力しろとか、税金で1000万プレイヤー v.s. 低所得者みたいなことを永遠にやってます。そしてテレビもそんなことを煽ってますよね。政府の税金の使い方を問題視すればいいのに、節約方法を必死で伝えている始末。結果テレビを見ている人たちも自分たちにどちらにしろ皺寄せがくるので文句ばかり。そしてテレビはその不安を煽るインタビューを流し続けているんです。あとは国が推し進めるNISAを無造作に進めてますが、NISAって日本のお金を外国に流しているんですよね。ますます日本は自分のお金を海外に流して自国を弱くする運動を国単位で推し進めていることには誰も触れようとはしないのです。
このように、学習し続けて与えられる情報をそのまま受け入れているのは、日本人はメディアの宗教に入信しているようなものです。世界は刻々と変わっているので、私たち大人がそういった知識を自らアップデートしていく意欲を持つ必要性はこれから必要になってくるのではないでしょうか。テレビやSNSからしか学びを得ない大人の背中を見せながら、若い世代に学習しろと迫るのはちょっと可哀想に思うのです。過去の知識や社会で日々向き合っている業務だけでは、多くの人が今の世界の流れを知ることさえできないと感じています。
放送大学ってなんだ?
入学試験のない日本の大学
ようやく放送大学の話に移れました!
学びに行くぞ!と決めれば必ずセットで考えがちなのが「受験」ですが、放送大学には受験というものがありません。(大学院に入学する場合には「受験」というよりは志望動機書と成績証明書がいるので受験があります)
放送大学とググると学割が使えてお得だから入ったらいいよ!といったマネタイズを理由に入学するという人もいますが、目的は人それぞれ。どちらにせよ単位を取る必要がありますから、社会人が改めてアカデミックな内容を学習する選択が気軽にできるのは良いことです。
また、何かしらの理由で学生時代に大学進学や卒業を諦めたり、当時は選択肢になかったが今は学習したいと考えている人にとっても、受験のない大学生活からの卒業資格取得というのは夢がありますよね。
在籍は最大10年間
社会で仕事をしながら学ぶことに不安がある人は多くいます。実際に、忙しすぎる社会人にとっては単位を一定スパンで取っていくことは難しいことです。放送大学は最大で10年間の在籍ができます。日本の大学が定める卒業単位124単位、1授業が2単位が多いので授業数にすると、あまり考え方として現実的ではないですが、62個の授業を最大在籍年の10年間で細々こなせばいつか卒業資格は取れます。
学費も手頃
社会人で学ぶにあたり決して無視できないのが学費、金銭的な部分です。一般的に通学を必要とする大学では多額の入学金を取られてしまいます。そして受験するにも受験料が私立だと4万弱かかります。このような受験料が不要なのが放送大学の良いところだと感じます。
放送大学には目指すゴールに向けて3種類の履修制度を設けていてそれぞれ入学金の費用も異なります。まずは通常の学生と同じように大学卒業を資格を目指す人に向けた「全科履修生」コース。キャリアアップや学習をしたいという方に向けた1年という期限を設けた「選科履修生」コース。そして同様の理由で1科目だけを受講したい人向けの「科目履修生」コースです。例外として集中科目履修生というのもあります。
また大学院に入学を希望する場合には上記と異なり、別途大学院用の受験方式がありますがここでは割愛します。金額の話は次に続きます。
全科履修生
大学を卒業するためのコースですが、大学を既卒の方の学びとしても受講することができます。大学卒業資格124単位を全て受講するために必要な金額は77万円だとされていますが、入学金は24,000円と破格です。ちなみに東大の入学金は28万2千円します。私の母校も私立ですが同じくらいの値段です。それに加えて1年目に払う総額は120万以上ですから放送大学4年分を1年目で超える金額になります。放送大学は受講する授業1科目につきテキスト費用込みで12,000円ですが、基本はPC環境下で授業を受けることになります。
選択履修生、科目履修生
こちらは一般的な大学の科目履修生に似ているような感覚があります。大学での授業は受けられますが、大学生としては公式に認められておらず単位の取得を目的としないコースです。私の母校でもありますが、聴講生に近い感覚でしょうか。学ぶということだけに特化するにはお手軽で、まずはこちらで入学してから全科履修生になることもできるようです。選択履修生は1年間で入学金は9,000円(1年間)、科目履修生は7,000円(半年間)とお手頃です。こちらも受講科目生なので授業1科目につきテキスト費用込みで12,000円です。こちらのメリットはとにかくトライアル感覚でできること、デメリットとしては正式な大学生ではないので大学卒業資格に繋がらないこと、また学割も使えないこと、半年ないしは1年しか在学できないことですかね。
放送大学の学部
教養学部教養学科
どのスタイルで放送大学に通学しても、この学科に入学することになります。文系だ理系だという分け方もありません。ただこの中にコースが6個存在し、その中に文系理系が混じり合っているというイメージです。私は今このどのコースに入学願書を出すのか迷っている最中で、このNOTEも半ば自分のために書いています!
大学に通った方はイメージしやすいかもしれませんが、一般教養科目(通称パンキョー)と学部専門科目の中に、それぞれ必修科目があるというのが大学のイメージです。具体的に言えば一般教養の中から必要単位分の科目や必修科目を組み合わせて何単位か取得します。そして学部専門科目(文学部英文学科だったら英文学科専用の科目)を何単位か必修科目を組み合わせて選択していきます。更に、教員免許を取得したい人はその教員免許取得のための必須科目を取得する必要があります。社会福祉士とかの資格を取る人たちはこうやって複雑な履修科目をしっかりこなせた真面目な人たちです。
私の場合はこういった複雑な思考は一切せず、必要な科目を必要なところから取得することだけで必死でしたし、必修科目も帰国子女のくせに英語科目で落として下級生と一緒に再履修するという悲しい4年生になりました。いまだに卒業できないかもしれない夢を見るくらいには悪夢でした。
放送大学も大学卒業資格を取得したい場合はこの例外ではないと思いますが、私の場合はこれに該当しないのでここからは追加で学ぶ人のことを中心に書いていきますね。
教養学科の6コース
生活と福祉コース
心理と教育コース
社会と産業コース
人間と文化コース
情報コース
自然と環境コース
上記がコースの名前6つです。
一般的に選択する時に気をつけろと言われているのが基本的な理系の知識を必要とする自然と環境コースと言われています。化学、物理、微分積分などの高校卒業レベルの知識を平気で必要としてくるような授業が多くあり「⚫︎⚫︎入門」の入門の基礎レベルが高すぎるという口コミを見ます。情報コースもC言語、Physonなどのプログラミングの知識があると専門性が高まるような授業もあり、既存の知識がある程度あって更に学びたい人に向いているというような口コミもありました。そりゃ大学だからね、高校卒業程度の知識は必要ですよねってことで気軽にチャレンジしてみるかにはハードルが高いかもくは調べたほうが良さそうです。
日常に親和性があるという意味では心理と教育コースを選んでいる人が多くいます。心理学や教育学、現在の教育についての課題などの社会問題にも心理学の分野から切り口を入れていく、教育関連の仕事の方や子育てをしている方には親和性があるかもしれません。少し大変そうですが、心理系の資格を取る道にも繋がるので結構受講している人が多いイメージです。最初にいった専門的な知識を必要とする2コースよりもテストの難易度も低く、しっかり勉強していればスコアが取りやすいという口コミもあります。
同じように日常の生活に親和性が高く人気なのが生活と福祉コースと言われています。ここではしっかり学ぶと福祉系の資格を取得する道があります。社会福祉士とかが例でしょうか。高齢化社会に向けて福祉について現行の課題を認知し、仕事に活かしていくという点では想像しやすい分野になりますね。最近、私も注目している食の安全とかもここで学ぶ授業があり魅力的に思っています。
私が個人的に大好きなのが歴史、文化、国際みたいなところなんですが、正直あまり仕事に繋がる知識ではないんですよね。そういう分野を学びたい人向けに設けられているのが人間と文化コースです。哲学、美学芸術、歴史学、地域文化研究、文学、言語文化、人類学、比較文化などの広い領域を学ぶことができるのが魅力で、一般的に言われるパンキョー、一般教養をひたすら学んでいくというイメージです。大学らしい!とても良い!!でも私は何をこれで仕事に活かす知識にしていくんだろうか、分からない!
そして最後が社会と産業コースです。実はこれは結構難しいみたいなんですよね。というのも法律、政治、社会、経済、経営、会計、環境、デザイン、農業、工学などの広い領域を学びながら、社会とどうやってこのような分野が密接に関わって社会が成立しているのかを考えるコースであるので抽象的であることも多いんだとか。社会活動とその課題に目を向けるので、お金に直結する科目も多く、自ら会社を起こしている人が楽しいと思うような知識のアップデート、現状の課題を一般教養として学び直すには良いコースだと言われています。私お金の勘定とか苦手なのと、投資とか経営とか経済とかミクロだマクロだどーのこーの、苦手なんだけど学ぶべき?
学ぶなら今が出願期間
2025年4月入学の願書は現在受付中
回し者でもなんでもないですが、放送大学へのアプライは今がチャンス。出願の締め切りは第一期と第二期の2回です。第一期は2025年2月28日(金)で第二期は3月11日(火)です。もちろん第一期に申し込むほうがいいのでしょうから、気になる人は入学願書を取り寄せてみてください。
インターネット出願はできまずが、必要書類を提出しないといけないので必要なものをしっかり確認していきましょう。
提出が必要な書類
大学既卒の方は高校か大学の卒業証明書の原本が必要になります。海外の大学を卒業された方も受験ができるようですが、その場合は海外の大学の卒業証明書の原本が必要になりますので取り寄せに時間がかかりそうです。
昨年(2024年)度入学までは卒業証書のコピーでも良かったそうなのですが、これが今年度入学(2025年4月)以降、この制度は完全廃止になって証明書の提出が原本に統一されたそうです。
巷の知恵袋的なところでも提出書類の話はチラホラあって、そもそも卒業証書と卒業証明書は何が違うの?みたいな議論を見かけました。卒業式とかでもらうのが卒業証書で、卒業を証明する書類を学校側に問い合わせて発行してもらう書類は卒業証明書ですので混同しないように注意が必要ですね。
そんなわけで、卒業証明書を取るにあたり、私の出身大学はIT化が進んでいてインターネットで無事に取り寄せができました。運転免許書等のデータが必要なので、書類系はいつでも早め早めにやるが吉です。
あとは願書に自分の写真が必要みたいです。顔写真データ(縦30mm×横24mmの比率で登録します)ということなのでデータで大丈夫そうなんですが、もし実物がいい人は出願書類の郵送時に写真を同封してくださいということ。もちろんインターネット出願になるのでメールアドレスは必須です。
2025年に学びたいこと / まとめ
新開校の授業を学びたいかも?
放送大学の開校科目については飛んでもない量があるので、自分で興味のある授業を探すことに時間が必要になります。ただ、私は新しい知識が欲しいので今年開校の授業で面白いものがあればいいな!なんて思っています。授業の紹介に放送大学のYOUTUBEチャンネルも参考になるので新開校の授業を見ておくのもいいかもしれないです。
ちなみに授業科目(シラバス)はWEB上からも見れます。
また進展があれば書いていきますね!
2025年もよろしくお願いします。