東南アジアとアメリカで暮らした感想
*この記事は個人の経験を基にしており、主観をだいぶ含むラフな投稿です
はじめに
南アジアに4年、東南アジアに4年、そしてアメリカに3年住んだことがある私。幼少期の南アジアを除けば、現地での生活を経験したのは中学生から社会人にかけてなので記憶は比較的鮮明だと思う(ただしとても古い)。
特に中学時代の記憶は正直アップデート必須で、幸いにも社会人になってから隣国に住むチャンスがあったこと、そしてその国でも多少ビジネスをする経験があったので、比較的新しいこととしてお伝えできそうだ。
これから書くことは、あくまでも東南アジアとアメリカ生活を経験した帰国子女の一人がこんな風に考えてたんだねくらいの感覚で目を通してもらえると有難く、もちろんフィードバックも大歓迎!
私が見た東南アジア
東南アジアと私の接点
私が東南アジアという概念に初めて触れたのは中学1年生の冬だ。初めての海外生活も幼児期の南アジア生活を除けば、ここになる。幸いなことに社会人になり仕事に行ったことで、東南アジアの爆発的な近代化を目の当たりにする機会にも恵まれた。私にとっての東南アジアはノマド生活するにはダントツのお勧めの場所になっている。
歴史的にも深い繋がりを持っている東南アジア
親日家が比較的多いだろう東南アジアは、生活コストもリーズナブルであることから、多くの日本人が気軽にアクセスする国が多くある。そして、これらの国々は歴史的にも日本と深い関わりを持つ。
日本は第一次世界大戦、第二次世界大戦と、アジアに結構な強硬な具合でお邪魔した過去を持っている。一度はイギリスとともに、もう一度は皆さんも勉強した通り、第二次世界大戦では派手に侵略と殺戮の歴史を作った。今となってはその時代を知る世代も少なくなったし、正直この歴史を日本教育ではあまり深く教えることもない。相手の国にお邪魔するとなった場合には、相手国との歴史や関係はざっくりでも理解をしておく努力はしておくことは大切だし、海外で暮らす人に徹底されてほしいマナーのひとつだ。
食生活が最強
海外生活において最も重要視されるのは食生活だと言っても過言ではない。東南アジアは私たちの「胃」の健康を確保しやすい。醤油やソース、そしてスープといった物の文化が似ている。日本でも親しまれている食材も手に入りやすく、食べ物が欧米に比べて胃に優しい。これは東南アジアに住む大きなアドバンテージだと思う。
上記に加え、ここ10年で多くの日本の巨大チェーン店が上陸しており、日本食に困らなくなっている。ドンキ、マツキヨ、昨今では業務スーパーが進出。SOGOや高島屋、伊勢丹などもある。モス、吉野家、ミスド、スシローにしゃぶ葉、モーパラ、あげればキリがない外食チェーン店の数々、日本式の美容サロンや脱毛、ネイル、アイラッシュなど。。。日本に近い感覚で暮らせる都市も増えていることから、現地の言葉が喋れなくても問題なく生活できるレベルになってきている。
物価は軒並み上昇中
シンガポールを筆頭に、隣国であるマレーシア、タイ、インドネシアも昨今は富裕層が爆発的に増えてきている。都市部では高級車のランボルギーニやロールスロイス、フェラーリを運転手付きで乗り回し、お金持ちはヘリコプターやプライベートジェットを保有している。ショッピングモールのバレーパーキングエリアには常に高級車が並んでいるし、ハイブランドには入店の列ができている。こんな光景が常に見られる場所が日本にはあるだろうか。とにかくお金持ちを肌身で感じるほど経済活動に活気がある。
一昔前のように「物価が安くて感動!」の東南アジアの顔は影を潜めている。というより未来と伝統が同じ街の中に混在しているイメージが強い。
特にシンガポールはすべてのサービスが高級になりつつある、オーチャード通りは歩いても歩いてもハイブランドが並んでいて、安くてうまいものを見つける楽しみは一昔前よりなくなった。東南アジアのハブ空港とも言われるチャンギ空港を歩いてみるとその理由も一目瞭然で、巨大な滝のエンターテイメント施設に日本では見られない免税店や免税品店と日本と比較する対象にならない発展ぶりだ。その行き交う人の多さと眠らない空港の様子に、世界中から物と人が絶えずに入ってきている様が見て取れる。
東南アジアの衛生事情
大前提として日本の衛生レベルは世界でも上のランクに君臨しているに違いない。個人レベルの潔癖レベルも非常に高いと思う。近年、急速にラグジュアリー施設が増えている東南アジアも、個人の衛生意識が上がってきているように思う。
1) 例えばトイレ事情
日本のようにどこにもかしこにもウォッシュレット、便座がほっこり暖かいなんてことはまだ実現してはいないものの、高級モールが立ち並ぶ東南アジアではトイレのレベルも確実に上がっていて、高級ホテルのトイレもそこそこ綺麗。ただし、どローカルエリアや高速等にある公衆トイレは日本人が受け入れられるレベルではないので避けておくのが無難なときも。屋外のトイレは避けて綺麗なモールなどのトイレを見つけたら積極的に利用しておくなどすれば問題なし。正直なところ、日本も郊外にある屋外トイレは臭くて汚いし、欧州や欧米のトイレも汚いところは汚いので、これは東南アジアに限った話ではなさそう。
2) 飲食店が汚いは昔話
なぜか日本では汚いと思われがちなアジアの飲食店。シンガポールの屋台は厳しい衛生検査があり、日本のチェーン店でゴキちゃんが走ってたなんてよりは断然綺麗だなんてことも!劇的な近代化の波が押し寄せていて、お金を出せば出すだけ素晴らしい環境が確保されていて、普段の行動範囲で食事をするのであれば問題ない。大抵、駐在員の方はモールやホテルで食事を済ましていることが多いのでは?食べる場所や食べる食事処も収入によってある程度棲み分けがされているし、欧米に比べれば大抵のお食事処も比較的安価に利用できる(シンガポールを除く)。
私が見たアメリカ
全く違う価値観を受け入れながらタブーもある国
出る杭は打たれないし、無駄な我慢は望まれない。その割にマナーやTPOは幼少期から求められがちなアメリカ。資本主義社会が日本よりも顕著で、お金持ちと普通、そしてそうじゃない人の住む世界が完全に見えない壁で隔てられているイメージ。医療は生きる基本パック+αなので、受けれる人の範囲が制限されているのが日本と大きく異なる点だと思う。
何事も主体性がないと始まらない国
私の拙い高校時代に限っても言えることは、教師は私たちをコントロールすることは少ない。時間割や時間の管理などは個人の裁量に任されており、日本の大学のシステムが高校で採用されている。クラス分けなどもないので、カウンセラーに用事がある場合には自分で予約を取って進路の相談などを行うので、こういった自主性を尊重したサポート制度が充実している。
基本的には、自分の意思で集まった集合体が集団であり、集団のために個人を殺さないし、集団でいるから甘えていいみたいな感覚は賢い集団に入れば入るほどなくなる印象だった。あくまでも、賢い集団っていうのが特徴で、仲良しの友達だから全部何もかも一緒で共有するというよりは、敬意を持つといった具合。違う価値観を尊重しながらも、その自分が決めた環境のルールやマナーは重視されるので、やってはいけないこともそれなりに多かったように思う。
正直、州ごとで見せる顔が違う
アメリカを一括りにして考えることはとても難しい。正直、州によって法律や制度が異なったりする為、州ごとに違う国に来たんじゃないかと思うくらいには印象が異なる。田舎だねぇ、都会だねぇとかいうざっくりした日本の感じではないというとわかりやすいだろうか。
私が学生時代を過ごしたペンシルバニア州アレグニーカウンティーはど田舎で野生動物と共生するような緑に囲まれた自然豊かな場所だ。鹿やリス、七面鳥、道路ではスカンクが野生み溢れた姿で道路や裏庭を横断している。どこに行くにも車がなければ生きていけず、バス便もまったくよろしくない。日本の田舎はイオンがライフラインのように、アメリカの田舎のライフラインは巨大モールとCOSTCO、そしてプレミアムアウトレットだ。
一方NYC、CA、NJ州などの都会組はどうだろうか。日本食や紀伊國屋、ブックオフ、カラオケ、日系塾がある。交通手段は、地下鉄やバスがあるので親がいなくてもお友達と遊びに行くことが可能だ。何をするにもお金さえあれば困らない物量はまるでその田舎とは異なっている。今では、大戸屋も一蘭もあって日本食も充実してきているというから驚きだ。
公立に行ったとて平等な教育は受けられない
学校がドラックで溢れている、スタンガンをもって暴れ回っている奴がいる、授業が授業にならないなど、地域によって学校のレベルは様々なのもアメリカ。義務教育は高校までの12年間で、その間に一度も入学するための受験はない。だから基本的には住む州や学区でその人の学力を大きく左右するのも特徴で、お金がある人はお金持ちの学区に住んでいたりボーディングスクール(全寮制の私立)に通うので、貧しい地区とお金持ちの地区がはっきり棲み分けされている。
私の住んでいたペンシルバニア州は田舎だけれど、教育はそこまで悪くなかった。周りの子のお父さんは、会社員というよりは、お医者さん、研究系、弁護士、起業家、学校の先生などホワイトカラーが多かったし、何よりも学年に黒人1人、アジア人2人、インド人1人みたいな感じで、ほぼ白人構成だったため差別が酷くて精神を病みそうになったことも。(詳しくは次へ)
人種差別は無くならない、それは仕方ない国
アメリカの歴史は差別と奴隷の歴史だと言っても過言ではなく、そもそもアメリカがどうやってできた国かを知ればそれは明らかだ。ここはまた知らない方は勉強してみると良いと思う。特にこれからアメリカに住む予定のある方が知らないで住んでしまうと「国民性」を合理的に理解することができないかもしれない。
先にも話した通り、アメリカは州ごとでも雰囲気が大分異なり、特に東海岸と西海岸で人の様子自体が全く変わる印象だ。そして隣国のメキシコに強い影響を受けている州も南部にはあるのは移民が盛んなところだと思う。
どうしても避けて通れないのは、肌の色で人の上下関係をつけてきた長い文化と歴史から未だ脱却できない人たちが多くいることだ。政治家でも平気で肌の色にこだわる人がいるし、宗教差別も存在している。宗教が違えばお友達にならないみたいな子もいて、自分のアイデンティティーを日本人よりも自然に認識しづらい分、肌の色でコミュニティーを作り、自分たちの人種を鼓舞し合う文化がある気がする。親が国際的な立場にいる人だと途端にそういうバリアが外れたりする子供に出会うことがあるが、内陸の田舎じゃ期待しない方が無難だ。日本でも同じで、少し田舎に行けば昭和の香りを感じることができる閉鎖的な環境に触れることができるときもある。
安全ではないし、銃文化がすぐ隣にあるよ
日本でも最近は銃に関わる事件が増えてきて物騒だなと思う。しかしながら、アメリカの銃はもっと身近なところにある。誰が銃を持っていて、誰がスタンガンを持っていてなどは分からないけれど、いつどこで誰が発砲してもおかしくは無いような文化で間違いない。
街歩きをしたいのであれば、そのような対象にならないようにハイブランドは身につけない、歩きやすく走りやすい格好でいることを心掛けたい。もちろん、全てを車移動する、ないしは車をチャーターするなどでドアtoドアで生活するのであれば問題はないけれど、日本人は日本の感覚で高級ブランドを身につけて街歩きをしてターゲットになりやすいのは欧米も東南アジアも同じだろう。安全を求めるのであれば、日本にいるのがいいなと思うけれど、私はなぜかどの国にいても狙われないので、やはり不慣れ感を出さないこととハイブランドを持たないことは身の安全を助けることになるので、大切だなと感じる。
最後に
東南アジアに住むと、アメリカに住んでいた時よりも安心するし自然体でいられたように思う。アメリカでは常に毎日が戦いで、気もたっていたので顔がどうしてもキツくなった。でもその分、学びも多く、今何か仕事で人と交わるときに多様性を受け入れられやすく、違いを認めやすくなった。精神的な成長、自立、他人との分離という観点ではいえば、アメリカの生活は必要なものだったと思う。そして何よりも、家族を大切にすること、親や大人に敬意を持つことなど、日本では軽視されることが海外のどの国においても重要視されているということを学べたことは双方に住んで良かったことだと思っていて、複数のリジョンに跨って生活できたことで共通の思考であることも確認ができた。複数の国で生活をする、そして違った立場で海外生活を経験することは、世界観を大きく変えるきっかけになった。
また細かいエピソードなどがあれば別途NOTEで紹介していきたい。