帰国子女が上手に生きるためにできること
だいぶ悩み苦しみ時間を頂戴しましたがやっとできましたので公開します。
何か不明な点等あればコメントください!
このNOTEの目的と背景
前回のNOTEは、「驚きの感情に着目して日本でも上手に生きていく」
という題材で書いていました。
今回のNOTEはそれの前準備的な内容になっています。具体的に言うと、私の経験に沿った帰国子女がよくある日本で暮らすことへの葛藤と、それを咀嚼していく過程について一例としてお話ししています。特に「自分が日本に適合できていないのではないか」といった葛藤については、年齢と経験を積み重ねることで変化が見られていく様が感じられると思います。こういった変化が前回のNOTE「驚きの感情に着目する」と言うヒントを生み出したことがわかると、前回の私が書いている内容の理解精度が高まるかもしれません。
なにより、同じような環境で苦しんだり考えたりしている方が、私の経験録を通してご自身の感情や経験を振り返る機会を設けるきっかけになれば嬉しく思います。また、これから帰国する人、大人の階段を登っている最中の方はこういう感情に出会った時に攻撃的になったり、苦しまないためのヒントにしていただければ嬉しく思います。
そして、私のような帰国子女を持つご両親に対しても意識して書いた内容になっています。自身が全く経験したことがないことを経験しているご子息やご令嬢の心理を理解することは正直とても難しいものです。と言うのも我々人間は、自分の経験の範疇を越えていることを的確に理解するのが苦手な生き物です。例えば、どれだけ本で勉強しても、毎日スクールバスに乗るわけでもなければ、アカデミックな授業を多感な年齢の仲間と共に生きる経験を想像することはできても実体験として寄り添うことは難しいですよね。更に困難なのは、言語能力が未熟な年齢のお子様ですと、その不安や現状を上手に親に言語化できず感情的になりますから、親の理解度の精度がどうしても鈍ってしまいます。
親業を海外で行うことだけで本当に重労働だと思います。そういったご両親にこのNOTEを通して、大人になった帰国子女がどのように自身の経験を考え、苦しんだのかに目を通していただくことで、ご自身がどのようにお子さまを効果的にサポートできるかを考える良い機会にしていただければ嬉しく思います。最後に、新規でこのNOTEにたどり着いた方には自己紹介ページにリンクが飛べるようにしています。
それでは、Let’s get started!!
このデコボコした感情は何だろう?
永遠に満たされない、自分がフィットしないという感覚
日本に帰国して10年以上が経ち、私もすっかりおばさんになった。大学時代以降の思い出がほぼ日本産なわけだが、未だに自分が日本に適合した感覚があまりない。だからと言って、他のどこかの文化に完全に適合できる自信があるわけでもない。どのような表現が当てはまるのかはわからないが、まるで宙ぶらりんのような感覚を常に持っている感じである。
それこそ若い頃は、私の居場所は日本ではないと信じきっていたし、そうであってほしいと願っていた。なぜなら日本にいると何か常に窮屈で、なにより物事が陰険に見えて、そして閉鎖的な人間関係に疲れ切っていたからだ。組織に属せばいつもやり方や体裁ばかり気にしていて、一向に結果に結びつけようとしない。非効率的で形式ばかり重んじて物事が進まない、自身が日本のこういった文化に精通できないのだと信じることで、自分の生まれた国と上手く付き合うことから避けていた。そして親もそれに「帰国子女だから」「海外で少し他の子とは違う教育を受けているから」といったあいまいな言葉で合意してくれたことで、これからどう生きるかを考えることからすごく長い間目をそらしてきたのかもしれない。
日本人である自分と、そうでない自分
少し考えてみれば分かることなのだが、私たち帰国子女はどうあがいても日本人であり、日本人として生きていくことをどこにいても忘れることはできない。実はこの簡単な事実に気づけずに拗らせている人は結構多いのだ。
私たち帰国子女の両親の多くは、純粋な日本教育をベースに育った人だ。その家庭に生まれ育った私たちは、基本的には家庭内のすべてのことを日本式で学ぶ。特に、小さい頃は言葉の意味や意図を汲む能力も拙いので、考えることよりも生まれ持った五感で感じて学び、人としての生活の基礎を身につけていく。長い年月を費やして刷り込まれていった先にあるのが潜在意識、いわゆる無意識的な物事への思考だったり所作となる。
その代表格とも言えるのが食文化だろう。大人になる過程で日本以外の国に身を置いたとしても、おにぎり、納豆、うどん、お味噌汁みたいな感覚は変わることがないし、具合が悪くなればオートミールよりお粥がいい。そんな感覚を国籍を意識せずとも忘れることは難しい。
これにまつわる話として、アメリカ時代にお世話になったとある日本人ご夫婦の話をしたい。居住を米国に移して50年以上、身振りもまるでアメリカ人のような方たちだった。帰国後も長らく母との交流が続いていたものの、ある日突然、奥様が脳卒中を起こしお体がうまく動かなり老衰してしまった。まだまだ米国の田舎で特定の日本食を手に入れるのは難しく、母と銀座木村屋のあんパンや日本の足の速い食材を持っていった時の話だ。
半日以上かけて田舎町に届いたあんパンや日本食を目の前にした彼女は、麻痺でうまくもう話せないのに体を起こして歓喜の声をあげた。そして涙ぐみながら「おいおい(美味しい)」といって頬張っている姿を覚えている。もう食も細くなり、まったく施設の食事を取らなくなってしまったと嘆いていたご家族が驚きを隠せないほどの食べっぷりだったようだ。娘さんは何度も何度もハグでなく会釈をして感謝の意を母に伝えていた。拙い日本語と英語を混ぜながら母親が好きだった日本の歌謡曲を歌ったり、自分がどういう教育を両親から受けてきたかなどの思い出を話をしてくれた。それは紛れもなく私の知っている「日本らしい教育」だった。娘は完全にアメリカ人として生きてはいるものの日本の文化を無意識に身につけている。こんな姿を見ていると、私たちは例え日本を離れて違う国の住民となって生きていく未来が合ったとしても、日本人であり続けるのだなと思うのである。
一方、後発的に養う感覚となれば少し話が変わってくる。私たちは保育園ないしは幼稚園くらいから徐々に集団生活の中でコミュニケーションや対人スキルというものを教え込まれる。基本的に対外的なコミュニケーション能力というものは、親ではなく学校教育の中でその基礎を作り上げていく。だからこそこの基礎の部分を日本以外の国で学ぶ、ないしはつまみ食いのように日本と日本外でそれを学んでしまうとチグハグが生じてしまう。
これがその子の対外的な気質であったり、集団に対しての感覚だったりにギャップを生む、結果として私たちが日本文化に戻る時に生じる対集団組織とのいざこざを生み出してしまうようだ。
自身の経験から言うと、中学高校時代の部活動などの先輩後輩文化などが日本社会の基礎になっているようだが、こういった文化は米国では存在しない。私は中学は東南アジアの日本人学校を卒業し、高校は日本と米国公立高校にミックスで在籍したのでこの「おかしい」を頭と感覚で理解することができたものの、それでもその後の社会人経験では、より多くの刺激を受けた高校生活の記憶を振り切ることができずに苦しんでいた。この苦しみはおそらく、日本教育の元で集団生活を続けていれば生じなかったものだろう。
自分が受け入れられなかった日本社会と文化
今度はいまだに受け入れにくいと感じる部分の話をしてみたいと思う。
日本は集団的主義で何事も大体は年功序列だ。コニュニケーション面では奨励するよりも是正が得意で、褒める言葉よりも励ましたり耐えたりする言葉に対しての表現が多い。よく言えば慎ましい、しかし日々の仕事が否定や是正を基本に成り立つ様に閉塞感を感じてしまう。それに加えて、いつまでも結論が出ない会議、ただ拘束される時間、自分の業務が進まない苛立ちなど、下っ端になると上司に時間を奪われてプライベートを捨てることを自ずと望まれがちな旧体制の日本の会社にはうんざりさせられる。
都市部に限られるのかもしれないが、街中は皆が暗い顔をしている。笑顔よりも仏頂面が目立ち、皆は猛スピードで何かに追われるように街を歩いていく。マンハッタンもそれに近いが、肩がぶつかったりすると最近では舌打ちをしたり、押し返したり、当たり屋みたいな人もいる。「すみません」という当たり前の言葉がなく、車内はみんな席取り合戦で老若男女関係ない。
何よりも普段から若輩者は学ぶことだけが一方的に課されて、年長者や上長に意見を求めらることなどほとんどない。磨くスキルは拝聴スキルと言わんばかりに聞き専、聞き流しスキルが向上する。自分が心地よいと感じていたインタラクティブなコミュニケーションが日本ではあまり好まれていない。
一番多感な高校時代に、自分でリサーチする題材を決め、スケジュール管理をし、それをプレゼンし質疑応答するという訓練を受けた。まずは結論を設定し、そこに向かう道筋はどう作るのか、何を自分はハイライトしたいのかなど自分の頭の中をアウトプットする楽しみと同時に、そこにくるリアクションやフィードバックが刺激的だった。そういった部分が全く抜け落ちてしまったような、権利を剥奪されたような、そんな気持ちに長い間悩まされることになった。
更にそこに加わる日本女子の役割
実際、いまだに仕事をしているとこういったところでうまく人と折り合いがつかないことが多く「生きづらい」と感じてしまう。更に(JTCと揶揄されるけど)Traditional JP Companyに属せば、顕著な男女不平等という障壁が立ちはだかる。飲みニケーション、喫煙室で行われる煙トークなど、とにかく男性が多勢で優位であり、あれだけ学生時代までは実力主義だった入試、試験に対して平等についた成績も、社会では評価の基盤が揺らいでしまう。これは正直、どの国にもある不都合な事実だろうと30代を超えて理解しているので、何も日本に限ったことではないとは思う。ただし、日本社会の基本姿勢として男性を健気にサポートすることが女性に求められる役回りというものがあり、不思議と女性もそれを理解し喜んで実践する節がある。また、お偉いさんが出席する飲み会では、そのお偉いさんが男性であることから率先して「若い」女性がとにかくお酌を任される。気分はホステス、キャバクラ?よく分からないけれど、正直こんな仕事であれば大企業に勤める必要がないし、競争社会を勝ち抜くフィールドが違うのでそんなスキルも持ち合わせていない。好きでもない飲み屋、ないしはレストランに連れて行かれるために日程を抑えられた挙げ句、言い値の会費を払い、よくわからないおじさんにお酌して手を握られたり、恋愛事情を聞かれたり、おじさんの自慢話を聞きながら愛想笑いをするためにこの会社に入ったわけでもない。だいぶ先輩の女性社員に目をやると、助けてくれるわけでもなく「私も若い頃は大変だったわ、今よりもっと大変だったの」と日本昔ばなしを話される始末だ。そして次の日はまたみんなしれっと業務に戻る。上司はまた上司らしく、部長は部長らしく、社長はまた雲の上の人になる。
こういった凸凹感情は海外思考に変わっていく
このようなどうにも処理しずらい感覚をモヤモヤと持ち続けてしまうと、人は自分はここが居場所じゃないと信じたくなるのかもしれない。与えられている当然の権利が行使出来ない。有給が取れない。セクハラまがいの上司の言動に耐えたり、理不尽な客に無条件に頭を下げて菓子折りを持って謝罪に行くのが責任だと言われる。何でもかんでも「謝れ」「下っ端が悪い」と皺寄せを受け反論することも許されない。なのに大抵の上司はその責任を取らないように逃げることが上手で向上心もないので出世も転職もしないので組織が変わらない。そんな日本社会の当たり前を横目に私は複数の職種を点々とすることとなる。今の場所が悪いのかもと一抹の望みにかけて大きくキャリアチェンジを繰り返すも、結果的にそれは日本という国の中で行われるキャリアチェンジであり、しかも日本企業直下なので意味がないことにうっすら気付いたのは30代に入ってからのことであった。
私が変わっていった経緯
ローカルと肩を並べた海外生活
このまま不満を抱えて生きていくのか?漠然とした不安と共に海外に飛び出したのは30代になってからだ。人によっては「遅い」というかもしれないけれど、私にとっては適齢であった。ある程度経験して考え抜いてから海外に行くという意味ではだけれど…。
そんなこんなで飛び出した先は東南アジアだった。日本と同じアジアでありながら日本ではもう見ない光景が広がっている。それは街まるごとが未来へのエネルギーを爆発させているといった印象だ。一方で無数の交わる宗教と文化がお互い我関せずと同居しているという単一民族にはなかなか理解できない不思議な空間も広がっており、今までの経験からは理解できないこと、解決できないことに向き合う機会となった。
何より興味深かったのが自分の思考だった。自身が最後に住んだアメリカという国がどのように日本以外の国で見られているのかに初めて触れる機会にであったのである。まず、私の英語がアメリカンアクセントが強ぎる、更にネイティブ英語ではないので分からないと大不評を食らった。更に、使う単語や言い回し、一部の単語のスペルアウトの仕方が違うと現地のスタッフを戸惑わせた。アメリカで英語を学習した人はアメリカ英語が世界で通じて当たり前だと思うだろうが、実際の世界ではイギリス英語を使う人が大半で、アメリカ英語とイギリス英語には結構な差が生じている。そして、よく日本で言われている本当の英語というのはどこの英語を指すのか、それはきっとアメリカ英語ではないんだろうなということを身をもって知ることになる。
あんなに日本の窮屈な文化を煙たく思った私も、東南アジアの時間にルーズな文化には最後まで慣れることはなかった。10分程度の遅刻であれば連絡すら必要ないし、10時の始業は席に着いていれば優秀で、基本は座席で朝食を食べ始める時間だったりする。「日本だったらこんなのあり得ない!」と文句を永遠に垂れ流している自身にふと気が付いた。自分の中には確かに日本人としての気質と生真面目さ、そして正確な時計が刻まれていて、異文化を受け入れる懐が思ったよりも小さいのかもしれない?と。
日々の生活の不便さは日本にはない。時間通りに来る電車、スピーディーなレジ、故障しないエレベーター。夕方仕事が終わって家に帰るときに、マンションまでの道に穴があり、気を付けてそこを避けて通ったり、家に戻ってシャワーを浴びるためにタンクヒーターのスイッチを付ける必要もない。必要な分だけお金さえ払えば永遠に暖かいお湯がでる。日々の当たり前が担保されない生活と、食中毒やデング熱などの心配をして生きる自分のサバイバル能力は高まっていった。短い時間ではあったものの、毎日をエネルギッシュな街で一生懸命に生きた日々は刺激的で、ただあと10年、20年続けられるか?といわれたら不安に思う。きっとこれは欧州に行けば欧州の苦労が、アメリカに行けばアメリカの苦労が、中東に行けば中東のと自分はどこでも何かしら苦労していきることになるだろう。だって日本は安くて安全で整備されていて、これ以上コスパの良い国はないと思うからだ。何より、人種として、マイノリティーとしての不公平さ、そして理不尽さを乗り越える必要がない。それは税金や、公的手続き、選挙、いろんな場面で気づかされることになる。
フリーランス経験という新しい働き方
現在、私はフリーランスとして細々とチームと働いている。フリーランスという職にまさか自分が就く人生があるなんて思いもしなかったけれどこの生活にはそこまで不満はない。ただ、正社員、契約社員、フリーランスと就業形態を変えていったことは、この日本社会においては「出世」「世間体」という意味ではマイナスであることは重々理解をしている。一般的に、有名企業の名刺を持って自己肯定感をぶち上げるみたいな幸せが肯定化されてきた世の中だ。実際、私の大学の友人は圧倒的にそちら側の人間が大多数で、なんだか自分が横道に外れた不安に襲われることもある。
でも今は心から思うのだ。大切なのはそこそこ生きられれば良くて、生き方はいちいち人と比べることではないと。第一、私には出世意欲がなく、自分らしくいたいと願う。そうしないと胃カメラは行きになるのも経験済みだ。もしかすると、そう思っていたいのかもしれない?が、実際のところはあとまだ何十年か生きてからではないとわからない。ただ一つ言えることは、いろんな生き方をある程度経験して、一番私らしくいられているという事実が今あることだ。
フリーランスと一言に言っても本当にその幅は広い。今一緒にいる人は、所謂大企業で名を馳せて、本に名前が出るくらいのブランド主義みたいな経歴の人もいるし、そんなものには目もくれず自分の専門性を持ち、自分のコネと力で営業として何社も渡り歩いて独立した人もいる。5ヶ国語話者、MBA保持者、某元社長、外国人帰国子女、家業をやりながらの副業などバックグラウンドも様々で、生き方も本当にそれぞれだ。一緒に働いている仲間の大半は50台以上でみんなお互いの肩書きに縛られないし、相手を肩書きや地位で縛ったりするのはくだらないと思っている。私より若手プレイヤーはフランス人で日本語が流暢で漢字も読める。微妙なニュアンスも理解するので、日本語で話してもいいし、英語もいける。フランス語は私ができないのでいつもフランス語で話して茶化される。こんな調子で、相手をコントロールするといったことに興味はなくアットホームでハッピー、協力する余裕がある人たちの個人事業主が集合して海外の企業が日本でビジネスできるようなサポートをしている。
こういった働き方をすると、仕事とプライベートの境界線が明確で、自分の担当範囲を責任逃れをするような人はどんどん淘汰されていく。一緒に働きたいと思えるひとがチームに残されていく。一方、討論というか、意見のぶつかり合いが激しいのはたまに疲弊する。いずれも良い結果を生み出すために必要な議論であり、各々が育んだ文化と教育が異なるので突発的に「自分の当たり前」が通じずにブチ切れたりする人が出るときがある。正直、若者はびっくりするのだが、おじさんの仕事への熱量というかパワー、やってきたことに対してのプライドがすごいなという感じだろうか。自分の美徳やこだわりが強いので、たまに面倒くさい。しかし、何はともあれ結論を出さないと許されないのが会議なので、最後はなんとなくまとまる。会議が終わってしまえばまたみんな普通の会話ができる。私はこのような環境の方が連帯責任で永遠に大縄跳びするよりは合っていると感じている。
海外の多様なビジネス文化に触れる
本当にそうだろうか?
私のチームには、フランス人、イタリア人、EU界隈を30年ビジネスで周回しきた帰国子女社長、アイルランド人、アメリカの企業の元日本支社CEOなど多様なバックグラウンドの人がいる。そしてコテコテの日本企業営業上がりの人もいるし、一緒に働いているのはアメリカ人、カナダ人と本当におもちゃ箱みたいな集団だ。
短いながらも社会人生活を重ねてみると、日本の有名企業や海外での勤務経験、欧州や欧米の会社と仕事、東南アジア諸国とのビジネスはそれぞれ若干毛色がちがうものの、基本的には「資本」が必要で、そこにはお金を出す人とサービスや物資を提供する側がいて、これの天秤加減で成り立っている。
従ってその天秤を崩さないよに多くのグレーゾーンは発生するし、クライアントの気分を害さないための言い回しは万と存在する。正直それが英語になるとYESもNOも無数の言い回しが発生し正直とてもわかりにくいなと感じる。相手を真っ向否定するような言い方をすることはない。むしろ、年功序列やお客様根性文化がある日本の方がストレートときもある。例えば「あ、無理ですね」「あ、それパスです」とかそういった語彙力の足りない高学歴の方は無数にいて、不快にさせるコミュニケーションが横行しているのは日本語のほうが経験している。
意外なのは上からの指示は基本絶対という姿勢を貫く欧米人は普通にいる。長いものに巻かれろというやつだ。それに加えアメリカだと完璧に利益を追求する、いわゆるお金をくれないなら意味はない文化であるので見切りは早いがそれは上長にゆだねられる。そしてできない人への「次頑張ってね」という情状酌量文化はない。最近は会議もAIで全部議事録がとられるなど、ITを取り入れるスピードが日本の会社よりも格段に早い段階でやってくるので、タイピングできないおじさんは基本いない。常に会議では最初こそ無駄なショートトークはあれど目的を明確にして結果を出そうとする文化があるようで、常に誰の責任でどう物事が動くのか明確にされがちだ。実際、今のチームも人が出たり入ったりが突然あって誰も何も説明しないので結構シビアな世界だと思う。転職する人は本当に突然なので自分のクライアントの引き継ぎもサクッとしてサクッと消える。本当に無責任だなと思えるくらいにプロジェクトの途中であっさり辞めてしまうのだ。それでも、転職には元職場の推薦状がいるので結果は常に残さなければならないし、無責任というのは日本のケジメ的な話なだけで必要なことはしていく。
そこに加えて、どんなに忙しくてもファミリーを大事にする文化とバケーション文化がある。権利を施行して消えていくので、日本のように常にお客様はクライアントを捕まえる権利があるだろうから休むなよといったことにはなりにくい。育児やファミリーイベントにも忠実なので、彼らは突然休むのだが、だからといってそれを誰かがフォローするというわけでもなく、どちらかかというとそういったことも含めて仕事が止まるのを見越した上で、結果の帳尻合わせを個人に任される印象がある。
学生のときの私は、こういった海外との仕事のシビアさだったり冷たさだったりするところを学生だからという理由で経験せず、子どもという特権を振りかざして海外を経験してきた。日本は子どもが先生を大人をなめ腐っている印象があるが、海外は徹底的に守る代わりに徹底的に罰を渡して力加減を明確化させる。そういった守られた社会で一定の制限を渡されて甘やかされていたということを心底思い知らされたのが社会人というフィールドである。英語の発音は確かに悪いとバカにされがちだが、それ以上に英語の発音はいいけど中身がないほうが恥ずかしいことを知る。それが私にとっての帰国子女人生の学びであり、次に続く経験の棚卸をすることに繋がっていく。
棚卸という作業
こういった経験を定期的に振り返って自分の掘り固まった脳みそを和らげる作業をする。それが棚卸しという作業の話である。
自分の見える世界は本当に自分の知識の中で収まり切るのだろうか?これは日本に限って言えることなのだろうか?どちらかを美化しすぎてはいないだろうか?
そういった自分自身の頑固親父になりかけの頭をこつんっと叩きながら、蜘蛛の巣が張りそうな思い出たちを引っ張り出しては、本だったり人だったりを介してそれらを冷静に分析していく。そんな時間が頻繁にあると、自分の美しい思い出に「依存」して誰かを傷つけなくて済むことも多い。
「昔の私の時代はこうだった!」と大人はよくいって子供をうんざりさせる。それを知らない人にしてみれば、だから良いだとか悪いだとかの判断を自分のあれこれに向けられてくないものだ。同じように、私達海外をかじった程度のものが、何かにつけて「海外では」「日本はダメだ」などと決めつけてぐだぐだ語るのも同様である。本当に考えて抜いて出た言葉でなければ、相手に不快感しか残さない。それを防ぐには、どうしても相手を説得するためのロジックが必要で、独りよがりな語りにならないための作業を伴う。それが経験の棚卸しだと私は思っている。
自分なりの仮説を立てそれを立証しよう
この棚卸をたくさんできる時間があるのは学生の頃しかない。それは自分のために使える時間が山のようにあるからだ。社会人になればそれがまずなくなり、自分の時間は希少なものとなる。だからこそ今自分の思っている生きやすい世界についてはある程度した下調べをして立証しておく必要がある。もちろん適宜修正する方が、今後の人生において時間も労力も節約できる。どれだけ考えたか、どれだけ棚卸できているかで自分の人生が格段に生きやすくなるのである。何となくその日暮らしで生きていると、これからの時代は特に後戻りが難しいのではないだろうか。
自分の性格を理解する
日本ではよく自己評価、多面評価といった具合に言われる。自分のことは自分が一番よくわかっていないことも多いので、複数の人から自分のことを聞いて自分をより理解するといったようなところである。良いところ、悪いところというのが一般的だけれど、あまり悪いところを聞いても仕方がない。帰国子女の場合は、自分が変わっているなど相手が感じるところを聞いてみるとそれがヒントになる。あとはもう既にNOTEで書いてあるけれど、相手を驚かせたエピソードなども聞いておくと自分が理解しやすい。
そしてそれを元に自分が好きなこと、嫌いなこと、興味があること、興味がないこと、日本の好きなところ、苦手に思うところをリストアップして、なぜそうなのか、相手がどうしてくれるとやりやすいか、それを実現できるところはどこなのか、果たして本当にそうなのかを出来る範囲で想像したり調べたりする自走練習をしておくことは棚卸に繋がっていく。
この作業をしていると否が応でも自分の生き方を振り返ることになり、自分がどうすればハッピーになれるのかを考えざるをえない。これは親が歩ませたい道と違うことがあるかもしれない。これを大学入試、就職活動らへんで修正できるとその後の人生がアジャストしやすい。これを私のように30代まで引きずってしまうと女性は特に辛いのである。
私が棚卸して選定した自分の道と学び
バランスを取れる場所は母国
今まで自分が生きてきた中で最大に自分らしく生きられる方法はなにか。それは多分、日本気質な企業の色々が必要のない環境で、日本をベースに生きていくことだ。というのもこれは、自分の棚卸をする中で技術や専門性が自分にはあまりないので世界から評価されにくく、また海外で戦い抜くほどのバイタリティーももうこれといって残っていないことが挙げられる。更に、自分はやはり家族が大切でそのメンバーは皆日本におり、祖父母や両親も年々年を重ね健康面でも放っておけるタイムリミットは短くなってきているということが気がかりであるからだ。実際、どんだけ嫌なことがあったとしても海外に比べて基本的な医療制度や技術やコストは日本が安定しているし、マジョリティーとして日本人で生活すれば日々差別や文化の違い、食文化の違いに苦しむこともない。総体的に考えれば日本の住環境は群を抜いて今のところは良い。労働環境という部分では有限な時間や個人への尊厳、家族やプライバシー、プライベートの考え方は欧米文化の方が受け入れやすいため、そう言ったところを自分がどのように生きやすいように仕事を探していくのか。そういったキャリアパスの選定はこれからも自分で悩みながら進んでいけばいい。
棚卸から学んだ、海外かぶれは無知ゆえだったということ
海外に行けば自分が嫌なほど日本人であることを知るし、あちらの文化が自分の文化として無意識に認識されるまでになるには、相当日本との縁を断ち切るくらいの覚悟がないと難しい。簡単にいうのであれば、日本に親族がいる限りはそれは難しい。私が考える居づらさ、心地悪さはだからと言って我慢して生きていく必要もないが、それを全部「日本のせい」として考えるのは己の無知がゆえであったことを痛感する。実際に海外で就職した経験、海外の会社と今仕事をしている経験、チームメイトが日本人以外である環境でタスクをこなしていく経験を振り返ると、海外には海外の面倒臭さがあり、文化的、宗教的に無意識で五感で体得する経験をしなければ完全には相手側になることはできない、というよりもなりたいと願っても難しい。それは日本大好き、自称日本人の外国人が日本人として振る舞うものの、結局は日本でどのような扱いを受けるかを見ていれば分かる。
大切なのは、自分が日本を毛嫌いしてしまったり、生きれない場所と切り捨ててしまうことではない。自分が生きやすい環境を自分で確保するために相手を知り、違いを言語化し、更に今まで得た知恵を絞って最短ルートを考えていくことだ。
働くということは性差に悩まされ続けるということ
これはバリキャリ思考の女性に言えることかもしれない。私はまさに結婚して男性をフォローする立場に回るのが苦手なタイプだ。だからと言って、今実際に海外赴任をして子育てをしている知り合いの女性みたいにパワフルに生きられるかは自信がない。海外勤務を通じて、夫を日本に置いてというキャリアウーマン的な女性とも数名知り合ったが、その暮らしは家族を巻き込んだサバイバル事業なことも知っている。何とも女性が男性のように働くというのは大変なことらしい。こういったことになぜもっと早くに気づけなかったのかと思うときもある。仮に今、学生時代に戻れるのであればおそらく同じキャリアパスを描くことを望まないだろう。女性が長い目で見て、男性と同じように活躍できるフィールドをもっと広い目で選定したと思う。正直、女性が重宝されるポジションや職種というものも確実に存在する理由は今の私であれば悔しいけれど理解ができたりする。
もしあなたが、働くことには正直そこまで興味がなく、良い学歴を積むことでいつか良い条件の男性と結婚したいと思う人は昭和的な線でこれからも走り続けてそこまでズレはない。ただし、そうではない帰国子女の勝気な女性のみなさまは、自分が長く働けるキャリアがどう得られるのかを真剣に考えてみよう。変な話だが、良い大学に入れば親は両手をあげて喜んでくれる。そして就職活動も有名で安定した企業に就職すれば最初は喜んでくれる。しかし、あなたがキャリアに邁進している20代中盤を過ぎたくらいから、急に親は自分たちの婚期を心配し始める。仕事をし過ぎて婚期を逃せば、親戚はそれを突いてくるし、周りの同級生の結婚ラッシュに胸騒ぎがする。そして結婚したと思えば30代、義夫婦も含め老人組は子供を期待する。結局、女性としての幸せと企業で社会人として生きる二足のわらじという厳しい現実にぶち当たる。こういった当たり前に想像できる仮説は本当に存在していて徐々に企業が育休だなんだと制度を整えているが、人のメンタルというのはそうそう変わらないので気まずいという気持ちは抱え続けることになる。何が自分にとっての幸せか、女性は大変だけれど考えておくことも大切なことである。
英語を売りにする日本人は日本語能力も必須
日本人であることを一切アドバンテージとして活かさない集団でワーカーする以外であればここを押さえておく必要があると思う。第二言語こそ人よりできるが、自分の国の言葉が海外風となり非常に不愉快な日本語を話すビジネスパーソンによく出会う。不愉快というのは日本らしくない言い回しや、幼稚で強いワードチョイス、下手すればカタコトで日英を混ぜてしまう、直訳など特徴がある。「私日本語があまり得意じゃないんです」とかえってそれを自慢げに話す彼らは同じ帰国子女からしてみると恥ずかしい存在に他ならない。彼らは日本の企業にいる人からその海外風で信頼されない。
残念なことに社会に入れば3ヶ国語、4ヶ国語話すビジネスパーソンは結構いて、その人たちは複数カ国で仕事をし、その子供が帰国子女だったりする。そういう人たちから見てみれば「質の悪い社会人」なので馬鹿にされる存在になる。結構、バイリンガルでも両方の国の言葉を貪欲に学習し続けてバランスを持って仕事をしている人が多い。どちらかと言えば、日本人であることを主張するのであれば日本語ができる方が、取引先や同僚としては好まれるのである。私が言いたいのはとりあえず、日本語が不自由というのは大学生までの言い訳に留めた方がいいということだ。本当に言語を売りにできる時代はもう終わりに近づいている。早めに自分の日本語力はブラッシュアップしていくに越したことはない。そして英語も大人な言い回しにシフトしていくには日々の学習が必要不可欠、私も日々恥ずかしい思いをしながらビジネス英語にシフトチェンジし続けているところだ。
生きるに必要なのは想像力と多面的視野が最強スキル
人生の予定なんていうのはすぐ変わるもので、その度に軌道修正ができる力を磨くのが人間活動の最たるところだと思う。要は、大人になった時に脳みそが自走できるようにした方がいい。親をあてにしない、だって彼らはじきに私たちを置いて去る存在である、帰国子女は親のファイナンシャルに頼りがちな面があり実は結構ここを忘れがちだ。
何かにぶち当たった時、例えばこの部分はこっちが良くて、ここの部分ではあっちが良くてと想像する力は人生の経験に比例する。そしてこうしたらこうなって、こうするとああなってしまうかも?というような多面的な視点からいくつの場面を頭の中で創り出しリスク管理をできるようになるか。これができる人は人の気持ちをミスリードしにくい。ただしこれに必要なのは、外国語の能力でもないし、大学名でもない。大切なのは世界共通で求められる協調性、空気を読む能力、多様な経験値である。
こういったところは国の文化などにあまり左右されないんだなと感じている。多国籍のチームで話していると「お互い違う」ことを意識できる人が大勢いる。しかしながら、年齢を重ねると自分語りが増えてしまう。これからの若者がこういった高学歴なインターナショナルおじさんを上回れるのは柔軟性と知識だと思う。自分語りをいかに不快にさせないように全ての国籍の人が聞きやすい話に変えられるか。これは国際的な経験と知識が必要だからだ。こう言った具合で、要はいろんな視野角を持ち、経験を持てるようにライフプランニングした方が自分の生きやすい世界を確保できる。これには一定の努力がいるようである。
棚卸する前に今からできること
分かって「ほしい」から「いこう」に思考変換できるか?
自分が選んだ道でもないなのに
どうして私だけがこんな大変な目に合わないといけないのか?
これは大抵の帰国子女が一度は感じたことだろう。
そんなわが子を親も可哀そうに思うので、物質で満たす、いわゆるトリートをあげようとする。こういった甘やかしを受けた私たちは、その不満を不満としてとらえることを当然の権利だと考えるようなりがちだ。
結果、その「なぜ私だけが大変なのか」というアプローチを周囲にもするようになってしまう。「現地校の宿題もするのに日本の勉強もしないといけなかった。日本にいる子供より私はすごく大変だったんだ!」と日本で主張する子どももいるだろう。他の子どもからしたらそれは知ったことではない。
しかし、私たち帰国子女と親の多くは「私は可哀想であなたたちよりも何倍も努力してきた。だから私に特別な対応をしてほしい」と他人にも求めがちである。もちろん教師は努力したとしても、クラスはというとそうはいかない。そうなると「なんで分かってくれないの?」といった思考に傾いてしまい大衆から受け入れてもらえなくなるだろう。
大切なのはこの「分かってほしい」と思う気持ちが抑えられないとき、相手の立場も一緒に想像する癖を普段からつけておくことだ。「分かってもらえないなら、あっちはなんで分からないんだ?」と言った具合に自分と他人ビューをセットで持つ自分を作ることだ。そして質問してみるといい「〇〇ちゃんはなんでそう思うの?」と。相手の立場を受け入れようとする姿勢から相手の思考がわかるようになれば、自分の意見と対比ができるようになる。そして平和に向けての交渉ができるのだ。
基本的に、どこに暮らしていても良い友達を作るれるかは相手ではなく自分次第である。相手にどうやって「わかってあげたいな」と思ってもらえるような言い方ができるのか。「わかってもらおう」とすると同じくらいに「わかっていこう」という姿勢をポーズでもとれるかは大切だ。これは実際、小学生でもできる子はできる。それがお育ち、家庭教育だろう。「〇〇ちゃん痛かったと思う」「〇〇くんも嫌な気持ちだったと思う」という言葉がでるのは相手の気持ちを想像できるということで、普段からその練習が日々の生活において身についているということだ。できる人は小さい頃にできているし、できない人はずっとできない。でも総じて、人はそういった相手からの歩み寄りが見えた時に(これは大人になってもそうだが)相手を理解しようとする生き物だと思う。
残念なことに、大人になるにつれて頭はどんどん固くなってしまい、自分を守り、正当化し、相手を攻撃するようになる。そんな大人が「自分がやられたら悲しいよね、お友だちも悲しくない?」と子どもをしつけるのだから人間は不完全なのだけれど、だからこそ差が生まれやすい。特にアメリカ人はこういった感情移入がとてもうまいので、たくさん言い回しを知っているなと感じたのは高校生の頃である。そういう相手をケアする英語が沢山あるのだ。それも棚卸で知れたことで、自分も英語を話すときは自然にそれが出るのに日本語だとまだまだ練習が足りない。
こういった学びの機会をあなたもたくさん作ってほしい。そうして自分と自分の大切な人が幸せに生きられる自分らしい道をいっぱい選べるような人生にして欲しいと思う。幸せはお金だけれはないけれど、やはり生きていくためにはお金が必要で、そのためには社会に属さなければならない。私がなかなか上手く進めなかった、だから同じ思いを私と同じ経験をした人はわざわざ経験しないでうまく乗り越えてほしい。
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