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不妊治療経験者にもいろいろなタイプがいる
今回、一部の不妊治療経験者への毒が混じっています。苦手な方はUターンしてください。
夕べ、NHK「クローズアップ現代」で
「子どもがいない」が言えない... 広がる不妊治療の陰で
という特集をやってたので視聴しました。
不妊治療経験者の心の傷に焦点を当てた内容で、
誰にも言えずに一人で苦しんできた人や、
支援団体に参加して、当事者同士で想いを語り合うことで
救われた人など、リアルな事例がいくつも紹介されていました。
ただ、同じ「不妊治療経験者」といっても、
その経歴や背景は十人十色。
心から「この人には子どもを授かってほしかった」と思う人もいれば、
「え~……それはちょっと、どうなの?」と思う人も。
後者は、ほかの番組や雑誌でもたびたび見かけるのですが、
「若い頃は子どもはいらないと思っていた」
でも、
「40代になって、もうチャンスが残り少ないとわかったとたん、
急激に子どもが欲しくなった」
という人。
正直なところ私は、
こういう人たちにまで配慮する必要があるのか?と思ってます。
(家庭の事情や病気など、特段の理由がある人は除きます)
人間も動物である以上、妊娠や出産に適した(可能な)
時期というのは限られている。
若いうち(比較的簡単に手に入るとき)は見向きもせず、
歳を重ね、入手困難になったら欲しくなる。
子どもはバーゲンセールの商品じゃないです。
こういう人が、本当に親になる心構えがあって治療を始めてるとは思えない。
じゃあ訊くけど。
自分が若い頃、そういう理由で駆け込み不妊治療を始めて、
高齢が理由で失敗続きで、「なんで私がこんな目に遭わないといけないの」
と嘆いている人がいたら、同情できましたか?
私はできない。
もし自分が同じように駆け込み治療をしていたとしても、
問題は自分の見通しの甘さにあり、
それを他人に理解してほしいとか、配慮してほしいとは思わない。
受験申し込み直前までほかのことをやっていたのに、
〆切間際になっていきなり難関校を受験したくなって、
いきなり勉強したって、現実は厳しいし、誰からも同情されないでしょう。
なので毎回、こういう人たちの話や、周りの配慮のなさへの恨み節を聞くたびに、相当な違和感があります。
番組でも、若いうちから治療を頑張ってきた人たちと一緒にしちゃいけないでしょ、と。
だって、若い頃(余裕で産める時期)は子ども欲しくなかったんでしょ?
その頃は自分のやりたいことを謳歌して、必死に子育てしてる同世代の女性たちを「別世界の人」と見てたわけでしょ?
40を過ぎて、子どもが入手困難になりそうでプレミアがついたから欲しくなったんでしょ?
だったらその結果も含めて、自己消化するしかないんじゃない?
なんで他人に同情や配慮を求めるの?
不妊治療でお子さんを授かった矢沢心さんも、インタビューでこう言っています。
やはり早い段階で不妊治療に踏み切った判断や、夫が私の好きなようにさせてくれたことは正しかったんだなと。
いまではこういう発言も批判の対象になるのかな。
「40代で治療を始めた私は愚かだってことですか?」とか。
医学的、人体(母体)の機能的にはそうだと思います。
そして、矢沢さんの発言は傲慢でもなんでもないです。
不妊治療について、若いうちからしっかり勉強していた結果だと思います。
受験にたとえるなら、矢沢さんはいわば、難関校の合格に向けて、早いうちからコツコツ勉強してきた人です。
それをしなかった人間が、こういう発言だけを取り上げて、
「高齢で不妊治療に苦しんでる人に対して、なんて配慮のない発言」という方がよっぽど傲慢だと思います。
最終的に子どもをもつ、もたないより、そういう自己中心的な考えになることで、その後の人生の質も下がってしまうように思います。
念のため、私が上記のように感じるのは、先に注釈したように、特段の事情もなく40代になってから慌てて駆け込み治療を始めた人、そのうえで周囲の配慮のなさを嘆いている人だけです。
もっと若いうちから真剣に妊娠を考えて行動に移してきた方々には、よりいっそうの敬意と配慮が必要だと感じています。