顔のはなし

社会人になってから思う。愛嬌って最強のスキルだ。仕事ができまいが頭が悪かろうが、結局愛されキャラがいちばん大事にされているように思う。10代の頃は、そういう雰囲気だけで他より要領よく生きている子に対して理不尽だと腹を立てていた時期もある。しかし、とりわけ互助精神や信頼(と同調圧力)を前提に成り立っている日本社会では、人に好かれる素質・技術はURレベルのカードだ。今は何の疑問もなく、それを持つ人を尊敬している。

かくいう私は愛嬌が皆無の人間で、それが悩みでもある。新卒の研修中に、自分の長所と短所を言い、同じテーブルのメンバーにアドバイスを貰うというプログラムがあった。そこで言われたのが
・何でも自分でやろうとする
・人を頼るのが苦手そう
・関わる人に点数をつけてそう←失礼で草
=「めいさんにはもっと愛嬌があるといいね」

確かになあ。上下関係が宝塚レベルの学校で育ったからか、大学一年生のときは初対面の相手への敬語が抜けずに、慇懃無礼な態度になっていた自覚もある。卒業までに敬語+ときおりタメ口のリアクションを挟む、という技は身につけたはずだったんだけど、それでは足りなかったみたい。挨拶や礼儀は弁えてるつもりだし、陰キャの私は率先して場を仕切ることもない。にもかかわらず、周囲が私に感じるとっつきにくさの原因は何だろう……と考えて、一つの可能性として思いつくのが

そう、顔。怖いんだ、私の顔。
この前、近所で母とすれ違ったときに言われた。
「顔こわ!!!能面みたいな顔で歩かないで」
あー……真顔が怖いっていうので逆に笑いをとってたことあった。中高のとき。
真っ白で表情がなく、とりわけ目がキツいとのこと。

👁️  👁️
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↑本当にこんな顔して生きてるらしい

言われてみれば、今までの人生で目に言及されることが多かった。太陽に当たるとかなり薄くなるからか、琥珀色だと外国人に褒められたり、キラキラしていて希望に満ちている(なわけ)と大人に褒めてもらえることもあったので、自分の目はわりと気に入っている。一方で、動きがなく(瞬きが少ない?)人形みたいに一点を凝視しているようで威圧感がある、とも言われる。どっちも初対面の人に指摘されるのが8割くらい。よくも悪くも、パーツのなかで印象が強いのだろう。

表情を豊かにするのは難しい。不自然になってしまい、正直どうしていいかわからない。上手にやらないと、ただのヘラヘラした人になってしまい、結果として信用度が落ちれば本末転倒だ。ただ、この顔面凶器をカバーして愛嬌を生む軽快なトーク術は残念ながら持っていない。

愛嬌教室とかないのかな。わりと本気で通いたいんだけど。

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