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不器用すぎて自己開示が下手

「不器用すぎて〇〇」シリーズになりそう。
以前は不器用な自覚はなかったのだが、考えてみるとよく物にぶつかるし落とすし挟まるし、そういうSe劣等的な鈍さは確かにある。友人・知人の枠組みの人たちにどう思われているのかは知らないけれど、身内からはドジの扱いを受けている。そのたびに「家庭科の成績良かったから不器用じゃないよ!」と否定していたものの、最近になって認めざるを得なくなった。

諸々の行動に表れる不器用さについては、正直そこまで悩んでいない。個人の特性みたいなものだ。自覚があるなら工夫すればいい。

問題は人間関係における不器用さ。すこし前に書いた記事とも重なる。

人と仲を深めるにあたって自己開示は必須。相手を知ることだけでなく自分を知ってもらう。趣味や出身地などの自己紹介の王道から、過去の失敗談や家庭の事情まで内容は様々。ここまでは話せるという自分のなかの境界も、聞き手の受容度合いも人それぞれ。だから難しい。

「〇〇さんと話してたんだけどさ、Mayさんってミステリアスだよねw」
「秘密主義っぽいから心の壁を感じる」
職場の先輩から10年来の友人まで、いろいろな人に指摘されてきた。前者に対しては(まあ仕事の関係ですし、あまり興味持たないでほしいです)、後者へは(そんなつもりないんだけどな)とかえって寂しくなった。

相手に心の壁を感じさせないように自分が思っているよりプライベートな話もしよう、と意識することもある。あとは相手の開示具合や場の雰囲気にのまれて暴露することもある。

しかし帰宅して冷静になると異常に後悔することが多い。距離感を間違えたかな、相手は引いてないだろうか。もしかして弱み握られた感じ?……ああ、恥ずかしくなってきた!全部なかったことにしたい。
この後悔を避けるために気をつけると、何も話せなくなってしまう。
0から100まで、その間の開示度合いの良い塩梅を自然に把握することができない
これが私の不器用さ。←アナザースカイみたい✈️

原因は元々の資質だけではないと思う。
思春期に、その場しのぎの付き合いしてこなかった弊害だ。深い関係を避け、誰からも好かれも嫌われもしない人に自ら徹していたことの副作用。損得勘定に支配された罰。だから、私には対人関係のデータが足りなすぎる。大人になってから困るのは自業自得だ。

MBTIや16 Personalities、エゴグラム、Refind Self。いろいろな診断ツールを使ってみると、感情的な能力の乏しさを往々にして指摘される。文面だけ見るとサイコ味があって、小学生の自分なら厨二的自己陶酔で満たされていたかもしれない。

さすがの私もそんなフェーズは過ぎた。何の才能にも恵まれない凡人がサイコパスぶるのは痛いだけ。大人の私は他者に寄り添える人でありたいし、寄り添ってもらえるに値する人でありたい。

試行錯誤しながら経験を積むしかないのだろう。

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