日本では売れなかった美声
Judee Sill ジュディ・シル (フォークソング)
もろくて儚い人生と、木漏れ日のような美しい歌
------ Judee Sill -----
彼女は1944年にオークランドに生まれ、小さい時に兄と父が交通事故で亡くなりました。母親が「トムとジェリー」のアニメーターと再婚しましたが、その義父はアル中で暴力を振るう男でした。ジュディは10代で家を出てヘロインを覚えます。
Judee Sill - Crayon Angels 1971
恋人と一緒にガソリン・スタンドや酒屋を襲ったり、麻薬の代金を得るためにハリウッドの街角で売春を繰り返していました。不渡り小切手詐欺で逮捕され、矯正プログラムを受け、施設内の教会のオルガンに出会います。そこでゴスペルを習ったのが音楽との出会いとなります。
退院後、才能があって音楽コンテストで優勝しますが、再びヘロインで逮捕。結婚した相手もドラッグが原因ですぐに亡くなりました。彼女の音楽の聖地である刑務所(成人になっていたので)でピアノ、ギターを習い、出所後、西海岸に戻りました。その後、タートルズに加入し、ジュディ・シルという名前を知らしめるきっかけとなりました。しかし、タートルズは直ぐに解散。その後、ジャクソン・ブラウンのデビューの準備をしていたアサイラムのデヴィッド・ゲフィンに出会いクロスビー、ナッシュの前座となります。
Judee Sill - Lady-O
彼女は、ジャクソン・ブラウンやJ.Dサウザーのデビューより前の1971年に「judee sill」として世に出ました。カーペンターズがグラミー賞をとった年でもあります。
教会で習った音楽の影響もあり、フォークと宗教音楽を融合したような彼女のアルバムは、当時の時代背景もあって高い評価を得ました。1973年には2作目の「Heart Food」を発表しましたが、インタビューでデヴィッド・ゲフィンがホモであることを暴露してしまうという事件が起き(笑)、それに怒ったデヴィッドにHeart foodのプロモーションを一切行わないという仕打ちをされ1stアルバムよりも売れないという結果になりました。
そしてジュディは忘れ去られました。
不運は続き、交通事故に遭った彼女は、背中を痛め後遺症に悩まされるようになります。犯罪歴のある彼女は、合法的な鎮痛剤を処方してもらえず、街角で麻薬を買う中毒患者に戻ってしまいました。そして、1979年11月23日に社会に認めてもらう事が出来ず、薬物の過剰摂取により35歳という若さでこの世を去りました。
その26年後の2005年に「Dreams Come True」、2006年「Abracadabra: The Asylum Years」、2007年「Live in London: The BBC Recordings 1972-1973」が発売されます。
Judee Sill - My Man On Love
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これは2年前にQuoraに投稿した内容ですが、
生きた背景というものがあったからこそ存在した物語も、社会からシャットアウトされた事情も、時代に関係なく多くの人が持っています。
ジュディの話になると、どうしても倫理的なフィルタが邪魔をすることもあるのですが
その時夢中になって光輝けた彼女は素晴らしいことですし
才能あふれる音楽家だった
僕は好きなアーティストです。