大好きな洋楽と出逢う
きっかけは小学校5年生(1974年)の時に母からラジオカセットを買ってもらったことです。それまでの僕にとって文明開化が起きたような衝撃となるわけです。
ラジカセとポパイ
そりゃぁ友達が持っているようなステレオタイプのSonyやPIONEERのラジカセの方が欲しかったのですが、堤防で喧嘩ばかりしていたヤンチャな子が、「俺は最近忙しくなったんだ、勝手にやってくれ」と言い、せっせと帰宅するようになったのですから、子供に文化を与えた母の判断は正しかったのかもしれません。当時北海道はNHK以外FMが開局されていなかったので主にAMラジオをまるごと録音していたのですが、フォークソングが主流で聴きたかった洋楽となるともっぱら夜中まで待たなくてはいけませんでした。ですのでクラシックが多いNHKFMが洋楽を流す僅かな時間に絞って録音していました。レコードという高価なものは年に1・2回買えればいい方だったので僕にとってみるとラジオが全ての文化の始まりだったというわけです。
ラジカセが来る前は、録音再生だけ出来るカセットプレイヤーがありました。親戚の兄ちゃんからレッド・ツェッペリンのレコードを借り、プレイヤーのスピーカーにマイクをくっ付けて録音していました。しかし、婆ちゃんの「ご飯食わねーのか!」という声や姉の笑い声が曲と共に流れるという、今ではとても貴重な宝物なのですが、当時は音楽というものを冒涜するなと怒っていたわけであります。
今でも中島みゆきの「時代」やイルカの「なごり雪」を聴くと当時のAIWAのラジカセを思い出すのですが、洋楽ではEaglesイーグルスに衝撃を受けました。
クラスの男子はQueenやKISSやディープパープルの話題で持ち切りなのですが、アメリカを知らない北海道帯広という田舎の小僧がEaglesを聴いて根拠もなくアメリカを連想し黄昏ていたのでありました。
なぜなんだろうと僕なりに思い返してみると、当時は平凡や明星といった日本の芸能界のスターなどを取り上げていた雑誌があったのですが、76年にPOPEYE(ポパイ)というファッション系の雑誌が発刊されて小学生ながら海外の情報が詰まった雑誌に大きな影響をうけたのでありました。
たぶん、アメリカのグランドキャニオンや荒野っぽい写真に虜になってしまったのだと思います。「俺は荒野の風来坊、飯はカルパス」とかなんとか学校の文集に書いていた程だったので、よほど好きだったのでしょう。しかし、ジャーキーではなくカルパスと書いたことが今でも悔やまれます。
Eaglesのメンバーに西海岸出身者は居ないのですが、彼等をきっかけにwestcoastロックとか、サザンロックに惹かれていったのです。中学に入学し地図を買いルート66は何処から何処まで繋がっていて、それはグランドキャニオンに繋がるのか独り時間を楽しんでいました。
音楽は感覚でいい
ロックの始まりは何で、ブルースは何処からきて何処で分かれ・・・そういう理屈が嫌いではなかったし、ギターはギブソンかフェンダーか、そういった話も嫌いではありませんでした。拘る事が独りの世界に華を添えるような優越感もありました。しかし、親戚から頂いた無名のギターを練習しているうちに、どうして僕の好きなEaglesやC.C.R クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(Creedence Clearwater Revival)は友人達に分かってもらえないのだろうかという疑問にぶち当たりました。(当時FMというのはアルバムをまるごと放送してくれていたので録音さえできればレコードを買わなくて済みました)
KISSは嫌いじゃないし、毎日のように仲間から聴かされるディープパープルのハイウェイ・スター。休憩時間には黒板前でほうきを持って「スモーク・オン・ザ・ウォーター」と先頭に立って歌っていても何処かスッキリしない。
そんなとき、スージークアトロのCan The Canが入ったテープを友人から貸してもらい衝撃を受けました。
まぁよく衝撃を受ける子供だったのですが、そのくらい音楽がめまぐるしく変わる時代だったのです。
「スゲーな!ロックすげーよ!」
ディープパープルでなびかない男が、スージーQに落ちてしまいました。
(リリース年の順番というより僕がハマった順番)
たぶんですが、当時日本ではフィンガーファイブというアイドル系のバンドが耳に馴染んでいたのでスージーQの声と似ていた事もあったのですが、単調なリフやメロディーでも彼女の温度がカセットから伝わってくるような錯覚に陥り心が揺さぶられたのだと思います。
単純って幸せなんですね~
音楽は理屈より自分の感覚でいい。
たぶんですが、視聴者からするとそれでいいのだと思います。音楽は押し付けちゃいけない。極端な話、自分の感受性が強かった若い時代だから、音も景色も温度も一番強く入ってくるわけで「あの時代の音楽」とは、そのころの受けた美しい映像と一緒なのかもしれません。
58歳になった今もEaglesは聴きますし、サザン・ロックだろうがウェストコーストロックだろうが後のプログレだろうが音楽は大好きです。
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