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車塚古墳
日曜日と木曜日は母の世話で実家に寄るのですが
昨日も夕食の準備に
近くに625年創建の「車塚妙見社」があります。
車塚というのは、地区の名前ですが、その妙見神社は繁華街の平地の中にポツンとある標高8mばかりの低い洪積台地にあり、前方後円墳の南側一体が削り取られた場所にひっそりとたたずむ神社です。守護大名大内氏の妙見信仰とも関係します。
神社の前には土俵があり、小学生時代は秋の例大祭の相撲大会に毎年出場していました。境内の周りでは鬼ごっこ、かくれんぼ、缶蹴りなどをして遊んでいましたし、北側の丘にはクヌギやドングリなどの木があり、夏は蝉取り、秋にはドングリ拾いをしていました。
神社の裏手には、石で囲われた穴があり、何だろうなとは思っていましたが、大人になるに従って、これが「古墳」であることを理解しました。また、「車塚」という地名も古墳や妙見社と関連していることもわかりました。
さてそれから全く車塚古墳や妙見社に関して深い興味を持つことはありませんでしたが
今年の1月31日に「車塚古墳第三次発掘調査現地説明会」のニュースが目に留まりました。
「車塚古墳第3次発掘調査」の成果としては、「車塚古墳は推定全長が58メートルの前方後円墳と考えられていたが、60メートル以上の前方後円墳であることが明らかになりました。車塚古墳は6世紀後葉から末葉の前方後円墳として、瀬戸内海沿岸部でも有数の規模を誇り、後円部と前方部に横穴式石室がある山口県内唯一の古墳です。後にこの防府の地に国府が置かれることからも、当時の政治・技術・交流を知ることができる学術的価値の高いということが言えるでしょう」ということでした。
市内には、家内の実家の近くの鋳物師大師塚古墳や大日古墳などもあり
昨日から防府市史などを見ながら
謎多き百済聖(明)王の第3王子琳聖太子(りんしょうたいし)の渡来にまつわる話や守護大名大内氏の関わりなど
歴史ロマンを追い始めました