旅ごころ
「この歳になって、旅の楽しみ方もずいぶん変わったような気がしないかい」
夫は歩きながら、私のほうを向いて言った。
「そうね、あの頃はこんな感じで楽しむことはなかったかもね」
私は、深い意味も考えずに言葉を返した。
主人が定年退職して結婚記念日に計画してくれた旅のハイライトは、嵐山にある特別公開された宝厳院の庭にライトアップされた見事な紅葉だった。人の波の流れのままに歩きながら、その景色がゆっくりと赤や黄色や緑と変わっていく様は、私達夫婦が過ごしてきた年月を物語っているようにも思えた。
「あの頃」とは、四十年も前の新婚時代の記憶であり、おぼろげながら覚えている京都のことである。今回の旅行で訪れた京都とは全く印象がちがうものだったことを夫も私も感じていた。
次の日は、姫路によって修復中の姫路城を見学して、新幹線で帰るだけになったのだが、早々いびきをかいて寝ている夫の横で、「この歳になって、旅の楽しみ方もずいぶん変わったような気がしないかい」という宝厳院での夫の言葉を思い出した。
結婚したのは、夫が京都にある部隊で小隊長として五年が過ぎようとしていた頃だった。私は、生まれて初めて故郷を離れ京都に来たのだったが、新婚生活は夫が独身生活を送っていたあまりきれいとは言えない六畳と四畳半のアパートがスタートだった。当時、アパートの南側には田んぼが広がり、都会の香りがしないばかりか、飛んでくる虫にも悩まされた。夫は独身時代、木屋町あたりで飲み歩いていたようで貯金もゼロであった。
そんなことを思い出しながら、カフェオレを飲んでいると夫が目覚めたので聞いてみることにした。
「旅の楽しみ方が変わったって言ったけど、どうしてそうなったかわからないの。何が変わったのかな?」
「そうだな、全国移動の転勤を続けたせいかもしれないな」夫は言った。
「どういうこと?」私は続けて聞いた
「そうだね、転勤は十七回したかな、九州から東北まで」
「それが関係あるの?」
「俺の場合は、若い頃には物理や数学に興味はあっても歴史や文化、また文学など情緒的なことにはほとんど興味を持つことがなかったと思う。また、君は、本を読むのは大好きだけど、歴史や文化にはあまり興味もなかったようだし、ほとんど地元から動いていなかっただろう」
「そうだけど」
夫は続けてこう言った
「それが、小隊長の職務を終わると、京都から出て二年~三年ごとに南は九州から北は東北まで各地に転勤する機会が増えたよね。俺の場合は、新しい土地でその地域の歴史や風土に触れながら、新しい人と出会い、新しい職務を果たし、新たな自分を発見するという繰り返しの中で、指揮官・幕僚として勤務したり、地域の方々と交流したり、教官として後輩の教育に携わっていくうちに、日本の歴史を深く理解することの大切さとどう生きていけばいいかを教えてくれる場所が日本にはたくさんあるということに気がついたからだと思う。」
「じゃ~、私の場合はどう説明するの」
「俺に感化されたともいえるけど」
夫は笑いながら続けた。
「子供ができてから、七五三などであちこちの神社にお宮参りし、チャグチャグ馬コや地域のお祭りなどに一緒に参加することで地方の歴史や文化や風土に触れ、それらを理解してきたはずだ。また、転勤地を起点にあちこち旅行しているうちにその地方の歴史や文化にも触れてきたよね。これは、ずっと生まれ育った一つの場所にいるだけでは経験できなかったことだと思うし、その積み重ねが四季の変化を楽しむだけでなく日本の歴史や文化に触れることで少しずつ興味を持つところが変わったのかも。それに、今までは、旅をしても子供達を中心に動いていたから、そっちばかりに気を取られていたし、子供たちが独立していった今、内面で変化していた気持ちに向き合えるようになったのかもしれないね。だから旅をしても昔感じていたものと違う感じ方ができるようになったのかも。」
夫の言葉に私も反対する理由もなく
「そう言われてみると、若いころだったらスルーしていた神社や仏閣などを拝観するようになったし、博物館や歴史資料館なども興味を持って見るようになった気がするね」
私は、答えるとともに新たな疑問が出てきたので聞いた
「そういえば最近は九州へ旅行に行くことが多くなったけれど、普通の人が旅行では行かないような所へも付き合わされている気がするのだけど」
「はっはっは、わかった?」
「その部分は君にはなくて俺だけが持ち得た特有な価値観かもしれないけどね。どこに行きたい?と聞いても特にないみたいだし、俺任せの旅が多いから、観光地以外では日本の防衛に関わる歴史的な場所を取材する旅の道ずれにしているかも。お付き合いありがとう。」
「何、防衛に関わる歴史的な場所って?」
夫からこれまでそういう話を聞いたことが無かったので、まだまだ乗り換え駅に着くまでには時間もたっぷりあることだし、一応夫の話を一通り聞いておくことにした。
「日本の歴史の中に、日本が滅亡するかもしれない危機に見舞われた時が何度かあったけれど、日本はその危機を乗り越えて今日があるわけ。古くは六六三年大和朝廷が白村江の戦いで破れ、唐と新羅の連合軍を迎えうつために太宰府に防衛司令部を置き瀬戸内海沿いに山城を構築し防人を配置した万葉の時代、一二七四年と一二八一年の二度に渡る元寇襲来に対して武士が立ち向かった鎌倉時代、一八五三年の黒船来航をきっかけに欧米による植民地化を防ぎ日本近代化の幕開けを果たした明治維新、そして一九四一年十二月八日に開戦の火蓋が切られ、その後日本国民が多大の犠牲を払うとともに大日本帝国陸海軍が散った太平洋戦争かな。特に九州地方は日本の中でもそれぞれの時代に大きく関わった場所があちこちに残っているのだよ。また、何度も訪れているうちにそれらの時代の様子がはっきりと瞼に浮かぶようになり、先人の決意、雄たけび、歓喜、慟哭などが聞こえてきて魂が揺さぶられる感じがする。
そういう意味では、国防に任ずる自衛官はこれら防人や武士や帝国軍人の遺伝子を引き継いでいるともいえる。」
夫は自信に満ちた表情でそう言ったのだが、確かに太宰府に寄った時などは太宰府政庁跡や水城、大野城跡などどちらかというと殺風景で観光ではマイナーな場所に立ち寄ったことを思い出した。
「自衛官の嫁になったから、仕方ないか」
自分を納得させながら、夫が次はどんな旅を計画するのだろうか、山道を登ったり下りたりするのだけは勘弁してほしいと願うのであった。
「あなた、定年退職した後、絵を描き始めたようだけれど、旅の思い出も描いたらどう」
「そうだね、竹内まりあさんの『人生の扉』という歌の中に『信じられない速さで時が過ぎ去ると知ってしまったら、どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ』という一節があって、この歳になって本当にそうだなと思う。これまでの家族旅行はビデオカメラで撮影して保管してあるし、最近の孫たちと一緒の旅行は画像や動画でスマホに保存してあるけれど、時代の流れを感じるね。これからは旅に出かけるごとに記念の一枚を描いて俳句でも詠んで残し、その時感じた『旅心』を何年か後でも思い出すことができるようにしますか。『夏草や兵(つわもの)どもが夢のあと』なんてね。」
一人悦に入っている夫に最後に一言
「それ、松尾芭蕉の俳句ですよ。しっかり創作しましょうね。今回の京都の旅の思い出の一枚、出来上がりを楽しみに待っているからね」
そう言うと、窓からの景色が見えなくなった車内で、シートを少し起こし、テーブルを手前に出した後、先ほど買った駅弁を広げた。私にとっても夫にとっても懐かしい思いのする広島の名物駅弁「あなごめし」であった。
その「あなごめし」を食べながら、ドイツの詩人ゲーテが言った言葉を思い出していた。「人が旅をするのは、到着するためではありません。旅をすることそのものが旅なのです。人は各種各様の旅をして、結局、自分が持っていたものだけを持って帰る。」ということを。