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人は何かに熱狂したいということ。

文字通りである。
あなたは、何かに熱狂したくないだろうか。もちろん、今現在熱狂している人も沢山いるだろう、アニメ、漫画、読書、音楽、アイドル、スポーツ、部活動、オリンピック。つまりは、仕事や趣味などである。
はたまた、熱狂していない人も沢山いるだろう。上記の事に興味はあるし好きではあるが、人並み程度。「好きなことを仕事に」の好きなことが分からない。僕も後者である。
夢中なるものは素晴らしい。時間がすぐに溶けて無くなり、極めても行き止まりはなく無限に追い続けることが出来る、好きな事をしているうちは努力なんかじゃない。それが強みになって仕事に結びつく人もいるかもしれない。
また、その熱狂は、時に文字通り狂うのだ。例えば、スポーツ観戦中に相手チームと喧嘩になったり、電車の撮影に外人が入って来て怒ったり、年に1000万円以上ゲーム課金したり、好きなアイドルのストーキングをしたり、なんて、これらの行為をする人は最初から狂っていたと思いますか。どこから社会常識が外れるのか、外れかけるのか、普段はおとなしく社交的な人がアイドルの握手会で凶器を振りかざしたり。。。

オタク、推し、熱中、夢中、熱狂、この境界線がないように、社会常識にも境界線はない。少しずつ熱くなり、振り返ったら道を外しているのかもしれない。

これを考えるきっかけとなるのは、太平洋戦争。大東亜戦争である。
国民は、天皇は、首相は、近衛師団は、関東軍は、陸軍は、海軍は、誰がアメリカと戦争をしたかったのだろうか。
自分が属する日本という国は、アメリカより、ドイツより、強い、世界一でいると嬉しいだろうか。
それとも、何かに熱狂でもしないと狂ってしまいそうなのか。
戦争を通して強い日本に民衆は依存したのか。
何かに依存して、その何かに認められて始めて自分の存在を認める。
熱中することは、努力するより楽?
熱狂することは、熱中の上位の概念?
人間は嫌なことから避けるか快楽を得るために動くかの2つを原理として、選択するらしい。
熱狂して周りを忘れることには要注意を。

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