人は何かを信じないと生きていけないということ。

人は何かを信じている。あなたは何を信じているだろうか。突然この問いを受けて、すぐに答えられない人が大多数ではないだろうか。自分は何も信じていない、無宗教で神などいない、そう思っている人が大多数ではないだろうか。そのような人のために少し質問を変える。あなたは何を軸に意思決定をしているだろうか。これならどうだろう。
人は意思決定の軸を持っている。その軸に自分が信じているものが深く関わっている。つまりは2問目の問いに答えることが出来れば、1問目の問いにも答えられるのではないだろうか。

まずは世間、世界から見てみよう。
最初に、3大宗教の仏教、キリスト教、イスラム教、それにヒンドゥー教やユダヤ教。ここに述べるべき事もあるが、今は触れない。人口に注目する。人口としては約50億人である。世界が70億人であれば、7分の5である。つまり、世界の7人のうち5人は、その信じているものを基準に人生においてのモノゴトを決めている。神が許すか、神の導きはどちらか、解脱するためには、天国に行くためには、救世主が現れるには、このような事を考えて人生において大事な分岐点で選択していくのではないだろうか。では、7人のうち2人は何を基準に選択しているのだろうか。それは、神道、アメニズム、部族の神、儒教などであろうか。

私は世界のことを深くは知らないので、日本について取り上げる。

ここでいきなりではあるが、私の祖父母の信じているものについて解説したい。彼らの信じているものは、祖先と浄土真宗である。祖先のお陰で今があるから、祖先に顔向けできるような行動をしている。また浄土真宗としては、死後は極楽浄土に行くために、現世でお金を払い名前を貰い、毎日仏壇で念仏を唱えて、地獄に行かぬような選択をし続ける。

これでどうだろうか、少し思い当たる人もいるのではないだろうか。
では、あなたの子供時代について問いたい。12月ごろに親が良い子にしてないとサンタさん来ないよ?って言われたことは無いだろうか、それに対してあなたは本気で良い子にせねばと思い行動したことは無いだろうか。
これは一瞬だとしても、サンタさんを信じ、サンタさんを基準にモノゴトを選択した経験だと言えるだろう。

そして、今のあなたは何にも影響されず、何も信じず、何人たりとも自分の無意識に干渉しておらず、何にも洗脳されず、ただただ自分本位に選択できていると言えるだろうか。
人は何かに影響され、何かを信じ、何かに洗脳されている。これは明白である。

例えば、イスラム教徒に毎日5回も礼拝して面倒くさくないのか、だとか中国人の一部民族が犬を食べているが、犬が可哀そうじゃないかと思ったことはないだろうか。
私から見て彼らは面倒くさいことをやっているし、犬を食べるなんて変だし、宗教を信じるなんて心が弱いのではないか。そう思っている。
しかし、外から見てみれば、年上の人に敬語なんて使って面倒くさくないのか、業務効率下がるだろうだったり、クジラを食べるなんて頭おかしいのか、国会議員の女性が数えるほどしかいないのか、国の行く末を決める場所だぞ、なんて思われている。

うん、確かにどっちも変だ。でも、日本人は当たり前に敬語を使うし、クジラを食べるのに違和感は無いし、国会議員はまぁ仕方ないだろ。なんて思ってないだろうか。

あなたの服は、あなたの髪型は、あなたの趣味は、あなたの見ているYouTubeは、この人がカッコイイから、可愛いからリスペクトを込めてだったり、みんなが見ているからだったりして、これら要素は決まっていないだろうか。今一度振り返って見て欲しい。
これで、何にも影響されていないと、何も信じていないと、誰にも洗脳されていないと断言出来るのであれば、この続きは読まなくて良いから、私に連絡して欲しい。
でも、少しでも思い当たる節がある人は、ここからが自問自答の始まりである。
さぁ、楽しくなってきたのではないだろうか。

そして、これからも充実した日常、法を犯さない正しい未来を手にしたいのであれば、今一度、自分が信じているものが正しいのか問うべきである。
ここからは、特定の名前はあげないが、それら信じているものが間違っていると、自分の命を懸けてでも何かを守ることが正義になったり、戦車に手榴弾一つで突撃すること正義になったり、地下鉄に危険物を撒くことが正義になったり、友達をねずみ講に落とし込むのが正義になったりしてしまうのである。


これを死ぬまで信じることが出来れば幸せだろう。でも、もしも、逮捕されてから間違っていると気付いたら、死ぬ直前に気付いたら、友達が一人も居なくなってから気付いたら、お金が無くなってから気付いたら、それは一般的に言って、とても不幸な事ではないだろうか。
そのため、まずは自分が何を信じているのか、何を基準に意思決定しているのかを明確にし、それが一般的に見て正しいのかを問わなければならない。
もちろん、一般なんてない。手錠をかけられていないから正しい、手錠をかけられたから間違っている。そんなことは思っていない。
でも、これで自分は不幸にならないのか、自分は自分を認めてあげれるのかを考えなくてはならない。考えて欲しい。あなたが幸せになるために。

最後に、私の話を少ししてお別れしよう。
私は2つ信じている軸がある。一つ目は魂なんてものはない。二つ目は死ぬときに後悔しないようにということ。なんだそれだけかと思っただろうか。実にこれだけである。
魂なんて無いんだから、地獄も天国も極楽浄土も六道輪廻もない、死んだら無に還るだけである。だから、何も心配せずに怖がらずに自由に過ごせばよい。でも、有であり続ける今は満足していたい。有が終わる時には後悔がないようにしたい。警察にお世話になって無駄な時間もお金も消費したくない、ただそれだけである。地獄なんて無いわけであるから、様々な要素を天秤にかけた上で人を殺さずに後悔するのであれば、人をも殺すそういうことである。なんだそれだけかと思っただろうか。実にこれだけである。

改めて、あなたは何を信じているだろうか、あなたは何を基準に意思決定しているだろうか。

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