名古屋駅で蘇るあの日の私と娘(昨年の記事のリライト)
昨年、名古屋で開催された共同親権のセミナーへ参加した翌日のFB記事をリライト。
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名古屋駅。
新幹線のホーム。
分刻みで流れ込んでくる車輌とアナウンス。
行き交う人々とスーツケースが転がる音。
3年前の1月を思い出す。
娘と2人で初めて乗った新幹線の余韻を楽しむ間もなく、人が溢れ出てくる巨大な改札を通り過ぎて、名古屋駅の端から端へととにかく急いでいた。
飯田行きのバスの出発まであと15分。
そのバスに乗らなければ17時という約束の時間に帰れない。
1分1秒でも遅れられない。
迎えもそう。
送りはもちろんそう。
もしそれが遅れたなら、次の約束はもう無くなってしまうかもしれない。
楽しかった2泊の神戸旅行も、帰り1日はとにかく遅れないために予定通りに行動する事でいっぱい。
帰らなければ。
決して遅れてはならない。
途中で娘が私の手を離し、「ママ…」と後ろで寂しそうな顔をして立ち止まった。
血相を変えて急いでる私に付いて行けなかったのだ。
帰らなければならない寂しさは、巨大な都会の駅で取り残されてた。
はっと我に帰って娘の手を繋ぎなおす。
娘は初めて乗った新幹線の余韻にも浸れてない。
普段見ることのない人の多さも。
珍しいモニュメントもディスプレイも。
横目に見るだけ、ただ終われるように帰ることだけに向けた作業。
一緒にいる時間なのに、
一緒にいる事を終わらせる作業だ。
親子なのに、
一緒にいられる時間に制限がある事の理不尽さ。
娘の手を握って、娘の歩けるペースで歩く。
2人でいる時間の終わりを噛みしめながら。
バスに乗ったときホッとしすぎて放心状態。。
初めての高速バスにはしゃぐ娘の言葉を聞きながら
「あぁこれで帰れる。バスには乗ったのだから。バスが遅れるのならそれは仕方ないのだから。」
と、帰りたくない気持ちと約束通り帰れる事への安心感という矛盾したもの。
そんな気持ちに追われる事を約5年間続けた私と娘の面会交流だった。
ホームを見上げて、そんな事を思いながら少し泣きそうになった。
昨日は名古屋で開かれた共同親権に向けてのセミナーに参加。
これから社会は共同親権になり、共同養育がどんどん知られていく事になっていくだろうか。
あの頃の私に伝えたい。
よく頑張ったね、大丈夫。
娘は本当に素晴らしく逞しく、
そして真っ直ぐだよ、って。
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