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障がい者の生涯4
自由に何処へでも1
中学時代、私は自分が障害者だという事実を、思い知らされ、深く落ち込んだ時期があった。しかし友達皆に「それがまぁ(私)の個性だよ」と励まされて、私は立ち直り元の明るい自分を取り戻す事が出来た。
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三年生になり、進路を決める時期になると、友達数人で時折、進路について語り合う事があった。その時「まぁが心配だから、同じ高校へ行こうか」と言ってくれた友達がいた。
私は自分の事をそこまで思ってくれる、友達の心に驚きそして嬉しかった。しかし、私は自分のために友達の将来を決める訳にはいかないと断った事も、今では甘く懐かしい思い出である。
その後、私は県立高等学校に進学した。私は家から学校まで、片道8㎞ある道のりを、自転車で通学する事になった。
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それまで自転車で村を出るような事がなかった私は、不安であったが同じ集落の先輩が1年間、一緒に登校してくれたおかげで通い通す事が出来た。
私はそれまで一緒に遊び、学んだ中学時代の友達と離れ離れになった事が寂しかったが、次第に高校の友達も出来、何ら問題無く高校生活を送る事が出来た。
当時、私の入学した高校は、荒れているという噂を聞いて、両親は心配していたようだったが、入学してみると、私の周りの先輩や友人達は、表面上悪ぶってはいたが、内面は心優しく私のような者を決して、馬鹿にするような生徒はいなかった。逆に彼らは私を見守ってくれていた様な気がする
自由に何処へでも2
この頃の私は以前に増し、自分の身体の事で皆に笑われたくないと、思うようになっていた。
自分には無理だと分かっていても、「出来ない」と言ってしまう事は、障害を持っているからと、甘えている様な気がして、なかなか言い出す事が出来なかった。ある体育の持久走の授業で、私は、皆に負けるものかと必死で走った事があった。
ところが、自分の思いとは裏腹に身体がついて来ず、私は途中で倒れ、暫く動く事が出来なくなってしまった事があった。それ以来体育の先生は、必ず私に見学している様に指示してくれる様になったが、私はほとんどの競技に参加した。
進学・就職の季節を迎えた。担任の先生は私に仙台にある福祉大学への推薦入学を勧めてくれたが、私は早く自立したかった。何故なら、今まで苦労を掛けてきた家族を、少しでも早く楽にさせてあげたいと思ったのだ。私は就職する事に決め、大手電子部品製造会社に内定となった。
18歳の誕生日が近づくと、通勤のため私は自動車の免許を取る必要が生じた。問い合わせたところ、障害者が自動車の免許を取る為には、県庁の方の免許センターで、適正検査に合格しなければならないと教えられた。
私は早速適正検査を受け合格し、教習所へ通う事となったが、中には適性検査で不合格になる方も、たくさんいる事を思うと、素直に喜べなかった。
初めて教習所でハンドルを握った時、私は自分の意思通り動く自動車に感動を覚えた。私はこれまで、全ての行動に於いて、他の皆に遅れをとっていたが、車を運転するという事は、皆と変わらない速さで行動出来る事なのだと思ったのだ。やがて私は、運転免許を取得し、小さな乗用車を手に入れ、自由に何処へでも行ける喜びを得た。
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