エシカルから思うこと
エシカルとは
近年、エシカル(Ethical)という言葉をよく耳にするようになった。「倫理的・道徳的・良識的な」という意味を持つ言葉である。
ことファッションにおいては素材や原料の環境への影響であったり、生産背景にある労働環境や大量消費への見直しが大きな流れとして生まれてきているように感じる。
平たく言うと、人にも動物にも地球にも優しいプロダクト・消費活動を行っていこうということだと思っている。今回はそんなエシカルファッションについて考えていきたい。
私はというと
まず前提として私は特別な環境論者ではなく、ごくごく一般的な服好きの消費者の一人であるということ。
人・動物・環境に対して、どれだけその実情や背景を考えながら服を選んでいたかと問われると、とても配慮していたか自信は持てない。
ただ、今後そのような生産の仕方、消費の仕方が一部の好事例ではなく、一般的になっていくのではないかと感じる。
消費者として何が出来るか
私はモノづくりや販売する人間ではないため、いち消費者として何が出来るのだろうかと考えてみる。
私に出来ることはどこまで行っても何を買うかという選択でしかないと思う。
じゃあ何を買うのか。何を選ぶのか。
・無意味に動物を殺さず作られているもの。
・労働者が健やかに働けている工場で作られたもの。
・生産フローに環境を破壊する行為が無いもの。
考えると色々あると思う。
ただ、同じ価格とクオリティのものであれば
動物を殺して作られたものよりは、動物を殺していないもの
過酷な労働環境で作られたものよりは、健全な環境もの
環境を破壊しているものよりは、破壊していないもの
人はより良いものを選ぶのではないかと思う。
また、エシカルを意識するばかりに偏った見方をすることも避けなければならない。
例えば、本革を使った製品というだけで非難するような動きもあったりするが、その革は元々どういう動物のものなのか知らなければならない。
食用で処分されるはずだったの余った皮を無駄にしないように作られたものなのかもしれない。捨てられた革を再度加工したものかもしれない。(動物を食すという行為の是非についてはここでは論じない。)
今の社会において
大量生産・大量消費の恩恵として、一定のクオリティのものが低価格で手に入る世の中になったが、問題として捉えるべきはそのあり方ではないかと思う。
必要なことはモノの適正な価値・価格を取り戻すこと。
消費者にとって必要なことはそれではないか。安さを求めるあまり、見てこなかった側面の問題に目を向けなければならない。それでも消費者が安さ一番に求める限り、取り巻く問題は解決しないのではないか。
モノに求める価値を変えなければならないのではないか。
先を行く企業は、自社の取り組みを積極的に発信するようになってきている。そこから読み解けることも確かにあるが、結局我々はその現場をなかなか見ることができない。
直接自分の目で実情を見に行くことが出来ない分、与えられた情報・見に行ける情報から判断しなければならない。
まずは知ることから。そして何を選ぶか。
自分が持っているもの、買おうとしているものはどういうものなのか。
ただそれを受けてどういう選択をするのか。これは各々の判断だと思うし、私は強制しようとは思わない。
自分に出来ることから少しずつ。