【ジークアクスネタバレ感想】前回ネガりすぎたかな…と反省したので、2回めは敢えて庵野秀明パートで丸々寝てみました
前回感想記事はこちら↓
【ネタバレ注意】『ガンダム ジークアクス』の何をもって「水星の魔女のコンセプトを何もかも180度真逆にして作ったようなアニメ」と感じたの?
『ガンダム 水星の魔女』を心から愛するがゆえに、THEオタク第一世界の老クリエイター集う『ジークアクス』を観て、複雑な思いを抱いてたオタクです。
おそらくマジョリティ側であろう一部界隈は「ポリコレ」という概念をやたら毛嫌いしておりますが、それまでの業界において当たり前だった「メジャーコンテンツというものは1種類の特定マジョリティ層に向けて存在するもので、その層からあぶれた全てのマイノリティは疎外感に甘んじつつ物申すことなく分をわきまえてマジョリティ層の後ろを黙ってソッとついていくべき(キミらがお金をいくら落としても真なる主要顧客の内にはカウントしないからそのつもりでね)」という暗黙の了解に風穴を空けてくれたのがポリコレだと私は思っています。
その意味で顧客層の停滞を打破しようと若者などの客層を本気で取り入れようとしてくれた、それまで「ガンダムの伝統」だったもののいくつか(端的に裸シーン)を敢えて控えて、意識しなければ絶対に出来ない類の多様性への配慮を幾重にも重ねたうえに万人が純粋に楽しめるエンタメとしても成立させていた『水星の魔女』という奇蹟のような作品とそのスタッフ様方には、いくら感謝を伝えても足りません。
ガンダムという伝統ある日本を代表する大大メジャーコンテンツが本気で女性同士の物語・恋愛を扱おうとしてくれたことが本当に嬉しかった。心が震えた。”The Witch From Mercury” の曲調が体現するように、マイノリティ達に多大な解放感と希望を示してくれた完璧な一話でした。
「願わくばこの素晴らしい流れが水星限りで絶えないように。題材を変え、キャラを変え、MSを変えても、この多様性が今後の指針になってくれればいい」
…………そう思っていた矢先の『ジークアクス』制作発表。
庵野秀明、鶴巻和哉、榎戸洋司、カラー……このメンツを見て、ああそういう期待はできなくなっちゃったかなあと薄々覚悟していたら、想像以上の逆行保守コンテンツだったというアレで、『水星の魔女』Season2から明らかに保守方面からどでけえ介入を受けたような嫌な空気が充満していましたが、水星の魔女にある種の危機感を抱いてNOを突きつけた保守勢がニッコニコしそうな作品だよなあ『ジークアクス』と思ってたわけですが、一旦これまでの印象をリセットして2回目を観てきました。
変な先入観に引っ張られずに、私もできれば新たなガンダムを皆と楽しみたいなという思いもありますし、2周目の特典内容に惹かれたってのもあります。
※はい!ここから感想スタート
ぶっちゃけね、
「水星の魔女アンチやら岡田斗司夫みたいなド保守ファースト原理主義オタクおじ達が『こういうのでいいんだよ』と満面の笑みでサムズアップしてる図」がずっと脳内に浮かんでたよ…
②完全に古い男性向け戦闘美少女アニメの方法論で作られてる。
一見美少女主人公だけど実質的に美少女は客体で、「真の主人公」たる主体男性キャラがわかりやすく用意されている。
ジークアクスの場合、「シャアとシャアに心奪われた男」が主軸で主人公。
シャアに心奪われた男はシャリア・ブル大尉であり、メタ的にオールドタイプのガノタ達も指す。
(『水星の魔女』はSeason2からグエルがそれにされかけたけど最終回で軌道修正された。水星アンチほどグエルを真の主人公にしたがってたでしょ?)
主人公のはずのマチュ・ニャアン・シュウジの3人はナイスデザインなんだけどハッキリ言って存在感はあんまりありません。『W』や『水星』のように一発目で主人公を象徴する名台詞が出るでもありません。多分これからも印象深い活躍はさせてもらえません。
なぜなら恐らく3人は「真の主人公おじ(シャアとシャアに心奪われたシャリア・ブル大尉=オールドタイプガノタ)の存在価値を引き立たせるための盛り上げ役」だからです。
もしキャラを立たせてもらえるとしたら、『トップをねらえ!2』のノノみたいに「ファーストの遺産」に憧れる役回りかな。現時点でも「時の光」のキラキラに憧れてニュータイプとしてシャアらしき人物とも遭遇しているし。
古参の保守男性オタクは確かに美少女キャラが好きだけど、美少女キャラが「男のロマン」「男達の世界」を阻害するノイズになることを激しく嫌います。
戦争や戦場は「男達の世界」の象徴なので、ガンダムに限らず反戦を訴える女子キャラは叩かれがちです。冷徹な女性軍人、あるいは最初から戦争の是非に口出ししないならOKです。
きっとマチュちゃんやニャアンちゃんは「男のロマン」「男達の世界」を邪魔しない役回りを与えられ、まっとうすることでしょう。
作り手と受け手が一番望んでいる「シャアとシャアに心奪われた男の物語」の邪魔にならないよう、分をわきまえて控えめに活躍してくれることでしょう。
前回感想のこの部分を否定しようと思ってたけど、ダメだ。。
自分が初見で直感的に感じたことが概ね正しかったことの裏付けにしかならなかった。
何度見ても主人公のはずのマチュ達3人は本当に脚本や制作陣から一切の無駄(物語性・キャラクター性)を削ぎ落とされた必要最小限の「導線」の役割だけしか与えられてない。
人間としてのキャラクターというより『フローチャートの擬人化』。
「Aに遭遇する→Aについていく流れでXを見つける→Xに乗る→戦う→仲間を誘って次の戦いへ」というやや苦しい理屈づけもある最短の線を淡々と眺めているような感じで、キャラの厚みと深度を感じられる「余白」が、明らかに、意図的に全く与えられていない。
なんで意図的かって?
そりゃあシャリア・ブルが真逆の“その情報いる?いらんやろ!”って無駄な余白情報だらけの愛されおじさんだからだよ!
「近くにドラッグストアはありますか?」「差し入れの私服姿も似合ってるじゃないか」スッと差し出すバンドエイド!話を動かすのにどれも全然必要ないけどキャラの魅力が凝縮されてる、その!!
やろうと思えばシャリアの無駄描写は全カットしてマチュやニャアン達の「余白」にあてる構成だってできたよね?でもしなかった!
するわけないんだよ、
だって制作陣が一番描きたいのはシャリア・ブル(=シャアに心奪われてファースト原理主義者になったガノタ、つまり庵野達古参おじ)の物語なんだから!マチュ達は主人公であってはいけないんだから!
そしてその結果、観客はみんなこの愛されおじに脳を破壊されて他のことすっ飛んでんだもん!そりゃ当然だよ!そのように描いてるんだから!
脚本か監督か、とにかくとにかくシャアおじとシャリア・ブルおじの魅力を隙あらば詰め込みたい意図が溢れてる。
シャリア・ブルと彼を取り巻く人物が出てくる時だけ画面に体重がかかる。彼らファーストおじ以外は、ざっと流す背景の役割だ。
一部ではマチュが狂犬ぽいだとかパッションの塊のような言われようだったけど、私は良し悪しではなく、全く彼女に人格は感じられなかった。
水星の魔女のスレッタと違い、ベタなJKらしい女性性をゴリゴリに強調されて造形されたマチュが『70年代男オタクのロマンあふるるファーストガンダム物語』のノイズにならないよう、意図的に中身が空洞化されていると感じました。
ファースト原理主義の保守ガノタおじ達にとっては、肉体とガンダムを動かすスイッチ機能以外はお呼びじゃ無いからこうされた。
コロニーの何の情報もない普通科女子校に通う彼女がなぜモビルスーツに乗ろうと発想したのか。クランのモビルスーツも機動してないし自分で操縦もできないくせに、なぜ「あっち(ジークアクス)のほうが強そう!」と言って飛び乗ったのか。そもそも窃盗行為にまったく抵抗がないのはどういうことなのか。ニャアンとシュウジの間に割り込んでお金を落とさせても一言も謝らないでクラバトしようぜ!とドヤ顔するのは何やねんお前ェ。
……と、脚本の与える役割のまま従属して動くばかりで、その行動に最低限説得力を与える「背景設定」が最初から放棄されています。
たとえば『水星の魔女』のスレッタなら、元々幼少期に母親からガンダム操縦の英才教育を受けていてエアリアルは家族同然。過酷な環境下でMSを駆って高難易度レスキュー活動を続けていたという設定があります。舞台となったアスティカシア高専は大小宇宙モビルスーツ開発企業の技術者やパイロットや起業家を育成する学校なので学生全員モビルスーツの構造や実習など基礎知識があります。
そういう背景が初手で明示されてるので、スレッタが主人公のガンダムパイロットらしく活躍することにちゃんとした意味と説得力を感じられます。
でもマチュにはそれがない。
正確に言えば「プロのクリエイターなら少し考えるだけで容易に十数種類は出せたであろう“ガンダム主人公としての説得力設定”が、敢えて作られていなかった」。マチュがガンダム主人公としてマガイモノであることにこそ、おじさん達にとって重要な意味があるから。
それらしいバックボーンを何一つ持たないのになんか最初からジークアクスのオメガサイコミュにシンクロするニュータイプで、「よくわかんないけど、なんかわかった!」というセリフ1つで強引に流そうとする脚本から確信犯的なものを感じてしまう。
「あなたはジークアクスを動かす媒介で、受け手からデジャヴュを引き出す装置にすぎない、自我や背景なき“透明人間”なのですよ」と。
このアニメの真の主人公はやはり「シャアとシャアに心奪われた男」だった。
シャアに心奪われた男はシャリア・ブル大尉であり、メタ的にオールドタイプのガノタやロボットアニメオタク達も指す。
なんかもう、ここまでキャラクター性と物語性を削ぎ落とされて冷遇されているにも関わらず、本編2話までのマチュとニャアンの関係性とドラマと物語を精一杯抽出して膨らませて「Plazma」の歌詞と曲を作ってくれた米津玄師さんの努力に涙を禁じえません!もしかして全ジークアクス関係者の中で竹さんと米津玄師さんだけが主人公としてのマチュの物語を真摯に考えてくれているのではないだろうか、と思ってしまいました。
しかしそれすらも公式動画コメント欄などでガノタから「『Z』カミーユとジェリドを描いた感動の歌詞」と簒奪されてて更に泣けてきます。いや!確かにその2人も改札口で衝撃の出会いをしたけどさぁ!言いたくなる気持ちはわかるけどさぁ!
……と、またネガネガしてもしゃあないので、ここからは普通のジークアクス考察というほどでもない展開予想です。
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マチュの搭乗と同時にコクピット上部からにゅっと伸びてきたベルト。まるで年端のいかない娘を背後からそっと抱きしめるおじさんのような意思を感じられてちょっと気持ち悪かったんですが、実際にジークアクスの中身にはシャアが入ってるんじゃないかと思います。ずっとジークアクスに入ってるというよりは、「キラキラ」を介してあっち行ったりこっち行ったりわりと自由な感じで。監督と脚本に愛される真の主人公おじであるシャリア・ブル中佐が血眼になって探し求めている男が実は一番身近にいたという、よーある皮肉な展開です。何より水星から一定数いた「女がガンダム主人公なのがケシカラン」というアンチ層でもこれなら大丈夫です。実質的に男がガンダムを操縦してるわけだからね!好みの娘を腕の中に閉じ込めつつな!インベルか!女性主人公を心から期待している層を「でも本当はネ…w」とニヤニヤ眺めるわけです。
2週目特典のキャラデザ資料集。マチュとニャアンのお出かけ私服デザインは数種類もあったのに(素敵)、シュウジ君の私服が無いのが気になりました。もしかして彼はこの後一緒にお出かけすることもなく、早期退場するんじゃないかな? あの赤いガンダムを操る謎の腕前からして簡単に撃破されるとも思えないので、シャア同様キラキラに惹かれすぎて「向こう側」に行ってしまい帰らぬ人となったパターン。
クランバトル編も多分早期に終わる。だってシャリア・ブルに発見されちゃったし、そもそもあの二機の相手ができる払い下げジオンMSなんて無いでしょう。おそらくシャリア・ブルがマチュ達を直接引き抜こうとする。マチュは難民であるクランの仲間達の生活保障とシュウジ捜索を引き換えに受諾してシャリア隊のクルー入りする。
マチュとニャアンの百合……うーーーーーーーーーーーーーーん……(難しい顔)。あっても『トップをねらえ2!』みたいなノリじゃないかなあ。なんも考えてなさそうなマチュ(シュウジ推し)に片想いムーブするニャアンの路線ならちょっと良いかも。