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元・模型少年とMAX渡辺の出会い


プラモデル原体験

 初めて買ったガンダムのプラモデルは、1/100のガンダム。当時700円。僕は小学2年生だった。学年×100円=200円という月の小遣いからも、高価な買い物だった。父のおつかいで買ったタバコのお釣りを貯めたり(あの頃は子どもでもタバコが買えた)、祖父に小銭をもらったりして、なんとか700円を用意した。
 先にガンダムに熱狂していた友だちに、「ガンダムのプラモデルは色を塗るものだ」と教えられて、初めて塗装も経験した。和室に新聞紙を広げて、ラッカー塗料を筆でペタペタと。合わせ目を消す発想はなかった。完成したガンダムは、顔がうまく塗れなくて悲しかったが、満足したのをおぼえている。脚の付け根や足首が動かないし、腹はコアファイターがむき出しだったが、まったく気にならなかった。とにかくプラモデルは楽しかった。これが僕のプラモデル原体験である。

超絶技巧の作品に憧れて

 そこから空前のガンダムブームを体験する。毎日ガンプラのことで頭がいっぱいの僕に、衝撃を与えたのは、名著『HOW TO BUILD GUNDAM2』(ホビージャパン刊)だった。超絶技法の作例に衝撃を受け、無謀な改造に手を出すようになる。しかし、完成に至ることは皆無だった。
 その本で作例を発表していたモデラーたちは、僕のアイドルだった。その代表が、小田雅弘、川口克己、そして渡辺誠だ。彼らの作品はどれもすばらしかった。中でも驚いたのは、渡辺誠作「1/60 機雷散布ポッド付ザク」。そう、あの #MAX渡辺 の作品だ。何がスゴイって前面のスカートが動くので、ザクなのに前屈ができるのだ。そのアイデアと技術力に感動して、穴があくほど写真を眺めて、いつかあんな作品をつくってみたいと思ったものである。

MAX渡辺と出会う

 プラモデルもアニメーションも好きだったが、年齢を重ねると自分でつくる数は減っていった。でも、模型誌をチェックしたり、たまに新製品を買ったり、模型はずっと好きだった。それは大人になっても変わらず、いわゆる「積みプラ」が部屋の片隅にある状態。
 時は流れて、気がつけば僕はオッサンになっていた。ある日、行きつけのバーのマスターが「マックス」という知人の名前を口にした。マックスと言えばMAX渡辺だなと思いつつ、マスターとMAX渡辺は、どう考えてもつながらない。しかし、話を聞くとマスターの知人のマックスとは、まさかの機雷散布ポッド付ザクをつくった、MAX渡辺その人だった。
 後日、僕はマスターを介して、MAX渡辺と対面を果たす。少年時代からのアイドルの一人だ。聞きたいことが山ほどあった。過去の作例や、MAX渡辺が代表をつとめるマックスファクトリーの仕事についてなど、いろいろ貴重な話を聞いた。

プロジェクトの始動

 その後、MAX渡辺さん(ここからは普段どおりに「さん付け」にする)とつながりができ、何度かお会いするなか、ひとつのプロジェクトを立ち上げようという話に発展した。MAX渡辺&マックスファクトリーの活動を軸に、40年にわたるホビー史を振り返るという企画だ。あのMAX渡辺さんに声をかけられて、僕に断る理由はなかった。
 前置きが長くなったが、その「はしがき」として、したためているのが、この文章である。僕は広告業界で企画と編集を生業としてきた。模型業界はユーザーとして見てきたが、模型メディアの専門家ではない。だからこそ、畑違いの仕事経験を活かして、客観的にホビー史をとらえられるのではないかと考えている。
 MAX渡辺さんとの編集会議を重ねて、プロジェクトのテーマとして決めたのは「メカと美少女の造型史」の俯瞰と考察。そこにどんなメディアが関わったのか、どんなメーカーの動きがあったのか、キーマンは何を考えていたのか。あわせてMAX渡辺&マックスファクトリーの活動を読み解きながら、多角的にとらえていく。もちろん、自分の知識は、長いホビー史の断片でしかない。先行して発表されているホビー関連の研究や書籍をリスペクトしつつ、あらゆる取材と関係者の証言をふまえて、このプロジェクトに取り組んでいくつもりである。

髙橋 毅(AT and Fellows)




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