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ホビーシーンの転換点、ホビージャパンの「松本零士」特集とは?①

 1980年代、『機動戦士ガンダム』のプラモデルがホビーシーンを大きく変え、キャラクターモデルを模型のメインストリームに押しあげたのは、多くの人がご存じのとおり。では、ガンプラブームの前はどうだったのだろうか。少し時間を巻き戻してホビーシーンを見渡すと、のちのキャラクターモデルのブームにつながる“きざし”ともいえる動きがあった。月刊ホビージャパンで4回にわたって展開された漫画家・松本零士の特集だ。各特集の内容とその背景から、ガンプラブーム前のホビーシーンを振り返ってみたい。


「松本零士」特集は、なぜ「異色」だったのか

 模型専門誌『月刊ホビージャパン(以下、HJ)』1976年6月号。この号を手に取ったひとりの模型少年は、衝撃をうけた。「異色特集/松本零士の世界」が掲載されていたからだ。実物が存在する戦車や飛行機、クルマの模型が当たり前の誌面に、漫画家・松本零士の作品世界が広がる。わずか11ページの特集だが、そこには模型の新しい楽しみ方の提案があった。この特集を読んで、少年は自分の進むべき方向を明確に意識したという。少年の名前は渡邉誠、当時14歳。のちのMAX渡辺である。
 
 HJが自ら「異色特集」と銘打ったほど、「松本零士の世界」の切り口は当時のホビーシーンにとって“異色”だった。その理由は明快だ。取り上げた模型の題材が漫画だったからである。掲載されたのは、松本零士によるミリタリー漫画の傑作『戦場まんがシリーズ』から、「ベルリンの黒騎士」「成層圏戦闘機」「メコンの落日」「ゼロ」「スタンレーの魔女」の5作品に登場する飛行機。すべて1/72スケールの模型で再現された。たとえば、「ベルリンの黒騎士」に登場する「フォッケウルフ Fw190」は、黒塗りのボディに純白のドクロが描かれた、松本零士らしいデザインが目を引く。以下に掲載された作品をまとめた。

異色特集 松本零士の世界(HJ 1976年6月号)

ホビーシーンに一石を投じた“模型界初”の試み

 現代の視点では、この特集に「どこが異色なのか?」と疑問をもつかもしれない。しかし、当時のプラモデルといえば、実物が存在するスケールモデルが主流。「いかに実物に似せられるか」「実物を再現できるか」が重要視され、HJでも戦車や戦闘機など、考証に基づく模型の作例記事が主役だったのだ。そんな時代に、漫画の塗装やマークを施した模型は掟破りに等しかった。
 特集冒頭、企画趣旨の説明に1ページが割かれている。これを読むと当時のホビーシーンの課題がよくわかる。モデラーの考証疲れというか、追求した模型製作ゆえの行き詰まりというか。ある種の自家中毒を解消したい、そんな編集部の考えが読み取れる。

(前略)でも近頃心から楽しいといえなくなっていませんか?. 膨大な資料にうもれ, 現存する実物のリサーチに追われ, その結果口だけは達者になり, 人の作ったキットを馬鹿にするのは一人前.(中略)そこで我々模型作りを趣味とする者だけでも楽しくやっていこうということで, ここに『松本零士の世界』と題した模型作りの楽しみ方のひとつを御紹介する次第です.(後略)

出典:月刊HJ 1976年6月号(原文ママ)

 引用では省略したが、実際のテキストでは、“考証重視のモデラーが他人のつくった模型の粗探しをする殺伐とした、当時のホビーシーンの様子”が淡々と語られている(昨今のSNS界隈で似たような話も目にするが)。それに対してHJは、「スケールモデルだって資料とにらめっこするだけでなく、漫画を題材に好きに楽しんでいいじゃないか」と新たな切り口を見せてくれた。この号の編集後記「前進微速」には、以下のように書かれている。

“松本零士の世界”はいかがでしょうか. 異色ではありますが, 模型界初の試みとしてとりあげてみました.

出典:月刊HJ 1976年6月号(原文ママ)

この「模型界初の試み」は、さらに3回続き、回を追うごとに軸足はキャラクターモデルへと移っていく。空前のガンプラブームの5年前のことであった。

(つづく)


「松本零士」特集の時代背景① ~1976年のおもなトピック~

 この特集が組まれた時代、当然ながらロボットアニメはスーパーロボット全盛で、「東映まんがまつり」でのマジンガーもの、テレビでも変形・合体が派手な主人公ロボが活躍する作品が目立つ。
 なお、ゴジラ映画は前年(1975年)の『メカゴジラの逆襲』で一区切り。『ウルトラマンレオ』『仮面ライダーストロンガー』も1975年で終了し、特撮2大タイトルも一段落。ゴジラの復活は1984年、ウルトラマンと仮面ライダーの新作は1979年まで待つこととなる。なお、ウルトラマンはアニメ作品として再登場する。

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