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80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈中編〉

 前回同様、1980年代のリアルロボットアニメとプラモデルの概略を時系列で追いながら、ガンプラブームを体験した団塊ジュニア世代の動向について、筆者の振り返りとともに考える。

 後編として1983年から1985年の3年間にフォーカスするつもりだったが、今回は「中編」として1983年に絞ったものをお届けする。1983年は、「リアルロボットアニメとプラモデル」をめぐる動きがとくに濃い一年。概略だけでもかなりのボリュームとなるためである。1984年から1985年までのことは改めて「後編」として切り分けて紹介する。


では、1983年の概略を団塊ジュニアの視点もふまえて整理していこう。

1983年のおもな動向

ダンバイン、ボトムズ、そしてMSVのはじまり

〈1983年①〉

 2月、テレビ朝日系列にて『戦闘メカ ザブングル』の後番組として、同じく富野由悠季が手がける『聖戦士ダンバイン』がスタートする。ザブングル同様、スポンサーはクローバー(玩具)とバンダイ模型(プラモデル)。

 ザブングルからダンバインへ移行する中、事件が起きる。ザブングル後半の主役メカであるウォーカーギャリアの1/100キット販売中止だ。スポンサーによる主役メカ交代で売れ筋商品を増やす戦略は、ザブングルからの定番。では、なぜ販売中止になったのか。その経緯を当時、バンダイ模型で設計を担当した村松正敏は次のように語っている。

村松:1982年の7月6日~8月30まで、(筆者註:1/100「ウォーカーギャリア」の)図面の作成だけで2ヶ月近くもかかっています。その同じ年の12月には1/72ダンバインの図面に入っていますので、木型まで進んで中止になったのだと思います。(中略)1/100スケールは金型の数が多く投資額が大きいので中止という流れになったのでしょう。

出典:『キャラクター・プラモデル・アーカイブVol.001 イデオン・ザブングル・ダンバイン ~富野由悠季+湖川友謙 ’80年代ロボットアニメ・プラモデル変遷記~』

 この発言から費用対効果がネックになったのは事実だろう。すでにダンバインの開発が始まっていた点も見逃せない。

 3月、バンダイ模型がグループ会社6社(ポピー、バンダイ工業、バンダイオーバーシーズ、マミート、セレンテ、バンダイ出版)とともにバンダイに吸収合併され、バンダイ ホビー事業部へと生まれ変わる。
 同月、バンダイから1/144「ウォーカーギャリア」は発売される。後番組のダンバインがはじまっている中での登場だった。
 また、同じタイミングで「機動戦士ガンダム モビルスーツバリエーション(以下、MSV)」第1弾、1/144「MS-06R ザクII」も店頭に並ぶ。熱狂的ブームは沈静化したとはいえ、やはりガンプラ人気は根強い。バンダイが1/100「ウォーカーギャリア」より、新しいガンプラの強化に力を入れたのは想像に難くない。

 3月は、アニメ映画も充実。『クラッシャージョウ』『幻魔大戦』『宇宙戦艦ヤマト完結編』が公開となり、各作品からプラモデルが登場した。バンダイからは新規で1/1000「ヤマト」やサイボーグ戦士・ベガ(幻魔大戦)など。タカラからは『クラッシャージョウ』のスケールアニメキットが多数リリースされた。リアルロボットアニメとは一線を画すが、キャラクターモデルブームを受けての展開だったのは間違いない。

 4月、テレビ東京系列にて『太陽の牙ダグラム』の後番組として、高橋良輔が手がける『装甲騎兵ボトムズ』がスタート。スポンサーは、ダグラム同様にタカラ(現・タカラトミー)で、マーチャンダイジングはスケールアニメキットとデュアルモデルの2方向。しかし、プラモデル登場は夏まで待つこととなる。
 同月、バンダイからは1/144 「MS-06K ザクキャノン」「YMS-09 プロトタイプドム」とMSVの新商品が登場。MSVは、映像がない中で模型主導の企画としてガンダムの作品世界を拡張。やがて映像本編にもフィードバックされていくこととなる。

 5月、バンダイから1/72「ダンバイン」が発売される。放送開始から3か月が経過していた。前述の引用にある通り、ダンバインは前年12月から図面に着手している。そこから商品化までの時間と工数は定かではないが、この“遅れ”にはMSV(ガンダム)が優先されたビジネス的理由もあると考える。もちろん、ダンバインをはじめとする「オーラバトラー」の造型の難しさも一因とは考えられるが。

〈団塊ジュニアの視点 1983①〉

 1/100「ウォーカーギャリア」発売中止の騒動は、『模型情報』で読んだ。筆者は当時、小学5年生。後番組のダンバインも始まっていたので、「新しいものに惹かれる子ども」として、そんなに興味をもっていたかどうか、ちょっと怪しい(成長して振り返り、「欲しかったぜ!」という気持ちが後付けされた感は否めない)。ガンプラブームが落ち着いた後で、ロボットアニメとプラモデルの話をするクラスの仲間も限られつつあったが、そこでも話題にならなかったと記憶している。あくまでも筆者の周囲に限定されるが。
 やはり僕らの興味の中心はガンダムだった。新たなリアルロボットアニメの登場には心惹かれるが、なんだかんだ言ってもガンダムが一番。だからMSVの登場には大興奮したのをおぼえている。
 1983年前半、リアルロボットアニメ(もしくはSFアニメ)の映画もテレビも、小学生には情報量がかなり多かった。手に入れられる媒体も限られ、その中でいろいろかじっては咀嚼しきれないまま通り過ぎたコンテンツも少なくない。たとえば、『クラッシャージョウ』や『装甲騎兵ボトムズ』は、登場するメカやロボットには惹かれたが、物語の本質的な部分が響いたのは、もっとあとになってからだったと思う。

80年代を代表する2つの名作キットが誕生

〈1983年②〉

 7月、『超時空要塞マクロス』の後番組『超時空世紀オーガス』がTBS系列でスタート。スポンサーは、マクロス同様、タカトクトイス(玩具)、アリイとイマイ(プラモデル)。
 同月、テレビアニメを編集した劇場版『ザブングル グラフィティ』と『ドキュメント ダグラム』『チョロQダグラム』が3本立てで同時上映された。
そして、この月、タカラからアニメスケールキット1/24「スコープドッグ」が発売。放送開始から3か月後のことだった。現在の視点でも評価される名作キット。アニメ設定そのままではなく、ミリタリー的視点から解釈が加えられている。前述の『80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』でも、歴史的にありえない「場違いな工芸品」になぞらえ、1/24「スコープドッグ」はオーパーツと評されている。

 8月、玩具メーカーのクローバーが倒産。途中からトミー(現・タカラトミー)が『ダンバイン』の玩具スポンサーとなる。倒産の理由は、『ダンバイン』と『亜空大作戦スラングル』の玩具の不振だったといわれる。
同じタイミングで、月刊ホビージャパン(以下、HJ)別冊『S.F.3.D ORIGINAL』が刊行される。S.F.3.D ORIGINALは、月刊HJ1982年5月号から連載がスタートした横山宏が手がけるSF模型企画。模型によるフォトストーリーとイラストで展開され、ロボットアニメとは少し異なるベクトルで「リアル」を具現化した。

 10月、いわゆる秋の番組改編期にリアルロボットアニメが3本スタートする。まずはフジテレビ系列で始まった『機甲創世記モスピーダ』。スポンサーは、学研が新規参入。プラモデルはイマイ、学研、エルエスの3社で展開。
 次にフジテレビ系列局ほかで『特装機兵ドルバック』が放映開始に。こちらのメインスポンサーはタカトクトイス(玩具)。プラモデルは、新規参入のグンゼ産業(現・GSIクレオス)が手がけることとなる。
 そして、毎日放送制作・TBS系列他で放送された『銀河漂流バイファム』。スポンサーはバンダイだった。

 この時期のプラモデルで注目は、バイファムだろう。11月には、バンダイから1/144「バイファム」が発売。関節のポリキャップ稼働が標準装備になった点は、ガンプラからの進化を感じさせるポイント。12月には、1/100「バイファム」が発売。その出来のよさから、タカラの1/24「スコープドッグ」と並ぶ80年代リアルロボットプラモデルの名作と評される。

〈団塊ジュニアの視点 1983②〉

 1/24「スコープドッグ」と1/100「バイファム」は、当時憧れのキットだった。とくに後者は、HJに掲載された小田雅弘による作例が好きで、穴があくほど眺めたものだ。
 しかし、筆者はどちらもつくっていない。年上の“お兄さんたち”と違い、小遣いの配分にも限りがあったからだ。大きなキットは価格的に手が出しにくかった。MSVも1/144ばかりつくっていたし、ボトムズも1/35、バイファムも1/144と、スタンダードサイズが中心だった。小学5年生当時、まわりの模型仲間も同様の傾向だったと思う。
 そんな1983年の後半戦、リアルロボットアニメが複数放送される中、仲間内でもすべてを追いかけるのは難しくなってきた。筆者はリアルロボットアニメが好きだったが、それでも『モスピーダ』や『ドルバック』まで熱心に追いかけてはいなかった。
 一家にテレビが一台の時代、子どもがチャンネル権を確保できる時間帯は限られる。その中で『キン肉マン』や『キャッツアイ』、『キャプテン翼』も見なければいけない。週刊「少年ジャンプ」の勢いがよかった時期でもあった。
 また、7月には任天堂から「ファミリーコンピュータ」が発売される。ハードをもっている友人は限られるが、その友人宅で集まってゲームをする動きが出てくる。本格化するのは年を越してからだが、クリスマスプレゼントあたりから、団塊ジュニアの興味はファミコンへと変わってきたのをおぼえている。

「おたく」の顕在化と団塊ジュニアの熱量低下

 「おたく」という言葉は、1983年に生まれた。命名者は評論家・中森明夫だ。初出は、中森が『漫画ブリッコ』で連載したコラム「『おたく』の研究」である。なお、この「おたく」は、現在の「オタク(あえてカタカナ表記で区別するが)」が持っているサブカルチャー文脈のマニア趣味的な意味合いとは少し違う。中森もネガティブなイメージでコミケに集まるアニメや漫画ファン、あるいは鉄道ファンやSFファンなどの「熱狂的マニア」に「根暗」の要素を加えて「おたく」を位置づけている。詳細は省くが、かなり差別的な切り口で「おたく」を語っている。

 そんな背景はありつつも、ダンバイン、ボトムズ、バイファムなどと同時期に「おたく」という呼称が生まれたのは、興味深い。当時の「おたく」はマニアを揶揄する言葉だったが、裏返せばそれだけ「リアルロボットアニメとプラモデル」も含めてアニメやSFのコアなファン層が盛り上がって顕在化したとも考えられる。
 一方、団塊ジュニアの周りには、リアルロボットアニメの他に、週刊「少年ジャンプ」や「ファミコン」、はたまたタミヤRCカーなど、魅力的なコンテンツが台頭してくる。当時は意識していなかったが、筆者のような模型少年の日常においても、1983年を境に友人たちのリアルロボットアニメとプラモデルへの熱量が低下していったように思えるのだ。


〈参考文献〉

  • あさのまさひこ、五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)

  • 展覧会図録『日本の巨大ロボット群像』(ぴあ株式会社 中部支社)

  • 月刊「モデルグラフィックス」2010年6月号「巻頭特集リアルロボットジェネレーション」(大日本絵画)

  • 『キャラクター・プラモデル・アーカイブVol.001 イデオン・ザブングル・ダンバイン ~富野由悠季+湖川友謙 ’80年代ロボットアニメ・プラモデル変遷記~』(ホビージャパン)

  • 『ホビージャパン ヴィンテージ VOL.5』(ホビージャパン)

  • 宮澤章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』(白夜ライブラリー)


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