〈コラム〉海洋堂が東京にやってきた!
このコラムは、僕の模型少年時代の記憶をもとに、当時のことを徒然なるままに記録したものである。
1984年7月22日、東京・茅場町に「海洋堂ギャラリー」がオープンした。憧れの「海洋堂」が東京にやってくる。「ホビージャパン」の広告で知ったと記憶しているが、小学6年生の僕は激しく興奮した。雑誌で目にする「海洋堂」の三文字は、はるか遠い大阪の地にあり、高価で精巧なガレージキットを販売する「聖地」であった。それが電車に乗っていけるところに店を出したという。当時の小遣いでガレージキットは買えないが、行くだけならなんとかなる。日曜日、模型友人のS君を誘って、茅場町に向かった。
営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線の茅場町駅で降り、地上に出る。そこは歩いている人もいない静かなビル街だった。いま思えば、日曜のビジネス街なので当然だが、当時の僕らはゴーストタウンのような恐ろしさを感じた。しかし、ここに憧れの海洋堂がある。怖がっている場合ではない。電車賃もかかっているのだ。「ホビージャパン」の広告にあった地図をたよりに歩き出す。
さぞかしステキな模型店なのだろう。僕らはそう思い込んでいた。なぜなら、あの海洋堂だから。きっと大きな「海洋堂ギャラリー」の看板が目を引き、明るい店内にはショーケースが並び、ゴジラをはじめ、海洋堂の超絶ガレージキットが並んでいるはずだ。そんな風に期待をふくらませながら、人のいない茅場町の街を歩き続けた。
しかし、それらしき店舗は見当たらない。道を間違えたのではないか。S君と何度も地図を確認する。すると、雑居ビル(という言葉は当時は知らなかったが)の奥まったところに、それらしき場所を見つけた。これが海洋堂ギャラリーなのか…… 記憶に残っているのは、薄暗い中にガラスのショーケースを間仕切りにした空間。想像していたのとだいぶ違った。奥には、店番らしい「お兄さん」が座っていたが、客の姿はなかった。入っていいものか。迷いはあったが、ここまで来たからには引き返すわけにはいかない。
思い切って入ってみると、そこには雑誌で見たガレージキットが並んでいた。やっぱり海洋堂だ。S君と二人、沈黙したままショーケースを眺め続けたのをおぼえている。店番の「お兄さん」は、僕らのことが目に入らないのか、まったく相手にはされなかった。その方が気楽でよかったが。
僕らにはもうひとつ目当てがあった。オープン記念企画だった思うのだが、あの「川口克己」の作品が展示されているのだ。バイブル『HOW TO BUILD GUNDAM2』にも掲載された作例の実物がそこにはあった。いろいろ見たはずだが、いま思い出せるのは、1/100のシャア専用ザク。「ガルマ散る」の回、廃墟のビルに隠れたシャア専用ザクのジオラマだ。溜息が出るほどカッコよかった。
どれぐらい滞在していたかは思い出せない。僕らは何も買わずに、海洋堂ギャラリーを出た。茅場町の海洋堂ギャラリーに行ったのは、後にも先にもこのときだけだ。その後の海洋堂の発展を考えると、ガレージキット黎明期の貴重な経験だったともいえる。それにしても、あのときの店番の「お兄さん」は誰だったのだろうか。もしかして有名な造型師のひとりだったかもしれない。
Text : Takeshi TAKAHASHI