マルサン商店/ブルマァクの怪獣マーチャンダイジングがホビー史にあたえた影響①
キャラクターモデル史の一面をアニメ・特撮作品とマーチャンダイジングのビジネスの関係から考えてみたい。今回着目したのは、1960~1970年代のマルサン商店/ブルマァクの怪獣マーチャンダイジングに着目する。当時のソフトビニール製怪獣(以降、怪獣ソフビ)は、番組と連動した歴史的ブーム玩具であり、のちのホビーシーンにも影響を与えている存在。まずは、その成り立ちから振り返ろう。
マルサンの「怪獣玩具」第1号はゴジラのプラモデル
マルサン商店(以下、マルサンで統一)は、1958年に国産プラスチックモデル第1号となった「ノーチラス号」を発売したことで、ホビー史にその名を残している。「プラモデル」という呼称を発案して、商標登録したのもマルサンだ(現在、商標権は日本プラモデル工業協同組合が有している)。
日本のプラモデル黎明期をつくったマルサンが、『鉄腕アトム』以降のキャラクターモデル人気の中、次の一手としてプラモデル化したのが、1964年の「世紀の大怪獣ゴジラ」だ。当時のことは、くじらたかし著『マルサン・ブルマァクを生きた男 鐏(いしずき)三郎 おもちゃ道』(東西企画)に詳しい。
このゴジラが大ヒット。マルサンは、怪獣玩具の第一人者としての第一歩を踏み出した。
経営危機を救ったソフビ怪獣の誕生
マルサンのゴジラがヒットしていた頃、ブームになっていたのがスロットレーシング・カーだ。マルサンもブームにのって、プラモデル式のレーシングカーを手がけたが、競合に負けて大きな損失をつくり、経営危機に直面する。
マルサンが起死回生の策として講じたのが、1966年に放送がスタートした『ウルトラQ』に登場する怪獣の玩具化だった。版権を得るために、円谷特技プロダクション(現・円谷プロ)を訪れる。前述、『マルサン・ブルマァクを生きた男 鐏三郎 おもちゃ道』から、そのときのエピソードを引用する。
今では考えられないが、当時の『ウルトラQ』のおかれた状況は、その程度だった。玩具で儲かるなど、円谷関係者すら思っていなかったわけである。
版権を取得したマルサンは怪獣の商品化に向けて動き出す。最初のラインナップは、ゴメス、ゴロー、ガラモン、ペギラ、カネゴン、パゴス。対象年齢をプラモデルよりも下げて、ソフトビニールで人形化した。怪獣ソフビの誕生である。
怪獣ソフビはスタートこそ振るわなかったものの、番組人気を受けて子どもたちの圧倒的な支持を受け、大ヒット。マルサンは、さらに映画作品からゴジラ、パラゴン、大魔神をソフビ化。続く『ウルトラマン』でも版権を取得して、怪獣マーチャンダイジングのトップランナーとなり、第1次怪獣ブームが花開く。
怪獣ソフビがホビーシーンに与えた2つの影響
この第1次怪獣ブームでマルサンが展開した怪獣ソフビは、ホビー史にも大きな影響を与えていると筆者は考える。
まずはプレイバリューの広がり。マルサンの怪獣ソフビは、1966年の『ウルトラQ』からスタートした。ヒーロー不在で怪獣の商品化だったが、これが大ヒット。後番組の『ウルトラマン』がはじまると、主人公・ウルトラマンが商品化される。ここでウルトラマンと怪獣を劇中のように戦わせる遊び方が生まれる。
結果論だが、それまで主人公の玩具はあっても、敵役が商品化されることは皆無だった。アトムの玩具はあってもプルートゥは商品化されないように。敵役の商品化は、ホビー史的にも重要なターニングポイントだ。キャラクターモデルの世界で、ガンダムだけでなくザクやドムが当たり前のようにキット化されているのは、プレイバリューの広がりという玩具史の一面が影響しているのではないだろうか。
もうひとつが造形のギャップ。当時の怪獣ソフビは、対象が年少者だったこともあり、今の視点ではユーモラスにデフォルメされている。しかし、ウルトラシリーズは、年少者だけでなく、中高生や青年層も支持した。彼らにとってソフビ怪獣は造型的に物足りなさがあったはずだ。
それがのちのガレージキットでの“リアル”な怪獣造形へと昇華されていく。「ホントはこんなのが欲しかった!」という思いは、海洋堂やビリケン商会のガレージキット、バンダイのプラモデル「ザ・特撮コレクション」へと広がり、現行の怪獣ソフビにもフィードバックされている。
次回は、その後のマルサンと怪獣マーチャンダイジングを振り返る。
(つづく)
〈参考文献〉
くじらたかし 著『マルサン・ブルマァクを生きた男 鐏三郎 おもちゃ道』(東西企画)
井田 博 著『子供たちの昭和史 日本プラモデル興亡史』(文春文庫)
谷口功・麻生はじめ 著『図解入門業界研究 最新アニメ業界の動向とカラクリがよ~くわかる本[第3版] 』(秀和システム)
別冊映画秘宝『特撮秘宝』vol.7(洋泉社)