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マルサン商店/ブルマァクの怪獣マーチャンダイジングがホビー史にあたえた影響②
前回は、第1次怪獣ブームのマルサン商店の怪獣ソフビのはじまり、そして後のホビー史に与えた影響について考えた。
今回は、その続きとして、マーチャンダイジングを通じた番組への関りを、マルサンとその後継であるブルマァクの取り組みから考える。
かつてのマーチャンダイジングのビジネス構造
当時のアニメや特撮におけるマーチャンダイジング(本稿では玩具やプラモデルなどの商品化)の構造を単純化すると、大きく2つに分類できる(いまは制作員会方式も増えて複雑化している)。
まずは権利者から版権(二次利用の商品化権)を取得して商品化するケース。当時のマルサンのパターンだ。マルサンの怪獣ソフビの場合、権利者・円谷プロダクションは、放送局からの制作費とは別に二次使用料としての版権をマルサンに下すことで収入を得ていたことになる。なお、くじらたかし著『マルサン・ブルマァクを生きた男 鐏(いしずき)三郎 おもちゃ道』(東西企画)によれば、『ウルトラQ』のマーチャンダイジング契約は、円谷プロ45%、TBS45%、日本音楽出版10%の割合だったという。
もうひとつは番組のスポンサーとして広告費を広告代理店経由で放送局に払い(これが権利者の制作費となる)、さらに版権を取得することで商品化するケース。広告主として番組自体に影響力も持てる。なお、初期ウルトラシリーズは「タケダアワー」というTBSの放送枠で武田薬品工業がスポンサーだった。実は、この頃のアニメや特撮のスポンサーは、食品や家電のメーカーが多い。この件については次回取り上げる。
こうしたビジネス構造の中、ブームが過熱すれば、メーカーは作品との距離を縮めて、マーチャンダイジングに力を入れる。のちのアニメ・特撮番組が、玩具やプラモデルのメーカーをスポンサーに作品と連動した商品が展開されているように。
第1次怪獣ブームの終焉とマルサンの倒産
その後のマルサンを見ていこう。『ウルトラQ』からはじまった第1次怪獣ブームは、1968年に終焉を迎える。8月、東宝は映画『怪獣総進撃』で怪獣映画に区切りをつける。9月、『ウルトラセブン』が最終回を迎え、第1次怪獣ブームは幕を引く(後番組は『怪奇大作戦』)。子どもたちも怪獣から離れていった。
マルサン(当時はマルザン※)は1968年12月に倒産する。怪獣ソフビで第1次怪獣ブームの中で大きな役割を果たすも、ビジネスとしてはかつてのスロットレーシング・カーブームでの大損失をカバーするには至らなかったという。
ブームの中で延命されていたと言ったら残酷だろうか。もちろん、マルサンの商品ラインナップは怪獣ソフビだけでなかったが、ブーム終焉と同時期の倒産からも、怪獣ソフビに依存していた経営だったことは明白だ。
※:姓名判断師に、「マルサン」は「丸散」に通じて円が散じるため、円を残す「丸残=マルザン」とすすめられて1967年に社名変更。残念ながらその効果はなかった。
ブルマァクの誕生、新たな怪獣マーチャンダイジングへの挑戦
1969年、マルサン出身の三人が新会社ブルマァクを立ち上げる。当初は、金属玩具・電車シリーズなどを手がけていた。ブルマァクは、ウルトラシリーズの再放送で子どもたちが、マルザンのソフビ怪獣で遊んでいることに気づき、再びウルトラシリーズのマーチャンダイジングにチャレンジする。怪獣ソフビの復活とともに、マルザン時代の反省をふまえた運営・企画・製造・物流によって堅実なビジネスを心がけて、ブルマァクは業績を伸ばす。
1970年9月、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の戦闘シーンを再編集したミニ番組『ウルトラファイト』の放映が始まり、ブルマァクはスポンサーに名乗りを上げる。1社提供ではないものの、広告費を投じてソフビ怪獣を宣伝した。かつての怪獣マーチャンダイジングよりも一歩踏み込んだ形である。ブルマァクが本気でソフビ怪獣のマーチャンダイジングに取り組む姿勢を見てとれる。
第2次怪獣ブームの開幕とマーチャンダイジングの影響
1971年、ウルトラシリーズの新作『帰ってきたウルトラマン』がスタートする。ウルトラマンがブラウン管に帰ってきた。この『帰ってきたウルトラマン』は、マーチャンダイジングを意識して作られている。
当初、初代ウルトラマンが再び帰ってくる設定だったが、同じデザインにすると新しい関連商品が売れなくなる可能性があると円谷プロは考えた。そのため、赤い模様が変更され、別のウルトラマンに設定が変更される。これが「ウルトラ兄弟」の企画につながる。
わずか5年前に、マルサンが『ウルトラQ』商品化で円谷プロを訪ねたとき、「この作品で、マーチャンをする人がいるとは」と言われたことを考えると、180度発想が変わっている。『帰ってきたウルトラマン』からはじまるウルトラ兄弟は、マーチャンダイジングありきであり、それは今も続いている。
ブルマァクは『帰ってきたウルトラマン』のマーチャンダイジングにも力を入れた。主人公のウルトラマンはもちろん、毎週登場する怪獣のほとんどをソフビ化した。選ばれたアイテムではなく、ほぼすべての商品化は画期的な取り組み。再放送と古い怪獣ソフビに飽きてきた子どもたちが、新番組と新製品に飛びついたのは想像に難くない。
また、同時期に始まった『ミラーマン』のソフビも増産。第2次怪獣ブームで、ブルマァクはかつてのマルサンのように怪獣マーチャンダイジングのトップランナーとして存在感をアピールした。
ブルマァクの誤算
しかし、ブームは常に時代とともに変化する。『仮面ライダー』や『人造人間キカイダー』などの等身大の特撮ヒーローが多く登場して、子どもたちの人気も分散・多様化が進む。前述、『マルサン・ブルマァクを生きた男 鐏三郎 おもちゃ道』には、以下のようにある。
この流れの中でブルマァクが最も力を入れた「ウルトラマンA」の超獣も前年の「帰ってきたウルトラマン」の怪獣シリーズの三分の一ぐらいの売り上げに留まった。こうして最初の契約金額を消化するまでには至らなかった。
さらにミラーマンの商品が振るわず、厳しい状況が続く。そんな中、ブルマァクは円谷プロと契約、スポンサーとして特撮テレビ番組の制作を決定する。『ウルトラファイト』の後番組『トリプルファイター』だ。マーチャンダイジングを独占できる立場だが、1社スポンサーとしての費用負担は重かった。番組への関りは、ビジネスを大きくするチャンスでもある。しかし、版権を取得したマーチャンダイジングとは、そもそも求められる体力が違うのだ。
1970年代半ばには、第二次怪獣ブームも終わり、アニメや特撮のマーチャンダイジングの業界地図もだいぶ変わる。後発のバンダイ、ポピー(のちにバンダイに併合)が着実に業績を伸ばす。そして1977年、ブルマァクはついに倒産する。創業当初こそ、前身マルサン時代の反省をふまえて、堅実なマーチャンダイジングに取り組んできたものの、第2次怪獣ブームの中で続いた誤算(ミラーマンの不振、番組スポンサードなど)が招いた結果だった。
マルサン/ブルマァクの残したもの
マルサン/ブルマァクの手がけた一連の怪獣ソフビは、前回のまとめに書いたとおり、のちのキャラクターモデル展開、怪獣造形の進化につながるマーチャンダイジングの転換点だと筆者は考えている。
もうひとつ付け加えるなら、ブルマァク時代の初期、『帰ってきたウルトラマン』でほとんどの登場怪獣をソフビにした総ラインナップ化だろう。これは70年代後半からポピーが展開した怪獣ソフビ「キングザウルスシリーズ」にもつながるコレクション性の高いキャラクターモデルの嚆矢だと思う。造形やサイズを変えて、現行で展開されているバンダイの「ウルトラソフビシリーズ」「ウルトラ怪獣シリーズ」「ムービーモンスターシリーズ」にも継承されている。
なによりマルサン/ブルマァクの怪獣ソフビは、いまも愛され続けている。復刻版も販売され、レトロタイプのソフビ人形は「マルブル系ソフビ」としてマニアに愛されている。リスペクトあふれる同じスタイルのソフビ怪獣を出すメーカーもいる。マルサン/ブルマァクの怪獣ソフビがのちのホビーに与えた最大の影響は、ソフビの素材を活かしたあのカタチを発明したことなのかもしれない。
次回は、マーチャンダイジングとスポンサーの関係にフォーカスする。なぜ、多くのアニメの1社スポンサーが食品メーカーや家電メーカーだったのか。そして、いつから玩具メーカーがスポンサーとして台頭してきたのか。その視点からホビー史との関連性を考える。
〈参考文献〉
くじらたかし 著『マルサン・ブルマァクを生きた男 鐏三郎 おもちゃ道』(東西企画)
井田 博 著『子供たちの昭和史 日本プラモデル興亡史』(文春文庫)
谷口功・麻生はじめ 著『図解入門業界研究 最新アニメ業界の動向とカラクリがよ~くわかる本[第3版] 』(秀和システム)
別冊映画秘宝『特撮秘宝』vol.7(洋泉社)