見出し画像

80年代リアルロボットと団塊ジュニア〈前編〉

 「機動戦士ガンダム」以降、1980年代にはジャンルとして「リアルロボットアニメ」が確立した。それまでの主流だった正義のスーパーロボットは、戦隊シリーズなど特撮ものに受け継がれ、アニメーションの世界では、「実在しそうな設定」で展開される「リアル」なロボットが活躍するようになった。当然、ガンプラブームを受けて、各作品のプラモデルも登場する。

 今回から前後編で、1980年代前半のリアルロボットアニメとプラモデルの概略を時系列で追いながら、空前のガンプラブームで本格的にプラモデルデビューした年少者世代(=おもに団塊ジュニア)の動向について、筆者の振り返りとともに考える。


はじめに ~団塊ジュニアとは~

 一般論として、「団塊ジュニア」は第2次ベビーブーム(1971~1974年)に生まれた世代を指す。圧倒的に人口が多いため、受験、就職、結婚など、ライフステージごとに社会にインパクトを与える可能性がある。たとえば、バブル崩壊後の不況による「就職氷河期」を経験したのも、そのひとつ。アメリカで、X世代(Generation X)と分類される層に近い。
 団塊ジュニアは、80年代を10代として過ごしている。ガンプラが出た1980年には9歳から6歳、空前のガンプラブームが終わった1982年の団塊では11歳から8歳。いまの目で見ると、ものによっては商品の対象年齢を下回るが、当時、劇場版公開と前後してガンプラブームが団塊ジュニアまで一気に広がったのは事実だ。
 なお、団塊ジュニアの親が「団塊の世代」。日本の第1次ベビーブーム(1947~1949年)に生まれた世代。堺屋太一の小説『団塊の世代』から。

 では、年ごとの概略を団塊ジュニアの視点もふまえて整理していこう。

1980年~1982年のおもな動向

ガンダムに続きイデオンが登場

〈1980年〉

 1980年2月に『機動戦士ガンダム』の放送が終了する。当初は、全52話の予定だったが、視聴率の低迷、玩具の売れ行き不振もあり、43話で打ち切りとなった。
 その3か月後、富野喜幸(現・富野由悠季)の手がけた『伝説巨神イデオン』が放映開始となる。東京12チャンネル(現・テレビ東京)で全39話が放送された。スポンサーは、玩具のトミー(現・タカラトミー)であり、ガンダム同様、当初はマーチャンダイジングとしては玩具展開がメインであった。

 9月には、アオシマ(青島文化教材社)が、イデオンのプラモデル商品化権を取得する。7月に初のガンプラ「1/144ガンダム」がバンダイ模型(現:BANDAI SPIRITS)からリリースされ、ホビーシーンでキャラクターモデル、SFモデルの熱が高まっていたことは無関係ではないだろう。
 当初、アオシマは複数のキットを組み合わせる独自企画の「ミニ合体」シリーズなどで、イデオンをリリース。得意なプレイバリュー重視の玩具的アプローチだ。
 そんなアオシマが、ガンダムの1/144シリーズ(ベストメカコレクション)を視野に展開したのが、300円ライン(300円で販売できる箱に合わせたサイズ)によるアニメスケールシリーズ。のちにイデオンもラインアップに加わる。この時点で、ガンプラのライバルになりえたかといえば難しいが、各メーカーがアニメのロボットをスケールモデル的アプローチでキット化しはじめた点は注目に値する。

〈団塊ジュニアの視点 1980〉

 1980年段階で、団塊ジュニア世代でガンダムやイデオンに反応していた人は少数派だろう。実体験からもブームの兆しすら見えていなかったと思う。個人的には、テレビ番組としては『ウルトラマン80』のほうが印象に残っている。

ガンプラブーム周辺とダグラムの存在感

〈1981年〉

 1981年は、空前のガンプラブームが巻き起こり、アニメ史、ホビー史ともに大きなうねりがあった。その背景は以下の記事でもとりあげた。

 2月、アオシマのアニメスケールシリーズに「1/810イデオン」が加わる。300円ラインにおさめた結果、1/810という縮尺になったわけだが、このスケール感が微妙なところ。なお、ベストメカコレクションのガンダムは300円ラインにした結果、偶然にも国際スケール1/144だったという。

 3月には劇場版『機動戦士ガンダム』が、7月には劇場版『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編』が公開。映画とともにガンダムのブームは社会現象となっていく。
 7月には月刊ホビージャパン(以下、HJ)別冊『HOW TO BUILD GUNDAM』が、9月にはみのり書房から『宇宙翔ける戦士達 GUNDAM CENTURY』が刊行され、リアルロボットとしてのガンダム世界を楽しむ価値観が醸成される。

 10月、『太陽の牙ダグラム』が東京12チャンネルでスタート。タカラ(現・タカラトミー)がメインスポンサー。ガンダム、イデオンと同様サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)作品だが、ダグラムではプラモデル(スケールアニメキット)と玩具(デュアルモデル)の2方向で、マーチャンダイジングが展開される。なお、玩具といっても、デュアルモデルは従来の合金玩具とは異なり、明らかに年齢層も高めな「ホビー商材」だった。
 
 同じく10月、年少モデラーたちを刺激する新たなメディアが登場する。講談社の月刊「コミックボンボン」だ。小学館の月刊「コロコロコミック」にぶつけてきたのは、名称とA5サイズの判型からも明らか。
 
 12月、タカラから『太陽の牙ダグラム』第1弾、スケールアニメキット(以下、SAK)「1/72ダグラム」が登場。ダグラムは、ガンダム以上にミリタリー色が強い。陸戦タイプゆえに戦車のような印象が強い。キットも、マーキングを再現する水転写デカール(水に浸して台紙からはがし、プラモデルに貼りつけるシール)が付属していたり、コックピットに搭乗した主人公が見えるように風防がクリアパーツだったり、当時としては本格スケールモデル的アプローチ。大河原邦男によるカラーバリエーションのイラストも、ダグラムが背負っている「ターボザック」も、ガンダムとは違う「リアル」を感じさせるものがあった。

〈団塊ジュニアの視点 1981〉

 「コミックボンボン」が、なんといっても我々、団塊ジュニアを引きつけたのは、ガンプラを中心としたキャラクターモデルの記事。創刊号では、ストリームベース制作と思しきガンプラ作例が表紙を飾っていた。模型専門誌HJは手が出せないが、ガンプラの記事と漫画も読めて330円(創刊当時)の「コミックボンボン」は、小学生にとっても費用対効果が高いメディアだった。
 そしてダグラム。「コミックボンボン」でもコミカライズされたストーリーが連載され、ガンダムを経験したことでミリタリー色の強い物語世界を受け入れるベースはできていた。年末のSAK発売は、ガンプラの品薄もあり、飢えていた団塊ジュニアは喜んで受け入れた。
 生意気にも当時の筆者は、注意書きや汚し塗装による「リアル」指向が高まっていた小学生だったため、SAK「1/72ダグラム」を見て「やっとガンダム以外に楽しいプラモが出てきた」と感じたのを覚えている(イデオンには申し訳ないが)。

製品に求められる「リアル」

〈1982年〉

 1982年、ガンプラブームは衰えをしらない。店頭にガンプラが並ぶことはなく、入荷すれば即売り切れる状態。当時、ガンプラ入荷の噂を聞きつけて、張り込みする刑事よろしく近所の玩具店を見張っていたことを思い出す。
 そんな状態が続く年初、成形色を変え、水転写デカールが付属した「1/100リアルタイプザク」が発売される。あさのまさひこ・五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)では、リアルタイプについて、あさのまさひこが「発売時期と売り方さえ読み違わなければもっと高評価を受けていたはず」と語っている。ガンプラ不足の時期に、「これを出すなら既存のプラモデルを流通させてくれ」というユーザーの声があったという指摘だ。

 同じタイミングで月刊「コミックボンボン」で、原作・クラフト団、作画・やまと虹一『プラモ狂四郎』の連載がスタートする。「プラモシミュレーションマシン」による仮想空間で主人公たちが自作のプラモデルを対戦させるストーリー。実際のプラモデルの特徴を活かしたエピソードや、実在のモデラー(ボンボン誌上で作例を発表していた)が登場するなど、当時の年少モデラーたち心をつかむ仕掛けが満載のプラモ漫画だった。空前のガンプラブームの一角を担ったコンテンツだったのは間違いない。

 2月、テレビ朝日系列で『戦闘メカ ザブングル』の放送がスタート。スポンサーは、玩具のクローバーとプラモデルのバンダイ模型。ザブングルは、ダグラムとは違うテイストの「リアルロボットアニメ」だった。工業機械のような「ウォーカーマシン」は、これまでにない「リアル」を感じさせた。しかし、肝心なプラモデル登場は7月まで待つこととなる。

 3月、劇場版『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』が公開。ガンキャノンが2機登場(機体番号がマーキングされている!)、合体変形のGファイターから航空機らしいコアブースターへの変更、角のついた中隊長ザクの存在など、映画で更新された表現も「リアル」を感じさせる方向性だった。

 1982年の春になると、ホビー関連メディアの動きが活発になる。
 4月、タカラから季刊「デュアルマガジン」が創刊。自社がスポンサードして商品化(プラモデル、デュアルモデル)したアニメ作品を模型とともに取り上げる「ホビーマニュアルブック」として展開された。創刊当初は、当然ダグラムがメインコンテンツ。
 そして、5月に真打登場。月刊HJ別冊『HOW TO BUILD GUNDAM2』である。前作がHJ本誌掲載作例の再録だったのに対して、別冊用の新規作例が目白押し。この本には、注目すべき作例が多いが、本稿では時代の流れをふまえてストリームベースによる1/100と1/144の MS-06Rに注目したい。前者は小田雅弘作、後者は川口克己作。このとき、ストリームベースが使っていたザクの共用パーツは、来るべきMSV開発の参考としてバンダイに提供される。川口克己は「ホビージャパンヴィンテージ VOL.5」のインタビューで次のように語っている。

「ホビージャパン別冊の『HOW TO BUILD GUNDAM』で僕が製作したザクの湿地帯ディオラマから共有パーツを使いはじめ、『HOW TO BUILD GUNDAM2』の前に小田さんとモビルスーツの形を統一しようと打ち合わせしました。MS-06Rのディオラマでは1/144と1/100用の共有パーツを作り起こしています。MSV の製品化が決まったのは『HOW TO BUILD GUNDAM2』のあとですから、バンダイ静岡工場に僕らの使っていた共有パーツを参考に渡しました」

出典:「ホビージャパンヴィンテージ VOL.5」の「[特集]機動戦士ガンダムMSV解体新書」

 模型メディアの作例からマスプロダクツへフィードバックがあった点は興味深い。06R の事例を含めて、『HOW TO BUILD GUNDAM2』が見せてくれた“簡単にマネできない”作品群のクオリティは、ガンプラブームにおける模型表現の到達点と思う。

 7月、ようやく「戦闘メカ ザブングル」のプラモデル第1弾、ウォーカーマシン「1/100トラッド11」がリリースされる。実在する作業機械のような新たな切り口による「リアル」を具現化したアイテムだった。
 時間がかかった理由はふたつ考えられる。まずはガンプラ不足が続いていたこと。需要の大きなガンプラが優先されたのは想像に難くない。もうひとつは、メーカーも「実在しそうな設定」による「リアル」を追求するようになったこと。作品世界とウォーカーマシンのデザインをふまえて、造型に重機のようなアレンジを加える。結果的に開発に時間がかかってしまったと推測する。
 とくに後者のアプローチは、キャラクターモデルのつくりが変わってきた事例として見逃せない。HJ誌上や『HOW TO BUILD GUNDAM』、あるいは「コミックボンボン」誌上で、プレゼンテーションされた「キャラクターモデルの遊び方」=実在の兵器に見立てたアレンジや解釈を加えた「リアル」が、マスプロダクツにフィードバックされてきたといえるだろう。ガンプラのリアルタイプも、いま思えば同じ文脈でとらえ直せるのではないか。

 10月、『超時空要塞マクロス』の放映がスタート。メインスポンサーは、玩具メーカーのタカトクトイス。プラモデルは、イマイとアリイの2社で展開する異例な体制。
 主役機のVF-1バルキリーは、トムキャットに酷似した戦闘機がロボット(バトロイド)に変形する。さらに、飛行機に手足が生えた「ガウォーク」なる中間形態も含まれる。そして、バリエーションが存在する点も「リアル」だった。なお、タカトクトイスの1/55可変バルキリーは、玩具ながら複雑な3形態の変形を実現して大ヒットしている。

 12月、空前のガンプラブームが落ち着く。猪俣謙次・加藤智著『ガンプラ開発戦記』(アスキー新書)によれば、「沸点を下ることなく丸2年」続いたという。しかし、ご存じのとおり、ガンプラは終わったわけではなく、この先も進化を続ける。
 誰もが飛びついたブームが沈静化したあと、次の波としてリアルロボットアニメのプラモデルが広がりを見せる。店頭には、ガンプラだけでなく、競合のプラモデルが並び、ブーム以降も残ったコアなファンたちが、そのシーンを支えていくこととなる。

〈団塊ジュニアの視点 1982〉

 リアルタイプザクが何の前触れもなく店頭に並んだとき、前述の『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』には、反感の声があがったと記されている。ただ、団塊ジュニアの反応は、一概にはそうだったとは言えないようにも思う。年少者に限っては、そこまで考えられていなかった者も少なくなかったのではないか。
 筆者は反感を抱くどころか、単純に「カッコいい!」と思ってリアルタイプザクを入手したのを覚えている。当時は、キャラクターモデル文脈の「リアル」に心酔している小学生だったので、デカールもついていて、最高だと思っていた。リアルタイプに怒っていた友人の記憶もない。あくまでも個人的なケースだが。
 アニメ作品も劇場版『機動戦士ガンダム』はもちろん、『戦闘メカ ザブングル』や『超時空要塞マクロス』などのテレビアニメも、団塊ジュニアの「リアル」指向を刺激した。
 ザブングルでは、主人公機こそヒーロー然としたデザインだったが、その他のウォーカーマシンは重機のような印象を与えた。また、ザブングルが最初から2機出てきたのも「リアル」だった。プロダクトとしてのウォーカーマシンを理解するリテラシーが、量産型ザクを知って以降、団塊ジュニアの中でも培われていたからだ。
 マクロスでは、バルキリーが実際の戦闘機のようなスタイルからロボットに変形するのが、なんと言っても魅力的だった。バルキリー自体が多くのバリエーションをもつ量産型兵器である設定も「リアル」だった。

まとめ 〈1980年~1982年〉

 1980年から、わずか3年間でロボットアニメとプラモデルは、だいぶ変化した。その中で、団塊ジュニアの年少モデラーも「リアル」を合言葉に楽しんでいた。その価値観をつくったのが、『HOW TO BUILD GUNDAM2』であり、「コミックボンボン」の『プラモ狂四郎』である。
 いま思えば、その「リアル」には厳密な定義がなく、「手書きのマーキングがされている」「塗装が剥げたり、泥汚れがついたりしている」「アニメでは描写されていないが実はこうなっている」という「見立て」による遊びだった。
 1982年末にガンプラブームが沈静化すると、そうした「見立て」遊びとプラモデルからも卒業する者たちが出てくる。後編では、1983年のMSV登場から1985年の『機動戦士Ζガンダム』放送開始までを軸に、団塊ジュニアの行動や興味がどう変わっていったか、ホビーシーンから視野を広げて整理する。


〈参考文献〉

  • あさのまさひこ、五十嵐浩司著『'80sリアルロボットプラスチックモデル回顧録』(竹書房)

  • 猪俣謙次・加藤智著『ガンプラ開発戦記』(アスキー新書)

  • 月刊ホビージャパン別冊『HOW TO BUILD GUNDAM & HOW TO BUILD GUNDAM2【復刻版】』(ホビージャパン)

  • 『ホビージャパン ヴィンテージ VOL.5』(ホビージャパン)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?