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統合失調症と霊能

一般的には、「霊」を概ねで三種類に分類する風潮が存在しています。一つ目が「低級霊」、二つ目が「中級霊」、三つ目が「高級霊」です。こうした分類はいわゆる「スピリチュアリズム」と呼ばれる分野に目立っているように思われます。

低級霊とは悪さをする霊のことをそう呼ぶようです。また、高級霊とは善いことをする霊のことをそう呼ぶようです。そして、中級霊はそれら善悪の中間にある存在とされる傾向にあるようです。

悪さをする霊は「悪霊」とも呼ばれ、因果応報の原理に基づいて悪いことをした人に憑依するというふうに主張する人もいます。また、善いことをする霊は「神霊」とも呼ばれ、因果応報の原理に基づいて善いことをした人を守護するというふうに主張する人もいます。悪いことと善いことの中間に位置する霊については前述の悪霊や神霊の場合に比べて記述が少なく、情報が曖昧な傾向があります。

また、統合失調症についても霊の場合のようにある種のスペクトラムを構成しています。つまり、その機能水準別に、低級の統合失調症、中級の統合失調症、高級の統合失調症がありえます。統合失調症者の中には精霊の姿が見えたり、その声が聞こえたりする人も多くおり、それらの特徴は現代の精神医学では「幻覚」と呼ばれています。精霊の姿が見えたり、その声が聴こえたりすることはいわゆる「霊能者」の定義に該当しますから、統合失調症者の多くは霊能者であると言えます。

ここでいわゆるスピリチュアリズムの理論に見られるようなスペクトラム風の霊の分類に依拠するなら、低級霊に憑依されている者が低級の統合失調症者であり、中級霊に憑依されている者が中級の統合失調症者であり、高級霊に憑依されている者が高級の統合失調症者であるということになります。それぞれの段階の特徴について整理してみます。

低級霊に憑依されている低級の統合失調症者の特徴については、低級霊の定義上、その憑依を受けている人が何らかの犯罪などの悪行を為している必要があります。何か悪いことをしていなければ、その人が悪霊としての低級霊に憑依されているとは言うことができないからです。また、善行と言うのは、一般に智仁勇の三徳に適った行いのことであり、悪行はこれらの逆に当たります。簡単に言えば、「智」とは知識のことであり、「仁」とは思いやりのことであり、「勇」とは恐れない心としての勇気のことです。つまり、悪行とは、知識に反する行いであり、思いやりのない行いであり、恐怖に囚われた行いであるということになります。よって、低級霊としての「悪霊」に憑依されている低級の統合失調症者の特徴とは次の三つであると言えます。

  1. 知識がない

  2. 思いやりがない

  3. 勇気がない

以上のことから、悪霊の反対である高級霊としての「神霊」に憑依されている高級の統合失調症者の特徴は次のように整理できます。

  1. 博識

  2. 優しい

  3. 勇猛果敢

では、低級霊と高級霊の中間としての中級霊の場合の特徴はどう整理できるでしょうか? その中間に位置する霊は悪霊と神霊の中間に位置するために、悪霊の性質と神霊の性質の両方を兼備していることになります。したがって、「中級霊」に憑依されている中級の統合失調症者の特徴については次の三つに整理できます。

  1. 無知でありながら博識でもある

  2. 残酷でありながら慈悲深くもある

  3. 臆病でありながら勇者でもある

見ての通り、以上の中級霊の性質は論理的に矛盾しています。つまり、中級霊の存在は知識の論理的秩序に反する性質を持っており、これは智仁勇の三徳のうちの「智」の原理に反していると言えます。したがって、中級霊は悪霊である、とも言えます。一方で、中級霊の存在は悪霊と神霊の中間に位置しており、そのことによって両者の論理的秩序を破壊することで、悪霊と神霊を混ぜる働きを持ってもいます。常に神霊は悪霊よりも強いのですから、悪霊と神霊が混ざれば、常に神霊が勝利します。神霊が悪霊に勝利すれば、悪霊は祓われ、悪霊に憑依されていた低級の統合失調症者は清められることになります。悪霊によって苦しんでいる人を思いやり、助けることは善いことですから、これは智仁勇の三徳のうちの「仁」の原理に適合していると言えます。したがって、中級霊は神霊である、とも言えます。

さて、以上の帰結から、中級霊は悪霊かつ神霊であるというユニークな特質を持っていることが分かりました。しかし、この帰結自体もやはり矛盾しています。とは言え、その現象が論理的に矛盾しているとしても、そこに根付いている「両義性」自体は確固としたものであり、少なくとも現行の人類の知識によっては崩すことができません。つまり、中級霊の存在は、人の手に余る存在であり、それは神霊的な「吉兆」にもなりえますし、悪霊的な「凶兆」にもなりえることになります。とても両義的な存在です。

また、低級霊と言うのは低い位置を占める霊のことでもあり、高級霊と言うのは高い位置を占める霊のことでもあります。古来より、神道では下の方にある低い位置にあるもののことを「地」と呼び、上の方にある高い位置にあるもののことを「天」と呼びます。また、地に属する神様のことを「陰神」と呼び、天に属する神様のことを「陽神」と呼びます。この意味で言えば、実は低級霊と言うのも「陰神」に当たることになり、要は神様であることになります。清い天に属する神様もまた言うまでもなく「陽神」に当たるのであり、それ自体が神様であることになります。つまり、低級霊も高級霊も実はどちらも神様であることになります。この世界はすべて神様によって創造されたものですから、すべては神様に由来しており、そこに例外はないということです。

そして、一心に神様にお仕えすることが神道の基本的な筋ですから、「この霊は低級霊だからお仕えしなくてもよい」とか「高級霊にだけお仕えして、低級霊は蔑ろにしてもよい」とかの差別的な言動はそれ自体が神道の基本に反しており、悪なるものであると言えるでしょう。そうではなく、低級霊とか高級霊とかの差別なく、万物を慈しみ愛するのが真に正統な神道であると言えます。

以上のことから、「本物の霊能者」の特徴については次の三つにまとめることができます。

  1. 統合失調症である

  2. 智仁勇の三徳を有している

  3. 差別をせずに万物を慈しみ愛している

前記の本物の霊能者の特徴よりも正確性は落ちますが、以上の特徴をよりマイルドに言い換えると次のようになります。

  1. 変わった人である

  2. 立派な人である

  3. 優しい人である

簡単にまとめると、本物の霊能者とは、何かしら変なところがあって、立派な人格者で、慈悲深くて優しい人であるということです。逆に、偽物の霊能者とは、凡庸な悪に囚われていて、卑しい悪意を持ち、人を不当に貶めて攻撃する人であるということにもなります。

また、ある人が本物の霊能者かどうか判断に迷うようなら、その霊能者に「無償の愛」が備わっているかどうかを試してみるといいと思います。これを試す最も簡便な手法の一つは、その霊能者が「お金を取るかどうか」を観察することです。その霊能者がお金に執着するようであれば、その人は偽物である可能性が高いですし、お金に執着していないようであれば、その人は本物である可能性が高くなります。一応、ご参考ください。

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