2010.04 寝台特急北斗星に初乗車から10周年記念・復刻旅レポート
※この記事は2010年の情報です
1.はじめに
2020年の部
2010年4月、私は4日間の旅をしました。それは往復ともに寝台特急北斗星(札幌-上野)を利用し、初めて東京を訪れ、1人での移動距離が最長だった、記念すべき大旅行でした。
あれから10年が経ち、2020年。北斗星は2015年に廃止され、東京を訪れてもそこまで感動しなくなり、私は1人で日本全国どこでも行けるようになっていました。
しかし今年に入ってから、不要不急の外出(私の旅趣味そのもの)を自粛せざるを得ない未曾有の世界的な緊急事態となり、旅をしたくても出来ない、徘徊意欲が不完全燃焼の日々が続いています。
なので、今こそ復刻の旅レポートとして、当時の旅の新鮮な感動を再認識しよう!と思いました。
私は旅を終える度、思い出や小ネタを事細かにエッセイ風の文章にする癖があるので、それを読み返すと当時の情景が鮮明に蘇ってきます。なので今回は、その10年前の北斗星の旅のメモを基に、加筆修正でまとめ直しました。
それでは10年前の奇行な紀行にお付き合い下さい。
2022年の部
…と、創作意欲を出して全体の半分ぐらいまとめ直して以降、何故か2年が経っていました。10周年と銘打っておきながら、10周年に全然間に合わなかったのが私のいつものパターンです。(寛容)
改めて、12年前の奇行な紀行にお付き合いください。
12年前の精神状態
12年前、当時の私は休養よりも仕事を優先させる(のが当たり前と思い込んでいた時代の)社会人でした。指示されただけ上限無く働いており、作業量を自分で管理できる今とは全く違う仕事内容でした。
それに加え、3月は1年で最も忙しい年度末繁忙期という事もあり、残業が79時間でした。繰り返しますが、働き方改革の概念がまだ存在しない時代です。
そんなつらい繁忙期を乗り越えた4月、旅に出て何もかも忘れたいという衝動は現在とは比べ物にならず、癒されたい・解放されたいという想いも相当深刻でした。(今思えばノイローゼ気味)
そんな当時、会社の窓からは線路が見え、数々の夜行列車が日々通過していました。寝台特急北斗星(札幌-上野)、寝台特急カシオペア(札幌-上野)、寝台特急トワイライトエクスプレス(札幌-大阪)、寝台急行はまなす(札幌-青森)…そう、伝説の札幌駅発着・夜行列車オールスターズです。
今は全て廃止されましたが、この夜行列車の数々が「仕事なんて休んでこれに乗りなよ!」と呼び掛けているように感じ(強めの幻聴)、日常からの解放の象徴として神がかって見えていたのです。(強めの幻覚)
そして私は2010年、念願の上野行き北斗星の切符を購入しました。同時に札幌行き北斗星の切符も購入しました。そうです、往復とも寝台特急北斗星です。
東京に行くついでに、高校卒業後に上京した友人・az氏と久々に会い、観光をする事にしました。1人で初めての東京をさまようのはかなり心細かったので、東京在住のaz氏が一緒だと安心です。
尚、az氏はこのまま東京に根を張ってしまったので、私が年に一度は東京を訪れ、az氏と会って旅行をするのが恒例行事となりました。
この北斗星の旅は、今も続くaz氏との伝統行事の記念すべき第1回となったのです。
2.伝説の旅が始まる
2010年4月某日(1日目)
15:00~
私は3泊4日分の荷物を詰めたキャリーケースを引っ張り、札幌駅へ向けて出発しました。当時は実家住まいだったので、バス停まで親に車で送って貰いました。…そう、駅ではなく、バス停です。
当時の私は極力地下鉄を利用せず、意地でも路線バスを利用するストロングスタイルのバスオタク(?)でした。若気の至りとは、こういう事なのでしょうね。
尚、現在は時と場合によって地下鉄とバスを使い分ける、常識人のバスオタク(?)に落ち着いています。
札幌駅へ向かうバスに乗り、約45分かけて札幌駅へ。地下鉄を利用すると20分である事実も添えておきます。きっと当時の私は、時間よりも大切な何かを見出していたのでしょう。(単なるストロングスタイルのバスオタクです)
札幌から上野までは約16時間の長旅ですが、当時は北斗星に連結されている食堂車を利用する度胸(?)が無く、当日の夕食は予めコンビニで購入しました。ツナマヨおにぎりと冷やしたぬきうどんです。揺れる車内でまさかの汁物チョイスです。何も考えていませんでした。
因みに、翌日の朝食は購入していませんでした。上野に着いたら何か食べようと考えていました。完全に人間の空腹サイクルを甘く見積もっています。
17:00~
私は北斗星が入線するのを見守る為、早めにホームでスタンバイしました。時間は夕方の帰宅ラッシュで、次第にざわめきを増していく札幌駅で、差し込む西日を浴びながら、その時を待ちました。こういう時、私は旅の始まりの自分に酔っています。
これまで自主的に3泊4日クラスの長旅をした事が無かったので(5泊6日の高校の修学旅行は自主的ではないので除く)、この日の為にキャリーケースを新調しました。
若者丸出しの(この頃はまだ若者でした)ポップな柄の派手な一品で、雑貨屋で安価に購入した記憶があります。明らかに機能性より外見を重視していました。後日、強めに後悔をします。(伏線)
私はホームの頭上に記されている乗車位置案内のプレートを確認して、北斗星11号車の乗車位置にスタンバイしました。
が、しばらくして不意に、自分が乗るのは11号車ではなく1号車ではないか?と、思いました。慌てて切符を確認すると、やっぱり1号車でした。
私はこのような、無意識に記憶の取り違えが起きて、思い込み勘違いを頻発します。今でもそうです。一応それを自覚しているので、本当にその記憶で合ってるか?と自分で自分を疑いまくります。
結果、11号車は喫煙B寝台で、1号車が禁煙B寝台でした。慌てて1号車の乗車位置へ、ホームの端から端まで小走りをしました。そして何食わぬ顔で(?)スタンバイし直しました。
気を取り直したところで、ホームに北斗星が入線してきました。先頭車輛は北斗星仕様の青に塗装されたJR北海道のディーゼル牽引機関車DD51が力強い重連編成で…とか、今は暗記の如く北斗星の車輌説明が出来ますが、当時の感想は「わあ~かっこい~い!」でした。それでよかったのにと思います。
早速、B寝台と記された1号車に乗り込みました。次は翌日の上野まで地上に降りる事はありません。私はその非日常な移動が目的なので、ワクワクでいっぱいです。
B寝台は1区画にベッドが向かい合って上下に2列並ぶ、4人1部屋的なブースです。私は入口から向かって左側下段です。
このブースに札幌駅から乗るのは私だけだったので、個室気分で旅が始まりました。
3.在りし日の寝台列車の乗車記録
17:12 札幌発
定刻通りに北斗星は上野へ向けて、ゆっくりと動き始めました。車窓は札幌市内の見慣れた風景がですが、私が今乗っているものは北斗星であるという特別感(ロマンティック)が止まらず、軽く泣いた気がします。情緒不安定です。
いつも会社の窓から眺めていた北斗星ですが、今日は北斗星の窓から会社を眺め、そしてあっという間に通り過ぎていきました。その瞬間、私は仕事から解放されたという謎の感動に包まれました。
今、改めて当時の感情を思い出していましたが、完全に仕事ノイローゼです。当時は分かりませんでしたが、今なら分かります。この人に休養が必要です。(昔の私です)
発車してすぐ、車掌のお兄さんが切符を拝見しに来ました。当時、札幌⇔上野の移動に使ったお得な切符は《札幌・東京フリーきっぷ》でした。
これさえあれば¥29500で旅行中の殆どの交通費をカバー出来て、かなり便利でした。実際、往復とも北斗星の利用を想定して作られた切符と思われます。その為、現在は販売されていません。
17:46 南千歳
発車から30分ほど過ぎたころ、私は自室(B寝台)を恐る恐る離れ、食堂車へと向かいました。
私は、食堂車での食事利用はハードルが高過ぎると判断し、事前におにぎりと冷やしたぬきうどんを買った食堂車利用戦意喪失人間ですが、食堂車自体には興味があります。
そして食堂車では北斗星グッズの販売がされている、という情報を得ていました。
旅行の準備段階で、少しでも情報を得てから北斗星に挑みたかった私は《北斗星 乗りこなし》で検索していました。
現在のインターネット情報氾濫時代とは違い、当時は実際に乗車した鉄道ファンの個人ブログが有力な情報源でした。そのため《乗車したら早めに食堂車へ行ってお土産を買うべし》という個人見解を発見し、私はそれに素直に従いました。
食堂車へ赴いてみたところ、ほぼ完全な品揃え状態で北斗星グッズを吟味できました。どれを買うべきか商品をチラチラ見ていると、車内販売のお姉さんに発見されました。
そして「自分用のお土産ですか?でしたら女性の方に人気のストラップなど如何でしょうか?」とお声掛けされました。
なので、車内販売のお姉さんに言われるがまま(自分の意見が無い訳ではなく実際気に入った)北斗星ストラップと、星のチョコサンドクッキーを購入しました。
本当はもう一つ、北斗星チョロQも欲しかったのですが、照れてしまって(?)買えませんでした。
帰りにタイミングがあれば買おうと後回しにしましたが、北斗星が好きで北斗星に乗っているのに、私は一体何に照れていたのでしょうか。
食堂車では既に食事の利用をされている方が2人ほど居ましたが、その中をウロウロ買い物してもさほど気まずくなかったです。(全席埋まっていたらきっと気まずい)
星のチョコサンドクッキーは北海道銘菓・白い恋人と同じ味でした。一箱そのままお土産にするつもりではなかったので、買ってすぐ1枚だけ味見(?)して判明しました。
尚、北海道内走行中は北海道の北斗星グッズが、本州走行中は本州の北斗星グッズが販売されていると知ったのは、もっと後の事…
18:41 登別
夕食として、乗車前に購入したツナマヨおにぎりと冷やしたぬきうどんを消化しました。当たり前ですが、うどんはぬるかったです。
そして車窓は自然豊かな風景に変わっていました。まだ道内なのでご近所感覚ですが、夕陽はいつ見ても美しいです。
20:04 長万部
発車してからずっと1人で個室気分を満喫してましたが、長万部で向かいの席におばちゃんが乗車してきました。
これは…どうしよう…挨拶とかするべきなのかな…と考えてる間に、タイミングを逃しました。旅情は好きだけど人情が実践できない人間です。
このB寝台における他の乗客と会話全然出来ない問題は根深く、この後も数年に渡って夜行列車で似たような事案が続きます。尚、今ならきちんと会話できます。
21:48 函館
そして函館にて、残りの2席も全員おばちゃんで埋まり、4人1部屋が完成されました。全員女性で席をまとめてくれたのか、偶然なのか、取り敢えず自分以外の乗客が男性だったら怖いと思っていたので、そこは安心しました。
函館では先頭の牽引機関車を付け替え、進行方向が変わり、青函トンネルへ突入します。
この付け替え作業が鉄道ファン的には結構重要なイベントなのですが、当時の私は駅のホームに降りた瞬間に北斗星が発車して取り残されたらどうしよう恐怖観念が強く(よほどウッカリしてない限りそれはない)、怖くて一歩も降りられませんでした。
走行中の揺れる洗面所で足を踏ん張りながら歯磨きをして、23時過ぎに就寝しました。
2010年4月某日(2日目)
0:15~
面白いものがでてきました。深夜のテンションで私が記したメルヘンチック(?)ポエムです。折角なので公開します。
おばちゃんのいびきで目が覚めてる時点でメルヘンではない。尚、原文は《ばばあのいびき》でしたが、表現が強すぎるので訂正しました。
ただ、この時に見た東北の星空の美しさが、今でもずっと忘れられません。真夜中の星空なんて見た事がなかったので、この美しい車窓は心に刻まれました。
05:59 福島
仮眠程度ですがまあまあ寝て、福島の手前で目覚めました。そして寝起きすぐに車窓を凝視します。スマホのGPSアプリなど無い時代なので、昨夜同様、通り過ぎる駅名を瞬時に見て、何となく現在地を把握しました。
そして、次第に衝撃的な光景が…車窓の流れてゆく街並みは桜が満開でした。もしかして、今の季節は…春!?と、動揺です。
出発時の北海道は残冬だったので、まるで一晩で季節が移り変わったような、とても不思議な感覚になりました。
06:15 二本松
そして私は自室(B寝台)を離れ、最後尾の車輌から流れてゆく景色を眺め、予め用意していた厳選した昭和歌謡旅ソングをイヤホンで聴き、夜行列車の朝に感涙しました。(まだ情緒不安定)
自室に戻ると、自分以外の3人のおばちゃんが同年代だったらしく、急速に仲が良くなって「一緒に食堂車行こ!」「ウン、行こ行こ!」「何食べよっか!ウフフ!」と出掛けてしまいました。ちょっと疎外感を感じました。
私は…朝食無しでした。上野に着いてからなんか食べるからいいやと思ってましたが、既に空腹でした。
09:13 大宮
大宮では、駅のホームに大勢の撮り鉄の皆様が待ち構えていました。巨大な一眼レフカメラや、巨大な三脚を立てた本格派撮り鉄の人々を初めて見た私は、これが東京!と謎の感動をしました。(大宮は埼玉県です)
そんな中、私は何故か車窓からピースして、本格派撮り鉄の皆様の写真に写り込もうとしました。東京に近づくにつれて、気持ちが大きくなってきたのでしょうか。
12年前の4月に大宮駅停車中の北斗星を撮影されて、B寝台車窓からピースをしている人物が写っている写真をお持ちの方、私である可能性があります。
09:35 上野着
もうすぐ上野到着というところで、車内放送が流れました。当時の音声がガラケーのボイスメモに1分少々録音しており、手元に現存していました。
余談ですがこのガラケー、目覚まし時計として現役のため昨年バッテリーを購入して取り替え、延命措置を行いました。まだしばらく使えます。
以下、車掌さんの車内放送を文字起こししてみました。9割方聞き取れましたが、微妙に間違っていたらすいません。
そして、ピロピロピロリ↑ピロピロリ↓(国鉄時代から続く伝統の車内放送オルゴール音)です。旅情の極みがここに具現化(?)されました。また軽く泣きました。
9時半過ぎ、定刻通り無事に上野へ到着しました。上野駅に降り立つと、ホームで駅員さんが「うえのぉ~~うえのぉ~~」と言って、旅情の最終奥義を放ってきたので、感動で語彙力が崩壊しました。
本当に…ここは上野なんだ…!あぁ…約16時間、ずっと楽しかったな…本当にいい旅だった…ありがとう北斗星…!!
※これからaz氏と合流して東京観光です
到着早々、驚愕する光景が広がっていました。 北斗星を撮影する撮り鉄の皆様の人数が尋常ではなかったのです。
しかしこの光景が、上野駅13番線の通常状態だと知ったのは、何度か北斗星に乗った後の事…
4.初めて降り立った東京
上野に到着したよ!とaz氏にメールをすると「中央改札で待ってる」と返事が返ってきました。
そんな…中央改札とか…東京の大地を踏み出したばかりの、生まれたての羊のごとく小刻みに震える私が、中央改札なんかどこにあるのか…分からないよ…!と、普通に困惑しました。
取り敢えず、真っ直ぐ…真っ直ぐ…と進んだところ、運良く中央改札でした。ここで、北斗星の到着ホームは地上であると知りました。
因みに、先ほどの車内放送で『上野駅でお降りのお客様は、前より11号車よりにお進みになりますと中央改札口がございます。』と、私に必要な情報を全部提供していました。
しかし、私の脳は《寝台列車の車内放送(ノスタルジーサウンド)》としか理解できず、《降りた後に必要な道案内情報》とは理解出来ていませんでした。私はいつもこうです。
改札の向こうに(何故か真顔で仁王立ちしている)az氏をすぐ発見して、安心しました。そんなaz氏の隣で女性駅員さんがにこやかに立っていて、何かシュールな光景でした。
高校卒業後ずっと東京で働いてるaz氏から「東京に遊びに来てよ!」と誘致され続けて早数年。ようやく遊びに来れました。
これでもう文句ないだろうと思ったら「本当に電車で来た!笑」と笑われました。本当に電車で来ましたよ。
上野駅から外に出てみると、すぐ気温に驚きました。北斗星に乗車中は南下するにつれて車窓から徐々に桜が見えてきて、うららかな春を感じていたのに…実際に降り立った東京は、気温が夏でした。
つい昨夜、出発時の札幌は春コートだけでは寒く、手袋をしても寒く、ガタガタ震えながら駅まで向かったのです。それなのに今は、春コートなんか着ていられない暑さです。
気温を理解したので、お着換えを行いました。春コートは脱ぎ去り、身軽な初夏のスタイルとなりました。
そして己の空腹を思い出しました。上野駅前には有名なアメ横がありましたが、アメ横は通り抜けて、朝食は全国共通(?)朝マックでした。
朝マックの後は上野界隈をフラッと散策しました。見るもの全てが都会で物珍しかったです。
因みにこれ以降、翌日の昼まで全く写真を撮っていないので、画像がありません。想像でお楽しみください。そのぶん文章に注力します。
東京は生き急いでいて写真を撮ってる隙がなかったとメモに残していますが、単に私が初めての都会に浮かれていただけだと思います。
時間が経つにつれて気温は更に上昇し、あまりの暑さに本日2回目のお着換えをしました。長袖とパーカーとスカートだけの完璧な夏スタイルです。
4月なのに夏の格好で闊歩するなんて、昨日は微塵も思いませんでした。
実はこの日、もう一人の友人・mk氏とも合流する予定になっていました。同じく高校時代の同級生です。この頃は、知人の上京率が最多の時期でした。みんな東京に流出し過ぎです。(個人意志ではなく家庭や会社の都合もあります)
mk氏とは秋葉原で合流のため、上野から秋葉原へ移動します。山手線に初乗車し、これがあの噂の…山手線…!!と興奮して、「山手線を一周してみたい」とaz氏に提案したところ、却下されました。
東京の複雑な電車路線も、プロ東京人のaz氏に黙ってついて行けば問題なしです。
尚、当日のaz氏は休暇だったのですが、休暇だろうが構わず会社からガンガン電話が掛かってきて、そんなに忙しいの!?と驚くと同時に、うわ~!az氏は都会の忙しいOLなんだ~!ヒュ~!と、羨望の眼差しを向けていました。
今考えれば、休暇なのに会社から電話が掛かってくるとか、ヒュ~!ではなく、普通に嫌です。
超有能メイドさん
秋葉原に到着し、キャリーケースを駅前ロッカーに預け、身軽になって観光を開始しました。程なくしてmk氏とも合流し、こちらも数年振りの再会を果たしました。
場所は秋葉原。この世の総ての二次元が集う場所(?)…という訳で、当時私が推していた作品のグッズを探す行脚に繰り出しました。
「今日は!東京に遊びに来てくれたmawariの為に!○○(私の推し作品)グッズを探す事に全力を尽くすぞ!」「オー!!」と、唐突な決起集会が行われました。なんてこった…二人共優しい…笑
まず、mk氏が把握してる「私が思うにここにありそう」な中古グッズショップに案内されました。すると店頭で、いきなりお目当て作品のグッズを発見できたのです。すごい嗅覚です。東京のオタクは基礎能力が違います(?)
しかし、この他の中古グッズショップは熟知していないとの事で、ここから先は我々が闇雲に探し回るより、確実な手段に頼ろうという流れになりました。オタクの頭脳戦です。そしてそれは、その道のプロの助言を求めるという事です。
その道のプロとは…秋葉原無料案内所のメイドさん!
当時、秋葉原の事なら何でも教えてくれる超有能なメイドさんが駅前に常駐していたのです。因みに無料案内所といっても、健全な案内所です。ご安心ください。
ただ、私は初対面のメイドさんに自分の推し作品のグッズがどこの店で取り扱っているか尋ねるという行為のハードルが高過ぎて、メイドさんの近くでもじもじしていると、見かねたaz氏が先陣を切ってくれました。
az氏「グッズ探してるんですけど」
メイドさん「お嬢様はどういったグッズをお探しですか?」(女性はお嬢様と呼んでくれる)
az氏「○○!(私の推し作品)」
メイドさん「はい!○○ですね!でしたらこのお店と、このお店と…」(手元の地図にペンで印を付け始める)
回答まで0.1秒!このメイドさん…有能!超有能!というかもはや人間の処理速度ではない。AI搭載してる?
私が東京で最初に度肝を抜かれたのは、まさにこのメイドさんでした。こんな人が居るんだなぁ…(感心)
因みに、当時の私の推し作品はマイナーで、もしメイドさんに「お嬢様、申し訳ございません、そのような作品は存じ上げません」なんて言わたら、悲しくて立ち直れなかったと思います。豆腐の心です。
それなのに、想像を裏切るこの100点満点の回答。素晴らしいです。この件で私のメイドさんに対する評価は爆上がりし、《何でも知ってるメイドさん》ではなく《メイドの扮装をしている有識者》なんだな…と認識を改めました。
秋葉原で行脚
メイドの扮装をしている有識者が教えてくれた通りに、地図に付けられた印の店へと向かいました。すると、お目当てのグッズが…ザクザクと…!あまりの的中率(占いではない)に思わず呆然としました。
そのまま次々と地図に付けられた印の店を行脚し、地元では流通量がゼロに等しかったグッズが次々と目の前に現れ、私の内心はアメリカンキッズの誕生日パーティぐらい興奮していたのですが、「おっ…あるじゃん」ぐらい冷静を装って、購入しました。
ここで一旦冷静になる為(?)、昼食休憩です。東京の人がよく行くファミレスという認識の、ジョナサンに入店しました。近年、関東にしかない店の北海道進出が増えてきましたが、今も昔も北海道にジョナサンは無いです。
私はこの時、三陸海藻サラダ(+何かの主食)を食べたようですが、そんなヘルシーなものよりエネルギーの権化である肉を食えと助言したいです。この後も散々歩き回り、体力に限界が訪れるので…
昼食後も地図に付けられた印の店を行脚していると、気温が更に上昇し(最高気温20℃の記録だけど体感はそれ以上あった模様)、当時の私は貧弱だったので頭が朦朧としていました。今思えば、軽い熱中症です。
az氏もmk氏も「東京に住んでる私でも今日のこの暑さは異常」と言っていたので、どうやら私は異常な日に来てしまったようです。
そんな中で訪れたとある店舗は、大規模改装中のようで、エレベーターが休止しており、外の非常階段を8階上り下りする羽目に陥りました。
楽しいのに、つらい…体力がついていかない…心と体が乖離している…そして体力の限界を越え、瀕死になりました。
夕方ようやく秋葉原駅前に戻り、屋台でタピオカミルクティーを吸収しました。タピオカ屋は流行りに関係なく、昔からあったんですね。
ふと気付くと、道行く大勢の老若男女が同じ柄のビニールバッグを持ち歩いていました。
無料で配布されていたのか、両面に美少女キャラが大きくプリントされた萌えビニールバッグを、この街では普通ですけど?という顔で、誰しもが平然と持ち歩いて、街中に溢れていた光景が、普通じゃなかったので忘れられません。超秋葉原っぽいな…と思いました。
都会の夜が終わらない
さて、これにて解散…と思いきや、これからカラオケに行こう!という流れになりました。なんて元気なんだ。いや、久々に会った若者同士だからなのでしょう。
私は待ち時間、椅子に座ってうたた寝していました。瀕死だからです。
利用したのは1時間だけでしたが、その店は設備が最新で、とても気持ち良く歌えました。東京にあるものはあらゆるものが最新です。
因みにmk氏とカラオケに行くのは高校時代以来で、すっかり忘れていましたが、mk氏は歌姫(ディーバ)でした。こんな美声で歌える人が居るんだなぁと、改めて聴き惚れました。
さて、これにて解散…と思いきや、これから居酒屋に行こう!という流れになりました。なんて元気なんだ。いや、久々に会った若者同士だからなのでしょう。(2回目)
また、この居酒屋では液晶タッチパネルの電子メニューなる機器に初めて触れたようです。東京にあるものはあらゆるものが最新です。(2回目)
ここでの会話のひとつに《私とmk氏のガラケーが同機種の色違い》があったようです。私のガラケーはカメラ機能が(当時にしては)高性能だったので、旅行中もデジカメ代わりとして使っていました。
この記事でも、劣悪な画質の写真データが多い中、たまに高画質の写真データが残っています。
居酒屋には2時間ほど滞在し、これにて…今度こそ解散となりました。私はaz氏宅に宿泊させて頂くので、mk氏とは秋葉原でお別れです。行きの北斗星で買った星のチョコサンドクッキーを数枚、mk氏に差し上げました。(箱ごとではないのが貧乏性)
私は「良いお年を!」と、年内にもう会う機会が無さそうな人に掛ける挨拶をして、お別れしました。
そしてあれから…12年。よいお年を12回過ぎましたが、mk氏とはお会いしていません。元気かな。
東京の公共交通機関
秋葉原からaz氏宅へ向かい、再び電車移動です。改札をaz氏がピッとSuicaで通ったのを見て、《SuicaとKitaca(JR北海道の交通ICカード)は相互利用可》という情報を思い出し、私は駅員さんにアタックしました。メイドさんには話しかけられませんが、駅員さんには話しかられます。
私「ここでKitacaは使えますか!?」
駅員さん「使えません(即答)」
使えませんでした。時代が早かったです。そもそも今乗ろうとしていたのはJRではなく、東京メトロでした。相互利用していませんでした。
今や交通ICカード1枚で、国内都市部の鉄道もバスも買い物も、何でも利用できる時代ですが、交通ICカードが出始めの12年前は、鉄道会社間の相互利用すらまだでした。そう考えると、この12年でのデジタル革命が凄いです。
az氏の自宅最寄駅に到着し、更にここからバス乗換…のはずでしたが、「時間が遅くなってもうバスが無い」らしいです。そんな馬鹿な…東京は眠らない街だからバスも深夜2時ぐらいまで余裕で運行しているはず…(思い込み)
徒歩でaz氏宅を目指していると、気候がまるで夏の夜でした。とてもジメジメしていて、春だと思ったら夏で、夏だと思ったら熱帯夜でした。急激な気候変動による環境適応が全く出来ません。
そして次第に、キャリーケース(荷物が増えて重い)の挙動も不審になってきました。タイヤ部分が明らかに愚鈍で、引っ張るのにかなり苦戦し、まともな速度で歩けません。多分壊れています。機能性より外見を重視して購入した報いを受けました。
するとそんな私の横を、バスがスィー…と通り過ぎて行きました。az氏が「まだあったね」と呟きました。
これは、全国のバス時刻をネットで素早く検索できるシステムが確立されていない時代のエピソードです。たった12年前です。悔しかったです。
程なくして、az氏宅に到着しました。長い1日でした。私はキャリーケースに購入したグッズが隙間無く入るよう、パッケージ類を捨てて整理整頓をしていました。
その時私は、これは狐か狸に化かされていて、帰宅したらこれらのグッズは全部葉っぱなのでは…?と割と本気で思いました。あまりにも欲しいグッズが手に入ったので、混乱していたのだと思います。そして、欲しい物が手に入る欲望の街・東京…とも思いました。
今でもたまに欲しい物が全部売ってる不思議な店の夢をみるのですが、この体験が、深層心理に刻まれているのでしょうね。
その間に、az氏は就寝していました。私も疲労の極みで、横になって5秒で意識を失いました。
5.都会の休日
2010年4月某日(3日目)
翌朝、8時半に目が覚めました。旅先なので緊張していたのか、正常な時間に起きられました。昨日あれだけ疲れたので、もし自宅だったら、12時間は寝てたと思います。
今日は特に予定を決めていなかったので、az氏と昼前までTVをダラダラと観ていましたが、天気もいいので出掛ける事にしました。
昼食は回転寿司です。実は、これが人生2回目の回転寿司でした。未就学児でも人生で2回以上行ってると思います。
何故かと言うと、私は生魚が苦手で、生魚が回転してそうな場所は長年敬遠していました。しかし生魚じゃないメニューも多々あると知って以来、堂々と入店(?)できるようになったのです。なので今後もお気軽にお誘いください。生魚以外好きなんで…
春だけど夏
昨日は大都会のコンクリートジャングルに留まり過ぎた反動(?)で、ネイチャーな自然を感じたくなりました。
az氏のお勧めで、レクリエーション公園へと向かいます。そこでは桜が満開で、とても見頃でした。忘れかけていた春のうららかさを再び取り戻しました。
そして、昼過ぎには昨日同様に気温が上昇し、春が過ぎ去って夏の日差しになりました。都会の季節の流れる早さは恐怖です。
あまりの暑さに一旦az氏宅へ戻り、夏の軽装にお着替えしてから、再び出発しました。行先は、大自然を感じられるという都会のオアシス・葛西臨海公園です。
ここからはバス移動です。東京で初めて乗るバスは都バスだと勝手に決めていた(?)のですが、実際は京成バスでした。尚、都バスに執着している理由は、都バスで飛ばすぜ的な番組が流行っていた為だと思われます。
私はここで人生初の前乗り・先払い・後降りシステムのバスに乗りました。地元は後乗り・後払い・前降りなので、まるっきり逆です。東京はそういうシステムらしいと話は聞いていたので、これが噂の…!となりました。
ここは運賃が全区間均一なので、先払いなんですね。距離によって運賃が変わるのに先払いだったら、訳が分からなくなります。
都会の自然ここにあり
バスを降り、葛西臨海公園に到着しました。東京湾を臨む広大な敷地は、まさに私が求めていた自然です。今日はここでのんびりと散策をします。
もう昨日からずっと東京のカルチャーショックを受け続けているのですが、まだありました。街路樹がヤシです。動揺しました。
正確には街路樹というより、公園用に植えられたものだと思います。ただ、ヤシがあるという事より、ちゃんとここで育っているという気候に度肝を抜かれました。そんなに温暖なのですね…
暑いので海を見ながらアイスを食べていると、蜂と機械を足して進化させたような警戒色の昆虫が飛んで来たので、慌てて逃げました。これも見たことない虫です。何もかも日本ではないみたいです。
それにしても、想像以上に人が多かったです。大勢の人々がひしめき合って、レジャーを楽しんでいました。
地元で考えると、休日とは言え自然公園にこの集客力(?)は、有り得ないな…と思いました。不思議空間です。
園内をあちこちと歩いて、夕暮れ時になりました。夕暮れの景色はとても綺麗でした。
帰り際、急に強風が吹き始めました。満開の桜がはらはらと散り、都会の自然の中で美しい桜吹雪に遭いました。
臨海公園を後にし、再びバスに乗車しました。すると、バス停でカメラを構えている男性が…これはもしや、撮り鉄ならぬ、撮りバス…!?
そこまで本格派にバスを撮影する人を初めて見たので、バスって撮ってもいいんだな(?)と、普段バスを撮りたくてもあまり積極的に撮れなかった私に、勇気を与えてくれました。(ストロングスタイルのバスオタク)
※この旅で撮ってるバスは旅行のノリであり、普段の地元では積極的に撮りません。
この作品を観ろ!2010
東京に滞在するのもあと小1時間となり、az氏宅で忘れ物が無いか荷物の最終チェックをしていると、急に「なんか○○(az氏の推し作品)観たくなってきた!観よう!」と提案がありました。
そう、これこそaz氏との旅行で未だに続く謎の伝統行事《この作品を観ろ!》の記念すべき第1回です。内容は、単にaz氏がその時にハマっている作品を鑑賞するだけの事です。
ただ、普段なら観てもいいのですが、その時はちゃんと無事に帰れるか不安でソワソワしていて、時間の余裕も持ちたいので、出来ればもう上野に行きたい…
結局、az氏の推し作品の1話を全部観てから、上野へ向けて出発しました。
改めて都バスに初乗車し(さっき2回バスに乗ったからもう感動が薄い)、az氏の自宅最寄駅に到着しました。
そこから乗車した電車は、1輌にドアが沢山あって座席は3人掛けしか無いスタイルでした。これぞまさに、座る事をやめて詰める事に長けた都会の通勤電車!と思い、興奮です。その後も見かける電車にいちいちハシャぎつつ、上野に到着します。
上野タイムアタック
私「東京はとても楽しかった!また遊びに行くよ!」
az氏「また電車で帰るの?笑」
改札までお見送りをしてもらい、ここでお別れ…と思いきや、az氏が「ちょっとトイレ行ってくる!」と突如走り去って行きました。…ん?この時間、何?(発車13分前)
今なら、これで別れの挨拶は済んだと判断して迷わず北斗星に乗車しますが、当時はaz氏が戻ってくるまで待つべきなのか判断が出来ず、突如取り残された私は、ただ混乱していました。
落ち着くため、売店でひよ子サブレを購入しました。
すぐaz氏は戻って来ましたが、戻ってきた!顔を見た!じゃあまた!と、瞬時に解散しました。この空白の待ち時間は一体何だったのでしょうか。今でもよく分かりません。
その後、私は大慌てで改札を通り、コンビニで今日の夕食分と明日の朝食分を購入しないといけないのですが、選り好みしてる余裕すら無く、更に混乱していて、1食分しか買えませんでした。(発車9分前)
少量の食料を手に、北斗星の乗り場を探します。どこだ!13番線か!ああ来た時と同じか!地上そのまま真っ直ぐか!けど1号車だからホームの端か!まともに動かないキャリーケース引きずって大移動か!小走り!つらい!…と、盛大に大慌てしました。
発車3分前、私はようやく1号車まで到達し、乗車しました。今日も体力の限界でした。こんなに余裕の無い旅はもう嫌だ…あと走り過ぎて汗だく…
約1名の瀕死な乗客を乗せ、北斗星は定刻通りに札幌へ向けて発車しました。
6.そして伝説の旅は終わる
19:03 上野発
B寝台のベッドに腰掛けて息を整えている内に、北斗星は動き出しました。予定通りに乗車できたので、このまま乗っていれば札幌に着きます。これでひとまず安堵です。
復路も往路と同じB寝台で、場所が左側下段なのも同じでした。ただ、向かいの右側上段・下段ともにおばちゃんが既に乗車していました。個室気分はできないので、大人しくします。
様子を伺っていると、何やらこのおばちゃん達は数名のグループで乗車しているらしく、別のブースに集まって会話をしていました。なので、私のブースにはあまり戻って来なかったので、多少気は楽でした。
19:30 大宮
発車してすぐ、大宮で私の上(左側上段)におじさんが乗車しました。私の上空(?)に知らないおじさんが居る…と緊張しましたが、どうやらこのおじさん、夫婦で乗ったのに奥様と別のブースになったしまった様子で、可哀想でした。
因みに、夜行列車では《家族と別のブースになってしまったので席を交換してください取引》を持ち掛けられる事が、割とありました。今回は発生しませんでしたが、その後の旅では持ち掛けられた事がありました。
その際、咄嗟の出来事で判断できず、お断りして、後から考えたらこちらに条件の良いランクアップの席であった事。お断りした結果、ブースでキッズが永遠に騒ぎ続けて疲弊した事。後悔の権化の思い出です。
往路は乗車してすぐ車掌さんが切符を拝見しに来ましたが、復路はとても遅かったです。札幌→上野の切符拝見は1号車から、上野→札幌の切符拝見は11号車からなんだな、と理解しました。
21:00~
往路では呼び止められなかった車内販売のお姉さんを、復路は呼び止められました。
こういう販売において、客は予め買うものを決めておかないと時間のロスで迷惑では?という強迫観念があったのですが、そんなこと全然ありませんでした。「何ありますか?」とか「北斗星グッズありますか?」とか、お姉さんと会話をしていいと気付いたのは、もう少し後の事…
尚、「何ありますか?」で「決めてないんですか?」を返されたのは、廃止直前のトワイライトエクスプレスの車内販売の行列(廃止前の混雑で客もスタッフもピリピリしてた)だけです。これは私が悪い。
そして、お目当ての本州限定車内販売・北斗星せんべいを購入です。草加せんべいに《北斗星》の焼き印が入っていて、遠目からでも北斗星である事が一目瞭然の良心的なお土産です。
これはとても気に入り、その後も北斗星に乗車する度に購入しました。お土産としても、職場で配ったら大好評で嬉しかったです。
そして往路で購入できず後回しにしていたチョロQも、勇気を出して購入です。かわいい!
23:30~
気付いたら、疲れて寝落ちしていました。車窓を見る元気は残っていなかったです。北海道へ輸送される荷物の気持ちになって、ガタゴト揺られ続けました。
2010年4月某日(4日目)
2:30~
深夜、目が覚めました。車窓を見ると盛岡でした。まだ本州か…盛岡…わんこそば…と考えている内に、また寝落ちました。今だったらわんこそばではなく、冷麺の事を考えるでしょう。(蛇足)
6:49 函館
次に目を覚ますと、朝の函館でした。北海道に輸送されていました。寝ている間に青函トンネルを越えていたんだな…となるのが、夜行列車の醍醐味です。醍醐味を満喫しました。
8:59 洞爺
森から洞爺あたりまで二度寝を決めていると、その間に同じブースのおばちゃんとおじさんの3人全員が下車していました。
意外と札幌まで乗らないんだな~と思いつつ、ブースが私1人になったので、終点の札幌まで個室気分を開始しました。
個室気分と言っても、写真を撮ったり、この旅レポートを後々まとめ易いようにメモの清書をしていました。ただ、そのメモの清書があるからこそ、12年後の今、当時の時系列を詳細に確認できます。昔から律儀な自分にありがとう。
例によって空腹だったのですが、今度は車内販売のお姉さんを呼び止める勇気が湧かず(昨夜は出来たのに)、北海道限定車内販売のアイスを買えませんでした。
車窓は徐々に見慣れた風景へと戻ってゆき、3日前に背にして見送った会社が見え、近付いて、通り過ぎました。その瞬間、現実に帰ってきてしまった…という事実が押し寄せ、夢が覚めていくのを感じました。
その後も車窓から見える会社を起点に、旅の始まり・旅の終わりを感じる体質(?)になりました。今でもそうです。
こうして長かった旅も終わり、北斗星は定刻通り無事に札幌駅に到着しました。
11:15 札幌着
ただいま札幌!と同時に、寒くてガタガタ震えました。けど本来の4月は、桜なんて咲かず、夏の日差しなんて無く、この情け容赦ない冷たい風に吹きさらされ、寒さに震えてる方が普通なんだ…
あの東京での2日間は…そう、夏の幻だったんだ。(ポエムチックな原文そのまま)
7.おわりに
12年前の奇行な紀行を振り返って
長らくお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。この旅レポートは元の文章量がとても多い上に、12年も経っているので、黎明期のネット用語の多用による不適切表現や、語尾に☆の乱用による支離滅裂表現で、手直しに相当の時間を費やしました。
ただ、当時の精神状態、初めての長距離移動、在りし日の夜行列車、今も続く友人との旅、東京観光でカルチャーショック連発など、どれも今では感じられない新鮮な感想が、溢れるほど記されていました。
それらをひとつずつ読み返し、ああ、私は最初、こういう気持ちで旅行していたんだな…と、懐かしさを深く感じられました。
これから先も、まだ訪れた事の無い土地へ旅をして、最初でしか感じられない新鮮な感想を、少しずつ増やしていきたいです。
そしてこのような旅レポートという形で、今後もまとめられていけたらいいな、と思っております。
おまけ 今でも会える!寝台特急北斗星は今
・ベーカリーレストラン グランシャリオ
北斗星の食堂車を使用したレストランです
最寄駅:東川口
・北斗星スクエア
北斗星のB寝台を使用した宿泊施設です
最寄駅:茂辺地
・崎守ふ頭の留置車輌
北斗星の牽引機関車DD51が海外輸出予定のため、2016年から崎守ふ頭に留置されています。近傍の道路から姿が見えます。
※立入禁止区域があるので近付く事は出来ません。
※留置のため輸出が行われた場合は予告なく撤去されます。
最寄駅:崎守
※上記はいずれも2022年5月現在の情報です