2017.04 それは往年の名列車
※この記事は2017年の情報です
いい日 旅立ち 南へと向かうバスで
2017年4月、私は休暇をとって高速バスに乗っていました。前日まで繁忙期の多忙で虫の息でしたが、何とか片付け、大慌てで交通チケットの手配を済ませ、一路、青森県の弘前駅を目指していました。
何故なら、どうしても最後に会いたい相手が、そこに来るからです。
当日、高速はこだて号(高速バス)に乗り、新函館北斗駅へ向かいました。悪天候でも運休せず、速度制限ならそれを死守し、通行止めなら下道で、寡黙に目的地へひた走ってくれる…高速バスへの信頼は厚いです。
また、高速はこだて号は北海道新幹線の開業と共に新函館北斗駅を経由してくれるようになったので、利便性が増しました。特に冬季は運休・遅延が多くギャンブル性の高いJRよりも、格段に高速バスが安全です。
未知なる脅威
高速バスなどの長時間移動を共にする空間における近隣席は、いかなる人物が襲来するかは毎回運任せです。そして今回はよくわからないくさい物を食べているアロハシャツのおじさんが背後におりました。控え目に言って大凶です。
そのよくわからないくさい匂いは背後から車内へ徐々に広がり、異臭対策用に持ち歩いているマスクを装着するも効果は無く、手荒れ防止用に持ち歩いているハンドクリームのフローラルな香りを吸い込んでみるも、防ぎきれません。
車窓は道南の雄大な景色ですが、車内は謎異臭地獄です。
もう駄目だ…不快…嘔吐…する…という瀬戸際で、新函館北斗駅に到着しました。こうして私は、一命をとりとめたのです。バスを降車し、外の新鮮な空気を吸えた時、泣きたいほど嬉しかったです。
一応、私も数多の旅をしてきたので、このような謎異臭事件や謎迷惑乗客には度々遭遇するので、特段これが前代未聞ではないのですが、まぁ強烈の部類でした。
なので、今回のよくわからないくさい物を食べているアロハシャツおじさんも、謎迷惑乗客の殿堂入りとしたく思います。
一体なに食べてたんだろ、くさやかな…いや、腐乱死体でも持ち歩いていたのかな…(だとしたら事件)
津軽海峡の底
新函館北斗駅から新幹線に乗り換え、津軽海峡を越えます。新函館北斗駅は開業1周年で、おもてなし装飾が華やかでした。ここまで来ると、見飽きた北海道脱出!本州突入!的なテンションになり、やっと旅の気持ちが上がってきます。
※ここまで大して上がっていなかった。くさかったし…
ここで撮れば必ず画になる新函館北斗駅のホーム先端で、写真を撮ります。かっこいい。画になりました。
青函トンネルを新幹線が通るようになり、その速さには毎度驚いています。寝台列車で通っていた頃と比べると、本当にあっという間に感じます。体感はヒュン!です。
そして、発車メロディがピーヒャラドンドンとご陽気な新青森駅に到着しました。やはり体感はヒュン!でした。
しかし、近距離移動過ぎて物足りないです。個人的には東京まで乗ったら満足です。そんな思いで東京へ向かう新幹線を恨めしく見送り、更に移動を続けます。
たのしい ひろさき
新青森駅からJR奥羽本線に乗り換え、目的地である弘前駅に着いたのは夕方ごろでした。車体の蛍光ピンクが新鮮に感じます。
弘前駅は見渡す限り見た事も無い車輌だらけで、テンションが爆上がりしました。(鉄道大好き小学生と同じ感性)
特に、五能線を走る国鉄カラーの気動車・キハ40系は私の中で相当なノスタルジー対象で、感動で震えました。
ただ、五能線に乗る時間的余裕はありませんでした。しかしどうしても近くで見たかったので、駐車場の金網の隙間からカメラをズームして撮影しました。(旅先不審者)
他にも、弘南鉄道にもお目にかかれました。ラッピング車輛は直塗りスタイル。
私が弘前まで会いに来た相手には、翌日お会いできる予定なので、本日は弘前駅前の東横インに宿泊です。
そしてこの宿、トレインビューホテルだったのです。東横イン公式HPでもご丁寧に特集ページがありました。私の部屋は角部屋だったので、トレインビュー的な意味で窓から丸見えでした。ありがとうございます。
会いたくて会いたくて…震える
翌日、今回の旅の本題に向かいました。私が会いたくて会いたくて震えていたのは、昭和の寝台列車黄金時代を駆け抜けた往年の名列車・583系。そのラストランです。
弘前駅の改札モニターにはデジタル横断幕が。このために来たぞ感が盛り上がります。
583系の定期運用は2012年で終了しているため、私の身近で慣れ親しんで、何度も乗って、思い入れが深い列車ではないのです。583系は今日が初めまして・そしてさようならです。
しかし、私が知り得ない時代に活躍した伝説の寝台列車が、生きて動いている姿を、実際に見られる最後のチャンスがあるなら…それを見届けられるなら…弘前なんて近いじゃない…会いたい気持ちが抑えきれない…!という、鉄道寄りの乙女心(?)が爆発して、はるばる弘前まで来たという次第です。葬式鉄というやつです。
当日、583系は臨時列車として弘前-秋田を数回往復する行程でした。
弘前駅は朝から多くの鉄道ファンや報道陣で混み、限定グッズ販売コーナーには長蛇の列が出来ていました。限定グッズはクリアファイルとかよくある感じだったのであまり物欲が刺激されず、スルーし、ホームで到着を待ち構える撮り鉄の皆様に紛れ込みました。
すると、事情を知らない地元民のおばさまが(大勢の中から何故か私を選んで)話し掛けてきました。
「こんなに(鉄道ファンが)集まって…何が来るんです?」
「(なんて説明しよう…)ええと、583系という、昔の夜行列車が、特別運転するんです」
「そうなんですか!有難う御座います~」
「(よかった伝わった)」
旅先では高齢者の方に頻繁に話し掛けられる謎の誘引力を持つ者です。
そして、遂に…583系がやって来ました!
ホームに入線した瞬間、感動でわあーーーっ…となって、写真を撮る手が止まって、震えてました。会いたくて震えて、会えても震える…私、西野カナ鉄(?)かも知れない…
因みに、報道陣が結構入っていたので自分の映り込みが気になり、後日ネットでニュース等を確認しましたが、ギリッギリ映っていなかったです。ただ全部を確認した訳ではないので、どこかの局には映っているかも知れませんが…
いろんな角度から君を見てきた
弘前駅に到着した583系は、再び秋田駅への折り返し出発まで、しばしの休息です。乗客が降りてきて記念撮影をしたり、なまはげも降りてきて記念撮影に応じたり、鉄道ファンが集まって車輌撮影したり、報道陣が(当たり障りない人に)インタビューしたり、大賑わいでした。
私も、583系にカメラを向けたり、佇んで眺めたり、数多の旅情を乗せて走ってきたであろうその姿に急に感極まったり、正面から撮ったり、横から撮ったり、向かいのホームに移動して遠くから撮ったり、時間の許す限り心赴くまま色々してみました。
小一時間ほどのノスタルジー浸りまくりタイムの後、583系は再び秋田駅へ向けて出発しました。秋田駅で再度折り返して夜に弘前駅へ戻り、ラストラン運転は終了となるようです。
私は、生きて動いている583系の最後の姿を見るという、壮大な目的を達成したので、未練無く弘前駅から空港連絡バスに乗り、青森空港へ向かいました。帰りは空路で一直線です。流石に鉄路往復する時間的余裕がなかったもので…
余談ですが、青森空港にて人生で最も見栄えの悪いクリームメロンソーダをご賞味しました。
店員さんがソーダの分量を見誤ったままクリームを入れたら泡が爆溢れしたらしいのですが、申し訳なさそうにそれを席に持って来て、ティッシュを敷かれた時は、一体何事かと思いました。尚、味は普通でした。