結末をたずねて三千里
エッセイもどきを書きかけてはそれ以上進まない、ということを何度も繰り返している。下書きは溜まっていく一方で、結局これは何が書きたいんだ?おもしろくなるのか?と考えてしまったが最後、筆が突然止まってしまう。
小説なんかもっとひどくて、思い浮かんだ書きたい部分だけをざっと書いてしまえば満足してしまうことなんてざらだ。よく映画監督や漫画家、小説家なんかが「このシーンを描きたかった」と語ることがあるけれど、私はそのおいしいとこ取りしかしていない。
いろんな小説を読んでいるとたまに思う。この世界は書ききったもん勝ちなんだろうなあ、と。短編長編に限らず、物語を結末まで導いていける体力と根気があるかどうかが肝なんじゃないかって。これらもまた文才のひとつだと、私は思うのだ。
私にはかつて毎日小説を書き続けていた頃のような情熱がもうなくて、そんなことよりももっとやるべきことがあるような気がしてならなくて、これまでどうやって書いてきたのかを見失いそうになっている。今はその時期じゃないのかもしれない、けれどその一方で何かを書き残しておきたい私もいて、私はその狭間でやじろべえみたいに不恰好に揺れている。
いつまでもパソコンの前で首を捻っていてもしょうがないので、夕飯の準備に取りかかった。今夜はきゅうりの浅漬けと、作り置きの味噌汁と、初挑戦の豆腐ハンバーグ。冷凍庫で眠っていた挽き肉をようやく消費できる。
あえて違う作業をしているときの方が何か浮かんでくることが多いのだから、人間ってめんどくさい。たった今生まれた文章を取りこぼさないように、合間合間にパソコンに文字を打ち込んだ。けれど何もかもが初めてのハンバーグに手をつけだした途端、書くことなんて考える余裕すらなくなった。
なんとか完成させてからほっと息をつく。きゅうりの浅漬けは今回うまくいかなくて、何か物足りないぼんやりとした味だった。一方ハンバーグは見事に成功して、豆腐のやわらかさと肉と玉ねぎの歯ごたえが絶妙でたまらなく美味しかった。
肉と豆腐と調味料の混ざった得体の知れない塊をねちょねちょ捏ねている間は、軽はずみでとんでもないことを始めてしまった、とひっそり後悔した。途方もない作業だと思っていたのだ。
けれど、料理には終わりがある。途中で失敗しようが手を抜こうが、最後にはなんとか帳尻を合わせてそれっぽいものを完成させる。達成感というか、私はやってやったぞ、と自信が生まれる。
同じなのかもしれない、と思った。書くことはいつだってやめることができるけれど、料理は一度始めてしまえばほとんどの場合中断しようがない。要はそれだけの違いで、終わらせることができる人はただやめない人、というだけなのかもしれない。
思い返せば、書き進めるうちにそれらしい糸口が見えてくることはたくさんあった。進めないことには終わらない。当たり前のことだけれど、紆余曲折を経ないことには失敗か成功かすらもわからないのだから。そして失敗した浅漬けは、今度もっと美味しくなるように調味料を加えてやればいいのだ。
頭の中であれこれ案を出すだけで思い悩むのはやめよう。とりあえず、なんでもいいから進めてみよう。そうすれば、考えているだけでは見つからなかった何かが見えてくるかもしれない。迷うのは、迷うべきときになってからでいい。
……というわけで、卒論その他諸々頑張ります。