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<卒制インタビュー!>「Manual Complex」(万屋一心)

みなさま、こんにちは!
映像学科専任講師の高谷です。高谷ゼミでは4年生に卒業制作インタビューをしてみました!
記念すべき第1回目は、2024年度高谷ゼミを代表するストップモーション・アニメーターの万屋一心(よろずや・いっしん)さんです!

Q1.自己紹介をお願いします!
ストップモーションアニメーターの万屋一心です。コマ撮りをはじめとする映像作品、写真、絵画などを制作しています。本家ヨロヅヤは祖父母です。

公式X【studio YOROZUYA / @studio_4628】
https://x.com/studio_4628

Q2. 作品について紹介してください!
他者と対峙するとき人は失敗を恐れる。
空気を読み間違えること。
選択を誤ること。
他者を傷つけ、自分が傷付くことに恐怖し『一般通念』という暗黙のルールに縋ってしまう。
しかしそこにコミュニケーションはあるのだろうか。
偶然や予想外のエラー、統一されることのない不規則な挙動。そういったものを拾い集め、軌跡とともに他者と向き合うからこそ人と人との関係性は儚く、そして尊い。
本作では「空気を読むこと」「本当のコミュニケーションとは何か」をテーマに、マニュアルという一般通念に縋る主人公を描いた。

Q3. 作品を作ったきっかけは?
今作における制作の動機は自身の「空気を読むこと」「コミュニケーション」に対する単純なトラウマです。昔から上手く立ち回ろうとすればするほど空回り、かえって失敗することが多くありました。そんな失敗体験が自身のコミュニケーションに対する諦念を生み「こうしてさえいれば嫌われない、これさえ出来れば失望されない」という最低限守るべき決まり事、マイルールへの執着へと繋がったのだと思います。しかしそれは脳死のコミュニケーションに過ぎません。自身を守るための盾だったマイルールは自身と他者を隔つ壁にもなりました。当たり障りのない八方美人は誰からも嫌われない。その代わりに人間味が欠けるため誰からも本当の自分を見てもらえず、自分で自分を孤独へ追いやってしまう。その孤独に気付いていた時点で自分は「誰かに嫌われたくない」のではなく、「誰かに愛してもらいたかった」のだと今になって感じます。先入観や固定概念を捨て、対峙した人間から得られた情報ではじめて物事を考える。それがきっと本来のコミュニケーションの姿だったのだと考え至り本作を制作しました。

Q4. 大事にしたところ、大変だったところ、がんばったところ
こだわった点はいくつかありますが、パッと思い浮かぶのは主人公の目の動きです。彼は作者の分身ですから、とにかく「嫌われること」を恐れています。他者と対峙する中で相手の挙動をひたすら観察し息を潜め「もし読み間違えたら」「もし見落としたら」と怯えている。一種の強迫観念です。それを描くためにも主人公の動きは自身とリンクさせられるよう工夫しました。ipadの中に自身の動きだけを撮影した参考用ビデオが沢山あります。それだけで一つ実写作品が作れそうです。
また、客(主人公が対峙する相手)のキャラクターも出来るだけトラウマを具現化させました。恐怖の対象であることに違いはありませんが、それぞれで恐ろしさのジャンルは異なります。個人的に一番苦手な客は二番目の、泣き笑いをする羊のピエロです。

Q5. サウンドについて
音から得られる感情の機微は非常に多いので、今作では初めて外部にお願いしました。というのも自分は音痴故「こうしたい」という理想はあれどそれを実体化する能力に欠けるからです。「基本的に人物が発する効果音で緊張や不安を煽りたい」「補助的に音楽があれば嬉しい」というファジーな依頼でしたが、コラボ先である桐朋学園大学作曲専攻の学生はそれをそのまま形にするのではなく独自の解釈を交え、より深い考察のもと音をつけて下さいました。元来全てを一人で完結する制作スタイルの自分ですが、今作では作曲家と衝突しながら一つの作品を仕上げていき、まさにこれがコミュニケーションだなあと実感しています。専門外であった「音」をその道の専門の方にお任せしたことで、過去作とは比較にならない洗練された作品となったのではないでしょうか。

Q6. 大学生活を振り返ってみて
同学年の誰よりも時間を守った自覚があります。この四年間で遅刻はしたことがありません。課題の遅延は一年時に十秒の遅延が一度だけ(サーバーダウンによる遅延でしたが遅延は遅延です)。出席が任意である授業以外欠席もしたことがありません。実技の授業を除く講義系の授業は必ず受講後に復習をし受講前日までに予習をしました。なぜそこまで真面目に?とよく聞かれます。白状すると理由は単純、大学では誰も叱ってくれないからです。自分は高校までは随分ルーズな生徒だったのでよく叱られました。尻を叩いてくれる誰かがいました。しかし大学では誰も叱ってはくれません。一度自身を甘やかせば堕ちるところまで堕ちることが目に見えていました。だから自身にあえて強迫観念を与え、「ここでサボれば今までの完璧な記録が途絶える」と自分で自分を律しました。そうすることで苦しいこともある一方、良いことがあります。一番は頑張りを見ていた誰かが支えてくれることです。才能も華もないのに沢山の教授から良くしてもらいました。「こんな作品も参考にするといい」「わからないことは気軽に聞いてね」と、全く趣味も作風も異なる教授や講師の方から声を掛けていただき、そういった経験がより自分を奮い立たせてくれる。凡人の自分でも凡人らしく日進月歩でここまでやってこれたのも、またこれからもやっていけるだろうと信じられるのも頑張りを見ていて下さった先生方のおかげだと思います。才能があるか否かより、社会で重要なのはその為人です。そう言い切れる自信があります。だって、いくら世界を魅了する力を持った作家でもいつまでも締切を破っていては見限られるでしょう。力も衰えていくでしょう。しかし為人が良い人は、例え同じ時点で才がなくとも地道に努力をするから伸びる。才能ある人にとっては鼻で笑うほど小さな小さな変化かもしれませんが、それでも確実に伸び続けます。いつか才のある人と実力が並んだとき、周りはどちらの作家を選ぶでしょうか。何の話だ、と思われるかもしれませんが、自分が大学四年間で学んだことはこれが全てです。

Q7. 差し支えなければ、今後はどんな進路を?
幼少期からの夢だったストップモーションアニメーターです。

万屋さん、ありがとうございました!(たかや)

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