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福岡国際マラソン
12月1日。兼ねてから憧れていた福岡国際マラソンを走ってきた。
12/1 福岡国際マラソン
— TDK (@krun6956) December 1, 2024
2°32’59(1°13’46-1°19’13) 2nd PB
・
今持てる全ては出し切った。その結果なのでこれが今の実力。
3’30/kmで手前まで耐え続けていた分能力は上がってるのは確かなので諦めずに今後も頑張りたい。
最高の大舞台、楽しかった…! pic.twitter.com/nC8leYOn5M
PB更新とまでは行かなかったが、春から取り組んできた過程が少しではあるがやっと身を結んできたと実感できたレースであった。
今後に向けて忘れないうちに残していきたいと思う。
福岡国際マラソンを目指すきっかけ
この大舞台を目指した理由。それは大学時代のコーチであった久保健二さんがきっかけでした。
クラブチーム・ランニングデポの代表であり在籍していた明治学院大学のコーチでもあった久保さんに4年間お世話になった。ただ貧血もあったりで結果は振るわなかったことだらけ。何も恩返しできなかったことが心残りだった。
2年時の冬に福岡国際マラソンに出場していることを知り、結果を見た時は衝撃的だった。
「あれだけ忙しいはずなのに。凄い…」
その頃はまだ薄底が主流の時代。ハーフも毎回2分差以上つけられて負けていたので凄さは分かっていたが、フルマラソンもこんなに速いのか…と。
「市民ランナー」としてここまで走れるならいつしか同じ舞台に立ちたい。この時の自分はそう思った。
勿論出場するためにはフルマラソンで2時間35分は切らないといけないのでハードルは高かった。公務員試験で半年以上ブランクあったり、不調になったりと壁はあったが昨年の防府読売マラソンが上手くハマり、遂に福岡国際マラソンの出場が現実となった。
12/3 防府読売マラソン
— TDK (@krun6956) December 3, 2023
2°31’21(1°14’35-1°16’46) PB
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20k以上にも及ぶ単独走と向かい風で昇天しかけたけど、無事目標以上の記録が出せて本当に嬉しかった。
福岡と東京の準エリートの資格はゲットできたので、次の目標に向けてまた頑張ろう。
諦めずにやり遂げられてよかった。 pic.twitter.com/TMWcl2NtGG
この時は結構賭けの状態であったが、それでもこの記録で収められたのは収穫だった。3月の静岡マラソンはトラブルだらけで2時間42分台で爆死したが、そこから福岡国際マラソンに向けての長い期間がスタートした。
9ヶ月間のプロセス
トラックシーズンと合宿期
春先というのもあり、まずは短い距離からアプローチするところから始めた。
昨年の戦績や春夏シーズンの練習結果が酷すぎたこともあり、マラソンペースである3’30/kmに余裕が持てなかった。
その経験から1500m〜3000mのタイムの改善を図らないといけなかった。
幸いにもチームメイトや練習仲間にスピードランナーが多く、環境としては充分に整っていた。1人ではやりづらい部分(主に1500mのレースペース)は皆との練習で補い、1人で出来る部分(大半はLT系)は単独で精度を上げていくことを地道に取り組んだ。
3000mで2年振りに9分1桁まで戻すことができたのも大きな出来事だったが、やはり自分の中で1番は7月の日体大。1500mでの4’10切りが出来たことであると思う。
7/7
— TDK (@krun6956) July 7, 2024
日体大1500m
4’09’’88 PB
・
念願の10秒切り達成。ラスト200mで確信してそのまま捩じ込んだ。ほぼイーブンなのも大きいかと。
前半シーズンラストレースをPBで終えられて何より。
来年は今回からもっと縮められるように頑張りたい。 pic.twitter.com/mF6ToqBAxR
なかなか切れずじまいだった4’10切りがやっとの思いで達成したことは取り組みの成果として収穫だった。
ただあくまでも最終的に合わせるのはマラソン。
その間調整等々でジョグの量が減っていたこともあったため、日体大後は平均を平日は12〜13km、土日のどちらかで18〜20kmは走ることを意識した。
それと夏場は合宿を3回組んで少しでも涼しい環境下で走り込みを行った。特に8月の最強市民ランナー合宿はとても刺激的だった。楽しくも終始緊張感もありながらハイレベルな練習が出来たことはとても大きな自信になったと今でも思う。
10月の順大記録会は大外ししてしまったが(5000m→16’18)、9月の山梨県長距離記録会(3000m→9’05)も含めて良いトラックシーズンを過ごせたと感じている。
怒涛の1ヶ月半
順大記録会が終わり、福岡国際マラソンまで残り1ヶ月半。その間に予定していたレースは水戸と東日本実業団駅伝、上尾。
フルマラソン、駅伝、ハーフと重量感満載の連戦だった。その上暑さもあり、東日本に至っては1wayで強風向かい風という鬼コンボ。
突き抜けた記録ではなかったが、良くも悪くも及第点の走りは出来た。
・水戸黄門漫遊マラソン→2°39’24
・東日本実業団駅伝(4区、9.5km)→32’43
・上尾ハーフ→72’47
3’30/kmの余力度も勿論上がってきているのも感覚として充分にあった。
後は根性論になるかもしれないが、ある意味メンタルは鍛えられたので良かったと思っている。
ただ不安要素として残っていたことがあった。「消化してきたロングランの距離」だった。
1回の距離が20km以上のロングランは今季はやっておらず、それ以上の距離の耐性が薄れているのではないか、と。
ロングランも継続的にしていれば1番効率的ではあるのは分かっていたが、今からではもう間に合わない。
なので段階的に増やしていたジョグの量を更に増やすことに注力した。
それならば総走行距離も無理なく増やせるし、脚は少しでも作れるはずと信じた。
身体的にキツい日もあったが、平均15〜16kmは意識して踏むことをテーパリング直前まで取り組んだ。
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白の空白箇所は全て15〜16km jog。
10月中は平均14km辺りなので全体的には総走行距離は増えている。ただ1ヶ月でロングランの穴埋めが出来る訳ではないことも充分理解していた。
ただ出来る限りの手はこの時点では打った。後はやってきた取り組みを信じて。
福岡国際マラソン当日
序盤戦(スタート〜中間点)
無事に前日受付を済ませ、当日を迎えた。
更衣室にジェルとアームスリーブを置いてきてしまったのもあったためその間は少し走ったが、それ以外は軽く動き作りをするだけにした。
(昼スタート(12時10分)なのもあってそれ程寒くもなく、最初の1〜2kmで体は温まるだろうという意図の元。)
疲労も良い感じに抜けており、体は軽かったので「これは行けるかもしれない」と思えた。まさに理想形態。
後はスタートラインに立つだけだ、と。
ただ思いの外知り合いだらけなのもあってレース前なのに楽しくなってしまった。
とりあえず性格上逆らえないのは分かっていたが…。整列時なんかは特に。(笑)
その反面張り詰めていた緊張感が少し解れたのは有り難かった。(覚えてる限りは中川さんと村田さんは結構話をしていたかな。)
正直言って中間点過ぎるまでは特段何も起こらなかった。些細なトラブルなら開始500m辺りでジェルを1個落としたのと付けていたブレスレットがどこかに落ちてしまったことくらい。
ブレスレットは財布へのダメージが大きかったが(笑)、最悪別に気に留めなくてもいいやともそこで判断できたのは良かったと思ってる。
福岡国際マラソン2024 2:28:54 (3‘31/km 第108位)前後半73:46→75:08 平均心拍146bpm… pic.twitter.com/GAINWanI6r
— t.miyahara (@takepyon1975) December 2, 2024
プランはシンプル。「宮原トレインに最後まで居残る」こと。ナガソエ練でお世話になっているのもあり、練習と同じ3’30/km前後の流れですんなりと巡行できた。半分脳死状態だったかな。(笑)
(動画を持ってなかったので宮原さんのポストを拝借しました…)
後は給水。大集団というのもあり、給水渡しがとにかく凄かった。それが個人的に1番有り難かった。
中にはAブロック(競技場スタート組)もいたのでスペシャルドリンクも分けてくれた。(しかも3回も)。
2回は橋本さん(@heel_striker)と前日に打ち合わせしていたので分かっていたが、1回は別の方からのサプライズ?的な感じであったので驚いた。良い意味で福岡国際の洗礼を浴びた感じで良い経験だったと思っている。
中盤戦(中間点〜35km地点)
まだ余力はあったので引き続き宮原トレインに乗っかって巡行した。ただ思いの外中間点を超えた辺りから人数が減ってきているのも感じてきた。
位置的に左側にいたので事実かは曖昧だが、明らかに序盤よりは少なかった。
25km超えてきてからは徐々に前から垂れてきてくる選手も増え、「この人って宮原トレインに居たっけ?」と思うくらいに収拾が付かなくなっていった。
勿論こっちも脚がキツくなりつつある。28km過ぎから意図的に自分を奮い立たせること何かしないとな…と思っていた矢先、落ちてきた2人の選手を見つけた。
飯塚さんと白石だった。
飯塚さんは茎崎練に行った際にお世話になってるし、白石に至っては同じTRIGGER ACのチームメイト。
「2人だって今までこの舞台に向けて頑張ってきたんだよな…」
そんなことがふと頭によぎった。
反射的だったので細かいことは良く分かってないが、とにかく頑張ろうと声をかけたのは鮮明に覚えている。
自分自身も頑張らないといけない。勿論相手にとってはどう思われてるか分からないのもあって怖かった。でもその時は瞬間的にそれ以外奮い立たせる方法が無かった。
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この辺りから奮い立たせるために声かけしてた気がする。
その後もそんな声かけをアホみたいに続けた。けど誰に声かけてたかは全部覚えていない。(分かる範囲だと杉山、ますをさん、岩佐さん、将司さんの4人かな)
正直ここまで来ると体のダメージも溜まってきて結構キツかった。ジリ貧になっていたが声かけを続けたことで自然と自分の中に火が付いてきているのも感じていた。
30〜35kmのラップは17’37。落ちるどころか25〜30kmのラップ(17’42)から上がっていた。
本当に奇跡を起こせるかもしれない。その矢先だった。
終盤戦(35km〜ゴール)
「脚に力が伝わらない」
この時点で宮原トレインは崩壊していた。(宮原さんと自分を含めて5〜6人くらい)
35kmを過ぎた辺りは大丈夫だったが、37km超えた辺りから異変を感じた。
37km地点の通過時点でPB更新は間違いないと確信していた。何ならキロ3’50~4’00で4km押したとしても2時間半は切れるとまで思っていた。
そこからラップが3’45、3’57とガクッと落ちていった。駒沢公園のランニングコース1周半もない(分かる人には分かるはず)、脚が千切れてもいいからそこまでは…。
そう思い、何とか自分を奮い立たせた。
(動画は37〜38km?(キツすぎて殆ど覚えてない)辺り)
その時だった。40km地点を超えて残り2km前後になったところで完全に脚が止まった。
これまでは歩いたりすることが多かったが、今回に至ってはそれ以前の問題だった。既に体が限界を迎えていた。
正直焦りや悔しさというよりは喪失感が大きかった。無理にでも動かせば何とかなるかもしれないけど、2時間半は切れない。手中にしかけた物を全て失った感じだった。
本当に意識もおかしくなりかけてたその時、途中で追いついてきた杉山が声をかけてくれた。同い年の選手が諦めずに頑張ってる。そのお陰で最後まで何とか頑張れたのかなと今でも思う。
そこからは何とか歩きながらもゴールを目指した。そして競技場に入ってから残り少ない力を振り絞った。
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結果は2時間32分59秒(総合178位)。残り2kmはキロ5分すら切れない程ではあったが、無事にゴールできただけ安心した。
本当に後1歩ではあったが、9ヶ月取り組んできたことが身を結んでいた実感もあった。その点で言えばほんの少しではあるが間違いなく前進した。そう思えた。
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こうして夢に見た大舞台でのレースを終えた。
未来の自分に残したいこと
春先から福岡国際とまでの9ヶ月は自分にとって非常に濃い期間だった。
勿論苦しいことだらけでもあったが、成長はしているのは間違いないはず。加えて自分と向き合ってきたからこそ去年と見違えるようになった。
思うことが多すぎてかなりの長文になってしまったが(笑)、今後のためにも最後に2点書き残したい。
1点は『自分の取り組みをチームに還元していきたい』ということ。
実際のところ、TRIGGER ACはトラックをメインにやっている選手が多い印象が強いと思う。勿論横内さんや荒幡さん、凌司(當山凌司)のようにマラソンで結果を残している人もいるのは承知の上ではあるけど…。
東日本実業団駅伝で結果を残すことが第一ではあるが、TRIGGER ACの1選手としてフルマラソンでも皆が結果を残していければ尚面白くなるのかなと、前々から思っている。
最終的にはその舞台は東京マラソンになるのかな、と。
とは言っても自分も準エリート枠で走れる程の実力はない。だから主力でない選手が2時間半切りをして少しでもチームに還していければというのが根底にある。
それがこのチームに誘ってくれた怜利さんに恩返しできるなら嬉しい。
2点目は『同世代の市民ランナーに引けを取らないくらいに強いランナーになる』ということ。
もうただけん世代じゃなくて吉岡世代でいいよね
— 松下稜 (@mattsuu0226) December 1, 2024
流石にただけんの知名度超えたでしょ
でも初対面の市民ランナーにはただけんと同期ですって言った方が相手も理解しやすい気がするんよな…🤔 https://t.co/PxBO1YHESD
走り終えた後にXを見ていたらこんなポストを見つけた。何事かと思って見てみたら吉岡君が8位で入賞していたということだった。
吉岡君が同い年であることは8月の北海道マラソンの活躍から知っていたが、福岡国際も入賞したんだ…と功績が凄すぎて言葉が出てこなかった。
この年代(98世代)は知っている限り強いランナーだらけだなとも思う。今回入賞した吉岡君やこの投稿した松下、市民ランナー合宿で一緒だった北村…。レース中励まし合った杉山。
思いつく限りでもキリがないくらいにいる。
反面自分は彼らの足元にも及ばないんじゃないかとも思っている。認知してもらえるのは嬉しいけど、それだけで終わるランナーにはなりたくないとも心の片隅にあるのも本当。
だから1個ずつ課題を潰していき続けないといけないし、それ以上に頭を使って計画していかないといけない。少しでも近づくには必要不可欠だと、そう思っている。
勿論結果が全てだとは思っていない。ただこれまでにやり残してることは沢山ある。だからこの先も半歩でも近づくためにも全力やっていきたい。それが趣味だとしても。
自分が変人なのは痛い程承知している。(笑)
けど「あいつ変な奴だけど走るのも速い」って話で認知してもらえたらそれはそれで自分としても頑張ってきて良かったなと。
話が上手い訳でもないし、コミュニケーションの取り方1つにしても雑であるけど、この先も陸上競技を通じて切磋琢磨できる仲間を増やしていきたいなと思う。
そして来季のこの時期に見返した時、この頃からは成長したなと思えるように頑張りたい。
ということで福岡国際マラソンの振り返りは終わりです。
本命レースを終えて開放されたのか一気に疲労が出てしまって喉が枯れてしまってます。(笑)
でもこの大舞台でランナー同士関係なく助け合ったり励まし合ったりできたのは自分にとって間違いなく宝物です。
今季に関してフルマラソンは入れていないので暫くは体を休めて2月の青梅に向けてリスタートしようと思います。
そして来季、福岡国際と別大で更に強くなった姿で爆走するためにも今後もお力添えいただけると嬉しいです。
拙く、長文でしたがありがとうございました。