SFシネマ倶楽部『アフター・ヤン』感想戦
この作品が好きという事は、私も小津安二郎が好き、なのだろうか……。
※もうここは観た人しか来ないと思って書いてます。初見のドキドキ大事にしたい人は、要注意!
昔、文章講座を受けた時、『どんな文章にも書き手の「タクラミ」がある』、という話を聞いてむっちゃ納得した事があります。
しかし、それでいうと映画って、脚本、映像、女優、俳優、撮られた時代背景……と、ありとあらゆるところがフィクションとリアルからまる伏線だらけ。「タクラミ」だらけなのでは?
作品の大きな問題提示の傍らに当たり前のように潜まされたひっかかり。「謎」「タクラミ」を感じた点から、今回の『アフター・ヤン』の感想戦、始めたいと思います。
製作会社や監督についてのアレコレは前回の(↓)に書いたので、
今回は割愛。映画解説者でもなんでもないんだもの、全編、我が愛と想像と妄想で展開してくので、どうか、大きな心で眺めてやってくださいませ!
①ジェイクの『家族』。どうしてこんな『寄せ集め』?
パンフレットには「幸せに暮らすジェイク家」とあるけれど、冒頭から、それぞれ向いている方向が違うようにしか見えない雰囲気のジェイク一家。奥さんのカイラの『チームになりたい』という言葉に、なんだか、寄り集まった人たちみたいな印象すら受けてしまう冒頭。
それでいうなら、のっけから、人種だけでなく、命の形……ヤンのようなテクノ(アンドロイド)……まで一緒で、一つの『家族』にしちゃう、監督のタクラミよな。
ジェイクと奥さんは判るけど、どうして養女なんだろうとか。
他の家族も、娘さんがクローンだったり。
どの家族も、どうしても、どこかつぎはぎなイメージ。これを当たり前のものとして設定した監督のタクラミが気になる(笑)。
②家はそれなりに大きいのに、ジェイクの家は、お金に困っている。
自然が多くて、穏やかな雰囲気で、未来映画によくあるディストピアっぽさはない。ジェイクは、儲からないお茶のお店の仕事と家族とで、ちょっと疲れてる。家としては、裕福そうなのに、ヤンの診断料すら辛そう?
引きのシーンでは森の中に未来的な部分を思わせる家が溶け込んでいるような……全体的に、人間が少ない場所にいるような(ただ、街のシーンでは、賑やかな往来もあるので、一概には言えないけど!)。
監督インタビューで、舞台は「大きな喪失の後、その傷口を癒そうとしている」世界だとのこと。
残された者たちが欠けた部分を寄せ集めて一つの円になろうとしている。そんな形の家族の当たり前になっている世界、という設定に見えます。
それでいうと、家族ダンス(笑)。「えっ」と思ったけど、そういう世界の中で、家族を繋げようとする社会的な試みがそれなのかしら、とも。
そう考えて観ると、物語の前提の、この世界での「幸せ」って言葉の意味が少し違ってみえてきます……ヤンが愛おしむように記録した、「家族」の「幸せ」な風景。まるで、たんぽぽの綿毛をふんわり手につかんで、丸いボールの形に保ち続けようとするような……そんな、「幸せ」。
③『ミカ』は中国名?
どちらかと日本っぽい名前に感じてしまう。中国に詳しくないので、確信ないけど、もっと中国名っぽい女の子の名前を選ばなかったのはどうしてなのかなとちょっと気になる。
おさげの可愛いミカちゃんについて『中国とミカを繋げる存在になる』と奥さんが言ってるところ。だからこそ、ヤンを(中古でも)無理して購入したのだろうジェイク。
彼らが居る場所と、「中国」……というか、それぞれの国の独自性みたいなもの?……との関係にも裏設定を妄想しちゃう。それぞれの国とか、そも、まだ存在するんだろうか? 一部の場所に、生き残りの人間たちが寄りあって、それぞれの「文化」を失わないようにする事も、大切な人間の生の目的に掲げなきゃならないような世界になってるんじゃ……?
このあたり、想像するだに楽しい。
④ラスト手前のシーン。
森の小道で、急に消える彼女。ついてこないんじゃない。あれ、消えてるよね?
ジェイクが、ヤンの過去について話すシーン。
森の中で、彼女が急にいなくなる。立ち止まってるんじゃない。最初からいなかったようだった。
思い出の小道。突然の不思議シーン。あの時話していたのは……あれは、エイダなの……?
④最後にミカは中国語で何と言ったのか。
他のサイトを探すとすぐに何と言ってたか判明するんですが、あえて、ここではナイショにしておいて(笑)。
私は、わざと訳されなかった事で、ヤンとミカの余人を入れないつながりを感じたのですが(中国で公開の時にはこの効果はどうなるんだろうな?)……でも、ミカちゃんのひとつの変化(成長?)をみせてくれているのかもしれない。
そのシーンに至るところ、ソファーに座ったジェイクの後ろ、気付かれる事なく庭をつっきり、ヤンのいないヤンの部屋へ走っていくミカ、このシーンをこう撮った監督のタクラミも、想像するとちょっと、ジワるのだ……!
『SF』は、方法であって、目的ではない。でも、それを、こんな風に使いこなされたら、「やられたなー」って思っちゃう(笑)。
この話のスゴイなと思うところは、視点がテクノ(アンドロイド)のヤンのものだからこそ意味がある物語になっている、というところ。
ヤンという存在があって、その喪失から、それぞれの登場人物の視点からの世界と、それぞれがパッと触れて起こる科学反応みたいなものとか、変化を描いているところ。
特に、カイラとヤンの蝶の話のシーンは、何度も何度も観たくなる大好きなシーンになりました。エイダとジェイクで「人間を羨ましがってると考える人間の思い上がり」の話も好き。
SFじゃなきゃできないことで、ここまでのことを表現していて、それでいてガジェットに頼っていないところ。これが小津安二郎の影響だというのなら、私が次に観なきゃならないのは、もしかしたら、SFじゃなくて、小津映画なんだろうか……(笑)?
新たな世界の扉が開かれちゃったような気が、しないでもない(笑)。