わたしのキャリア原点ー日本語業界きっかけー
先週から「日本語教師のキャリアを考えるワークショップー変幻自在な日本語教師になろう!ー」が始まりました。プロティアン・キャリア理論を取り入れ、「自分の心理的成功を目標に、戦略的に変わる」ためのワークを4回にわたって行うワークショップです。
自分自身がキャリアについて学んだおかげで、やりたいことの優先順位がはっきりし、今やるべきことに悩まなくなったので、それをお伝えしたくて企画したワークショップ。プロティアンキャリアの考え方を知ると、学ぶことが楽しくなり、その学びが人脈を広げ、それがお仕事につながる・・・というのが実感できます。このワクワク感が皆さんにシェアできるように頑張ります!
さて、第1回目の最初のワークで「日本語教師になったきっかけ」について振り返ってもらいました。自分が何を求めていたのか、どんな教師を目指していたのか、その原点を探ることで、自身の「心理的成功」を明らかにするためです。
みなさんに語っていただいたので、どこかで私自身についてお話したいなと思っていた時に、チェーンナーさんの企画を拝見しましたので、参戦してみます。
はじまりは
テレビでした(笑)!
高校生のとき、偶然見た「世界で活躍する女性たち」というドキュメント番組の中で、アフリカかどこかで教えていた日本語教師が紹介されたのです。それを見た時、「あ!これだ!これになろう!」と決めました(笑)。
偶然にもその数日後に進路相談があり、さっそく担任に「日本語教師になれる大学へ行きたい!」と話しました。わたしがラッキー(?)だったのはそこからの展開です。その頃、(・・・というか、今もですが)「日本語教師」という職業の知名度は低く、「日本語教師=国語教師」と考える人が少なくない中で、なんとその時の担任は言ったのです。
「確か、生物のK先生の奥さんが外国人に日本語教えてるって言ってたかも?私はどうしたら日本語教師になれるか分からないから、K先生に聞いてみる。」
そして、担任からK先生へ、K先生からその奥様へという経路で、日本語教師志望の女子高生が存在することが伝えられ、私に興味を持ってくださった先輩日本語教師と直接お話しする機会をいただいたのでした。
先輩日本語教師のアドバイス
私にとって、現役日本語教師=憧れの存在でした!今でも、K先生の奥様が眩しく見えたことを覚えています。会って少しお話ししただけで、こういう先生になりたいと思ったほどでした。
その先生にいただいた進路アドバイスが、その後の私を決定づけるわけですが・・・。振り返ると、今の自分だったら、しないようなアドバイスをされてたなぁ、と思います(笑)。
先生はおっしゃいました。
「教えるなら、企業がほとんど(←注:その頃、日本語学校はギリギリ通える範囲に2校しかありませんでしたが、業界では日本語学校で教えている人がいちばん多かったような気がします)。企業の人は日本語教師の仕事についてほとんど知らないから、まず英語話せる?と聞かれる。だから、英語はマストだよ。最近はブラジル人とか中国人も増えてきたから、ポルトガル語か中国語ができたら、採用されるチャンスが広がると思う。日本語教育?そんなの、企業の人は知らないから、全く評価されないよ。それに資格なんて通信でも、養成講座でも取れるから、まずは外国語だと思う。え?外国行きたいの?なら、なおさら外国語やったほうがいいよ。」
うーん。今思えば、突っ込みどころ満載。時代が時代だったのかもしれません。でも、私はこのアドバイスを受け、外国語学部、副専攻で日本語教育が勉強できる大学を探し始めたのでした。
日本語のおもしろさに目覚める
こうして、中国語専攻、副専攻日本語教育の大学生になったわけですが、1年生の初めての日本語文法の授業で品詞と活用の話のおもしろさに衝撃を受けました。日本語がこんなにもシステマティックだったなんて!習った覚えもないのにこんな複雑なルールがわかる自分って??
あまりにもおもしろくて、その日のバイトの時に、バイト仲間に文法の話をし続けて、ドン引きされたことも覚えています(苦笑)。
日本語文法、音声学、日本語史・・・どれも楽しくて、こんなにおもしろいものに毎日触れられたら、きっとハッピーに違いないと、ますます日本語教師に憧れていきました。
私の原点
さてさて、私のキャリア原点。
なぜ、テレビで紹介された日本語教師という職業を知って惹かれたのか・・・。実はこれを自分の中で分析したことがあります。
唐突ですが、みなさんは「24時間テレビ愛は地球を救う」という番組が昔は途上国支援に力を入れていたことを覚えていますか。
私はあの番組を見て、「大人になったら、井戸堀りを手伝いに行くんだ」と考える子供でした(笑)。貧しい子どもに募金するために、お小遣いを貯めたりもしていました。
子供の頃のエピソードといえば、もう1つ。
数年前に、小学校に埋めたタイムカプセルが掘り起こされ、私が7歳の時に書いた作文が実家に届きました。それには「私は大きくなったら、迷子の子供のお世話をしたいです。迷子の子供に勉強を教えてあげます。」と書いてありました(笑)。
なぜ、迷子?なぜ迷子の子供に勉強???全く覚えていないのですが、この二つのことから考えるに、私は「困っている人を助けたかった」のだろうと思います。
そして、日本語そのもののおもしろさに気づいたこと。こんなにおもしろいもの、誰かに伝えなきゃもったいない。このおもしろさを伝えたい。
私自身はここがキャリアの原点だと感じています。
私が目指すもの
「困っている人を助けるたい」、「日本語のおもしろさを伝えたい」ので、外国人搾取の片棒を担ぐような教育機関、教育方針が合わない学校では教えたくありません。私が前職の学校をやめたのはキャリアのことを勉強する前でしたが、振り返ると、理由はまさにそれ。経営者の言動が目に余り、「お前の金儲けの手伝いはせん!」と飛び出しました。後悔は全くしていません。振り返ると、けっこう自分の価値観を軸に動いてきたのだなぁと思います。
「困っている人を助けたい」は突き詰めれば、みんなに「自分らしく笑顔でいてほしい」のです。環境のせいで、やりたいことができない人がいるなら、環境を変えたい。笑顔になるための方策がわからない人がいるなら、一緒に方策を考えたい。私がTwitterやFbのプロフに書いている「日本語を勉強する人、教える人の自己実現をサポートします」、その心は日本語教育に関わる人を笑顔にすることです!
今、こうして自分のやりたいことがはっきりしているのは、キャリアのことを考え、自分の原点を振り返ったから。やりたいことがはっきりしているので、やるべきこともはっきりしていて、目標も立てやすいです。
みなさんも、ぜひキャリアについて考えてみてください!