やりたいこと探しから仕事を考える2
どうも!
20回以上転職している松田です。
今回は、家族の事について気持ちを整理し、今後の仕事について考えていこうと思います。
家族の事
私は、以前の記事でこのように書きました。
ここに、両親の事が書いてあるのですが、特に私の母が自己中心的で幼稚だったので、小さい頃は本当に苦労しました。
つまり母親が精神的に幼稚なので、私が親の代りをしていたという事です。
参考文献、親といるとなぜか苦しい―「親という呪い」から自由になる方法、リンジー・C・ギブソン(著者)、岡田尊司(監訳者)、岩田佳代子(訳者) 丸井光文社 2023年 によると、いつまでも幼稚なままの親は4つのタイプに分けられるそうです。
感情的な親
がむしゃらな親
受け身の親
拒む親
これを読むと私の母は、1.感情的な親に当てはまると思います。そして、感情的な親はどんな人なのか引用すると↓
とあります。
母は農業をしながら、小姑・姑のお世話、私達3姉妹の子育てをしていました。
そして、とにかく忙しかったし、自分の子どもより、姑を優先。
しかし、姑との関係が悪かったため、その怒りを私や妹にぶつけていました。
キッチンに言っても話しかけたら眉間にしわを寄せて、話しかけるなオーラを放ち、やっと話してくれたかと思ったら、姑や小姑の悪口を延々と聞かされます。
小さい頃、お気に入りの玩具が壊れ、それを母に言うのが怖くて畑に玩具を埋めたり、余所行きのスカートを友達と遊んでいる時に破いてしまい、それを母に話すのが怖くて、ゴミ箱へ分からないよう袋に入れて捨てたこともありました。
それだけ、母に怒られたり話しかけるのがつらかったんです…
おかしいでしょ?
他の大人は?
父は父で、仕事から帰ってきたら不機嫌で、部屋が散らかっていると、宿題や教科書も一気にゴミ箱へ捨てます。
なので、父の車の音がすると一斉に妹と部屋を片付けていました。
姑と小姑は、母をこき使う事しか頭にありません。
母が畑から帰って来るや否や、ピンポンもせず、部屋に2人がよく入ってきた事は嫌な思い出です。
つまり、私の周りには、ろくな大人がいなかったのです。
すぐ、感情的になり、自分の事しか考えない大人ばかりでした。
たまに友達の家へ遊びに行くと、母親が子どもの話をよく聞いている場面に出くわしました。
「ママ~今日、○○ちゃんに嫌な事された~」
「え?どんな事されたの?」
「あのね~・・・・・」
こんな、普通の会話が他の家庭では繰り広げられているんだと知った時は衝撃でした。あとは
「お腹空いた~なんかない?」
と、甘えた声で自分の要求を、母親に発している同級生を見た時は自分の耳を疑いました。
そこで段々
分かってきたんですよね…
うちは
まともじゃないと…
しかし、子どもの頃は、両親がいないと生活できなかったので、私は必死にお手伝いをしたり、勉強を頑張ったり、母と父の表情を見ながら家庭が穏便に過ごせるよう気をつかっていました。
中学校の時、同級生の男子に
「トロさんって、自転車乗ってる時、両手をピーンとしてるよね」
と言われたことがあります。
その時は、
「え?そう?」
と、軽く返事していたのですが、大人になりマッサージ店に行くと必ず
「はい、力抜いてくださーい」
と言われるので、無意識に緊張していたんだと思います。
姉妹でも違う
ちなみに私は三姉妹の長女ですが、次女と私は同じような体験をしてきましたが、三女の妹は全く違います。
いつも泣いてばかりだったので、母親に抱っこされ、愛情をたっぷり受けてきて、今でも子育てを母親に協力してもらうなど、甘えています。
時々、「そこまでする必要なくない?」と、イラっとする時がありますが、これは私が母親に甘えられない感情が渦巻いているんだと思います。
この前、色々大変だったので実家に1人で泊まりましたが、どうして家族を置いて泊ったのか?と理由を話しても、最終的には母親がいかに姑と小姑に苦労して乗り越えてきたかの話で終わりましたからね…
「だめだこりゃ」
と、思わずいかりや長介の言葉が出ちゃいましたけど、普通実家って落ち着くもんだと思うんですが、私はやっぱり居心地が悪かったです。
ま…最終日は
私が母親に期待していたのが間違いだった…
と思って、帰りましたが…
母親も70歳過ぎたら、少しは変わるかな~と思いましたが、全くですね。
父親は7年前に他界しちゃったんで諦めましたが、
「どうしたの?」
「大丈夫?何かあったの?」
子どもの頃は、この言葉をかけて欲しかったんだな~
と、改めて思いました。
結局仕事の話は…
今回は、家族の事から仕事の話に持っていこうと思いましたが、またもや長くなってしまい、また今度になりそうです。
とりあえず、失業保険が貰えるうちは、色々過去の怒りや寂しさなどを
内観して、仕事はゆっくり決めようと思います。