「フラフラ」考察(雑感編)

歌詞を自分にあてはめるのって邪道かもしれないけど、今の自分の状況が「フラフラ」すぎて。だからこそ見えることもあるし、見えなくなってしまうこともある。でもまぁ、それはそれでとりあえず横に置いといて、そんなわたしの目線から見える解釈をしてみようかと。
まず最初に気になるのが、
・「フラフラ飛んで消えた」のはなにか
ということですよね。後述するけど、鬱屈と、ほんのちょっとの厭世観なんじゃないかという説を提唱したい。あくまでこの歌、前向きと後ろ向きのベクトルが両立していて、でも前向きのほうが強い感じがあるんですよ(伝われ)。
そして
・「テキトーに酔っぱら」うことしかできなかったという、やるせなさ。

・「あきらめ色の拍手」
拍手って、本来おめでたい時とか、喜びとかを表すものじゃないですか。それにマイナス表現の「あきらめ色」というワードがつくことによって一層のこと皮肉感とやるせなさ感が出るんですよね。

・「世間知らずなのは俺の方なのかもね」
世間と俺との感覚のズレを感じたのかもしれない。ここで参照したいのは、「飛べない鳥」。岩沢厚治は自分の持ってる「ズレ」を認識していて、「確かな答えなんてさ見つからないまま」それでも進もうとしている懊悩と前向きにこの詩(「フラフラ」)の本質があるのではないか。
曲調は明るいけど、この歌詞をよくよくみると、この曲が抱え込んでるのはどうしようもない鬱屈なんですよね、つまるところ。それを明るい曲調にすることでただ単に閉塞感を歌った歌じゃなくて、その閉塞感すら皮肉ってる感じがある。

と、まぁとりあえずの雑感をば。長くなりそうなのでこの辺でいったん終わる。次回はもう少し掘り下げられたらなぁと思います。

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