映画備忘録「月の満ち欠け」
こうしてパソコンで映画の感想を書くのはいつぶりだろうか。
すこし間隔が空いてしまったが先日見た映画に結構感動したので忘れないうちに書いておこうと思う。
※この先、映画のネタバレが含まれます。
観ていない方はお気をつけください。
映画概要
監督
廣木隆一(映画監督)
主な作品「恋する日曜日 私。恋した」「ストロボ・エッジ」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」など
脚本
橋本裕志
原作
平野啓一郎
キャスト(役名)
大泉洋 (小山内 堅)
柴崎コウ (小山内 梢)
有村架純 (正木 瑠璃)
田中圭 (正木 竜之介)
小山紗愛 (緑坂 ゆい)など
あらすじ
以前投稿した「百花」を観に行った日に予告編を見て、大泉洋に柴咲コウ共演!と思って珍しくキャスト目当てで観にいくことを決めた。感涙とか言ってるけどなきはしないだろうと思っていた。しかし良い意味で期待は裏切られ終盤につれて2回くらい涙腺の警備が緩くなってしまった。
感想文
映画の第1印象
大泉洋かっこいいなあ…。
なんだかんだ久しぶりに大泉洋をスクリーンで見た。最後にみたのは確か「清洲会議」(三谷幸喜)で豊臣秀吉役をやった時だと思う。身長高くてスタイルも良いのは憧れるしかない。
大泉洋のかっこよさはともかく”言葉や表現がキレイ”というのが最初の印象だ。
月にまつわる言葉、夫が妻や娘を愛するまっすぐな言葉。そして月光だけで照らされた室内や、沈む夕日。(実際に映画みて自分で見つけた方が楽しいと思う。)
この映画は”時を超え交差するラブストーリー”が主軸になっていると思うのだが、妻と娘を失った父の目線にも注目してみてほしい。
タイトルシーンから冒頭
残された父、小山内堅と娘の親友、緑坂ゆい
冒頭は一人、青森の漁港で働く小山内の姿から始まる。
妻と娘に先立たれ、残され年老いた母と共に暮らす小山内の姿は髭が生えどこか生気ない。そんな小山内の元にある日一本の電話が来た。それは娘の同級生 緑坂ゆいからだった。彼女に呼ばれ向かったのは東京のとあるホテルのラウンジ。ここから始まる小山内の娘、瑠璃の知られざる過去への冒険が始まる。
ここで登場する緑坂ゆいは個人的にこの映画の中で重要な役だと思っている。詳しくは後で話すが、彼女がいなければ物語が動き出すことはなかっただろう。
小山内一家の幸せな日々と月の満ち欠け
小山内一家が岬に夕焼けを見にくるシーンがある。日が暮れて三人でキャンプをしていると娘の瑠璃が「お月様、こないだ死んだのに生き返ってる。」と言い出す。7歳の少女が言うには少々違和感を覚える。
ここで映画のタイトルを思い出してみてほしい「月の満ち欠け」この意味がわかるのはまだ先だが、ここで月と生き返りという言葉が登場したことをできたらで良いから覚えていてほしい。
余談
最近映画をみていて思うのだが、やはり監督や脚本家の頭というのは宇宙だ。
よくこんなの思いつくと思う。繰り返し出る言葉や人物の仕草その一つ一つがラストシーンへの伏線に繋がっている。この流れを作るのにどんな組み立て方をしていったらいいのかその構成力には頭が上がらない。見習いたい。
瑠璃と廻るその命
この映画のテーマの一つに「生まれ変わり」というものがある。
この物語では今生きている人は誰もがだれかの生まれ変わりであるという考えがある。その中でも強い思い(後悔や未練)を持った人は前世の記憶を持ったまま生まれ変わるという。
正木瑠璃→小山内瑠璃→緑坂るり
姿を変えて、場所を変えて、時を超えて愛しいひとのもとに行きたい。
前世の記憶を取り戻して混乱することもなく、自分の記憶として当たり前に受け入れているのが考えてみたら不思議だ。思い出したのが幼少期だからだろうか。
小山内瑠璃、緑坂るりの人格は正木瑠璃のものになったのかそれとも混ざっているのかそこはわからなかった。
月の満ち欠け
この映画のタイトルと冒頭で言った月と生き返りという言葉を覚えているだろうか。この映画は人が生まれて、生きて、死んで、生まれ変わるいわゆる輪廻転生というものを月の満ち欠けになぞらえて描いていた。正木瑠璃の一生は幸薄いものだったかもしれない。しかしその時の中には三角と恋をした瞬間、正木にプロポーズされた瞬間、わずかな時間かもしれないが満月のように満たされる時間があった。その時を終えて小山内瑠璃になった彼女は優しい両親の元、幸せな時を過ごした。しかし今度は前世の因縁によってその時は奪われてしまった。瑠璃はまた生まれ変わりまっさらな新月から、ゆいのもとにサインを送る。
ちょっと無理くり書いた感があっても気にしないでほしい。そんなもんだ。
この映画がキレイだとおもったのはそんな無情の儚さと満ち足りた時間が両方描かれていたからだと思う。
生まれ変わりはロマン?それとも残酷?
この映画がラブストーリー主軸なので”大切な人が死んでも、いつかめぐり会える”ことをポジティブというかロマンティックに肯定しているのだが、私にはそれと同じくらい生まれ変わりを信じることと知ることが残酷に見える。
緑坂瑠璃に別れたあとの小山内が街中を歩くシーン。
小山内の周囲には家族連れや母娘など様々な人が行き交っている。この光景が誰もが誰かの生まれ変わりだと聞かされた小山内の目にはどう映るだろうか。亡き妻がどこかにいると希望をもったのではないか。それ自体は悪いことじゃない。娘の瑠璃の生まれ変わりに出会って生まれ変わりを信じ始めた小山内にとってそれは生きる希望になる。しかし同時に呪いにもなりうる。過去に囚われて今が見えなくなった正木竜之介がいい例だ。
正木竜之介は小山内瑠璃に正木瑠璃の真実を求めて最終的に死に追いやってしまった。残された人の思いが全ていいもの、また正しく伝わるものとも限らない。過去を求めて今を生きられなくなる可能性を考えると、「もう一度逢いたい」この気持ちは残酷なのかもしれないと思った。
涙腺の警備が緩んだシーン
私は意外とベタな家族愛に弱い。
このシーンは前世の記憶を取り戻した7歳の瑠璃がアキラくんに会うために一人高田馬場の二人が出会ったレコードショップに行って父と帰るところだ。
まあ、7歳少女のワードセンスではないと思う。
この時にはすでに正木瑠璃の記憶があって、家族に恵まれてこなかった彼女にとって小山内夫婦の子供だったこの時間は幸せなものだったはずだ。
しかし、感謝を告げた次の言葉がこれなのは心がしんどい。
「瑠璃はいつになったら、一人で行っていいの?」
小山内瑠璃のまま、アキラくんを忘れて生きる道もあるだろうと思ったがこの時点でそんな選択肢は彼女にはない。
今の幸せが壊れるかもしれない、それでも逢いたい。
娘を愛する父と家族から愛される幸せを知ってもなお、意志を曲げない瑠璃。
しんどいなあ。(語彙力)
ホテルのラウンジにて瑠璃との再会
予想はしていても泣く時は泣く。
娘を愛しているからこそ、生まれ変わりなんて信じたくなかった小山内が瑠璃と再会する、アキラくんに逢いに行く瑠璃との会話にグッと来た。
青森への新幹線の中で誕生日のビデオを見る小山内
あとから知ったのだが、このシーンは映画になって追加されたシーンらしい。
えぐいことをする。
瑠璃の物語に目が行きがちになるのだが、小山内は娘だけでなく愛する妻を失っていたことを思い出させる。
小山内の一目惚れだと思っていたのが実は…ビデオで明かされる梢(妻)の秘密は是非劇場で。
最後に
10月に予告編をみてからずっと行きたかった作品。
感動はしても泣きはしないだろう思っていったら終盤で涙腺の警備をゆるっゆるにされた。なんか悔しい。
そしてなぜかはわからないが無性に「かぐや姫の物語」をみたくなった。
今、仕事終わりにファミレスでこの感想文を書いているのだが帰りにTSUTAYAよって帰ろうと思う。
というわけで今回はここまで!散!
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