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"他人"の方が"自分の才能"をよく知っている〜才能の解釈〜
今日も1日お疲れ様です(^^♪
今日はどんな1日でしたか?
それでは『今日のnote』行ってみましょう‼
今回のテーマは、『他人の方が自分の才能をよく知っている』です。
皆さんは自分の才能をどれほど把握できていますか?
『”私”に才能なんかない』
と、なんだか自信がない時、そんなことを感じることもあるかもしれません。
でも、もしかしたらそう思っているのは本人だけかもしれません。
そもそも才能というのはどのようなものかというのは、人によって解釈は微妙に違ってくるのかもしれませんが、基本的には、生まれつき持っているもの。身につけている性質。性格。
そして、他人よりもすぐに習得できてしまう技能。下手したら練習しなくてもある程度できてしまうもの。
私はそのように解釈しています。
小学生のころいませんでしたか?
やたらと脚が早い人。
やたらと絵がうまい人。
やたらと泳ぎが早い人。
やたらと友達が多い人。
やたらと計算が早い人。
小学生のころというのは、
この世に生まれてまだ数年ですよね?
それなのに他人とは違い、突出してできることがあるというのは、どのように説明したらよいのでしょう?これこそが才能だと思うんですね。
対して練習もしていないのに他人よりできること。
脚の早い人は、生まれてから数年間、意識的に毎日走るトレーニングをしたわけでもありませんし、絵がうまい人は意識的に絵を描くトレーニングをしたわけでもありません。
ただそれに興味を持って、時間があればそれをしていたなんてことはあったのかもしれません。
長い時間拘束されてもストレスを感じないこと
ここで才能を解釈するための1つのポイントは、
自分自身が長い時間その活動に拘束されても、
ストレスを感じないことだと思っているんですね。
いくら才能があるとはいえ、その能力を開花させるためには、その能力を伸ばすためには、ある程度継続して練習する必要があります。
ゼロ練習で発揮できる能力は正直たかが知れています。
そして、自分の時間をその活動に充てるということは、ある程度興味を持っていることが重要だと思うんですね。特に小学生の頃ともなると、あえて不快を感じる活動に長い時間をかけて取り組むなんてことはあまりないと思うんです。
自分が突出している技能に対して、それを高めるための日々の活動にストレスを感じない。
むしろ面白さを感じる。
そのような、元々持っている性質や技能と、それをやる時にストレスを感じないというセットが、才能を解釈する上で重要なんじゃないかなぁと思っています^ ^
今回は『"他人"の方が"自分の才能"をよく知っている〜才能の解釈〜』について書かせていただきました^ ^
また、あしたね〜😊✨