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死ぬこと以外『あたりまえ』では無いというあたりまえ
あたりまえとは
あたりまえというのは、
分かりきったことや、
言うまでもないこと、
普通。
そういった内容での解釈が
辞書等では見受けられます。
今回は『死ぬこと以外』はあたりまえではない。というテーマを掲げさせていただきましたが、逆に言えばここでお示しするのは、あたりまえと言うのは『死ぬこと』のみという事です。
できるだけ理論的に掘り下げていきたいと思います。
分かりきったこととは
分かりきったことと言うのは、
その前提として『自分が生きている』があります。でなければ自分というものがそれを感じることができませんからね。
しかしながら、今回切り込んでいきたい内容というのが、その前提自体があたりまえではないと言うことなので、そもそも論点としては交わることは無いのです。
なのでフラットなスタンスで聞いていただけたらと思っています^ ^
話を戻すと、
『自分が生きている』と言う、
『分かりきった』を成立させるための前提が
『あたりまえ』であると解釈できるのかと言うことですが、
それに関しては、単純計算で約8兆分の1と言う試算がでているようなんです。
自分が今ここにいること自体が8兆分の1と言うなんとも受け止め難い確率のもとで成立している。
さらには、『いま目の前の人と一緒にいる』と言う確率を組み合わせると、これまた恐ろしい数字になることは想像に難くありません。
8兆分の1で存在する人が同じ空間に2人いるわけですから。
これは
『あたりまえ』ですか?
『普通』ですか?
『分かりきったこと』ですか?
これは知識レベルの話で、
解釈には知識が必要であることが分かります。
なぜそれを『普通』と思うのか
そのように、天文学的な確率のもとで成り立っていると言う背景が『普通』であると言うことではなく、その状況しか知らないと言う背景がそれを『普通』と思わせてしまうと言う状態だと思っています。
お金持ちの家庭で産まれていれば、お金があると言う状態が『普通』ですし、
毎日3回食事ができること、さらには2食に減らそうなんて食事の回数を選ぶことができるなんていう状態は、食べ物が目の前にいつもあると言う状態、つまりそれが『あたりまえ』なんです。
でもそれは本当に『あたりまえ』ですか?ということです。
あたりまえ=死ぬこと
人に限らず地球上に存在する生物、天体でさえ、いつかはこの世界から消えます。
永遠というものはないんです。
それが『あたりまえ』です。
100%そうなります。
誰もが、いつか、必ず死にます。
今回は『死ぬこと以外『あたりまえ』では無いあたりまえ』について書かせていただきました^ ^
また、あした✨