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理由のない人生
私は、何のために生きているのか。
人生の目的は、生きる理由は、一体何なのだろう。
誰しも、一度は頭をよぎったことのある問いかもしれない。パーパス、ミッション、天職、様々な言葉はあるが、人は、人生の目的や意味といったものを求め続ける。
サイエンスの世界では、この世界に意味や目的などないと語られることが多いように思える。宇宙の誕生も、生命の誕生も、そこから連綿と続く私たちの存在も、何か一つの目的があり、そこに向かったのではなく、偶然の重なりの中で今の形になっていると考えられている。これが、私の知るサイエンスの世界だ。
一方、さまざまな領域で、人生の目的や人生の意味が語られてきた。私たちは、自身の人生に悩んでいる時、ミッションを持って生きている人に惹かれるし、目を輝かせて生きている人に憧れる。
でも私は、人生の目的・意味を追い求めることは、危うさをはらんでいると思っている。なぜなら、これを追い求めることは、自分が選ばれた特別な存在であることを認められたい欲求が隠れているのと、人生の目的・意味を持たない自分を卑下することに繋がるからだ。
世の中の、自己啓発は、人生の目的を見つけよう、生きる目的を見つけよう、という主張で溢れているが、もし、人生に意味などない、生きることに理由も意味もない、ただ生きているだけなのだとしたら、どうだろうか。一つの生命体として、外部の存在と、相互依存しながら影響を与えあっているだけなのだとしたら。
そう、ただ、ある。
この感覚をもし受け入れられたとしたら、人生に目的をもち、特別な存在になりたいという呪いから解き放たれ、自由になることはないだろうか。以前、私の大尊敬する方から、魔法の言葉を教わったことがある。
I'm totally nothing.
…
I'm totally nothing.
…
I'm totally nothing.
いわゆる、高い自己肯定感を持つことを促す、アファメーションとはまったく逆の言葉である。でも実際、僕は、ことあるたびに、この言葉を唱えている。すると不思議なもので、身体から力が抜け、しなやかに振る舞うことができる気がする。
もし、人生に意味などないとしたら。
雨に打たれながら、そんなことを考えた、朝の散歩だった。
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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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