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1年でおかした失敗。そして、傷を怖がらないこと。

一体、この1年間で、どれだけの失敗をしただろう。

思い出すだけで、顔を覆いたくなる、なかったことにしたくなる体験がある。でも、起きたことは起きたこと。忘れることは出来ないし、なくすことはできない。その度に、身体に傷がつく。もちろん、肉体的にではなく、精神的な意味でだ。

人間、一度追った傷をかばうように出来ているらしい。腰を痛めると、腰が傷まないように全身が支えることで、逆に腰以外が痛む。膝が傷んだ時も同じだ。

精神的な傷においても、きっと同じなのだろう。無意識に、その傷に触れないで済むようにしていく。その領域は、存在しないことになっていく。小さい頃のトラウマ的な記憶を失ってしまうのは、まさにそれが起きている。

傷は怖い。そりゃそうだ。痛いからだ。痛いのは嫌だ。

でも、傷から逃げていると、痛いのから逃げていると、本当に生きたい人生とは違う人生を生きてしまうことになる。それも、傷から逃げていることを自覚せずに。無自覚に。いつのまにかに。

傷をきちんと見にいく。傷を癒やす。自己を受容する。

傷との接し方にはいろいろなアプローチがあるのだろう。でも僕は、傷は怖いし、怖さはなくならないけれど、傷つく恐れがあっても、その選択を自分が望むならばしていく自分でありたい。

だって、そうありたいから。
その先に答えがあると信じているから。

タイトルに、傷を怖がらない、と書いたけど、傷は怖い。けれど、もっと痛いのは、傷を避け、想像の世界の傷を負うこと。概念としての傷ではなく、実際の傷を負おう。そして現実を直視しよう。

概念とはおさらばだ。現実と接する。不器用だし、周りからみていて、もっと器用に生きなよ、と思われている節があるけれど、でもそれが選んだ道だから。

うん。傷をおっていこう。身体の傷は治るんだから。人間の身体は凄い。いや、もし、四肢を切断するような傷だったとしても、それでも僕らは生きていけるのだから。

全身全霊で。瞬間瞬間を生きよう。
創り続けよう。"作品"と出会い続けよう。
この"世界"と出会い続けよう。

傷を負いながら。今は避けたくて、大嫌いな傷も、いつか、愛おしくなる時がくるのだろう。だからそれまで、傷と一緒に暮らしておこう。育んでおこう。その時がくるのを信じながら。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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